第35話 緑の小鬼

 ロバートの乱入で余計な時間をとられたけど、解呪以外のことに意識を向けられたのはよかったかもしれない。あらためてオードリー嬢の魔力とグラン・グランの呪いを見渡すと、さっきとは違う視点から考えなおすことができた。

 魔術式を仮組みして、検証する。頭も神経も使う作業だけど、だんだんかたちになっていってる手ごたえがある。これは勘でしかないけど、正しい方向に進んでいる気がしてる。


「愚鈍な存在のない場所は、最高だ」


 外界から隔絶されて、魔術式にどっぷり浸かって、見たこともないほど高度なたくさんの魔法ととっくみあう。

 これ、めちゃくちゃ楽しい時間だ。

 もちろん責任を考えたら怖い。もし解呪が上手くいかなかったら、どうしよう。俺自身が被害を被るのは自業自得だけど、オードリー嬢はなにがあっても守らなきゃならない。だから、当然だけど一魔術文字の間違いも許されない。

 でもなあ、怖いけど、やらないと最後には俺に呪いが降りかかる。世のため人のためだけなら尻ごみしたかもしれないけど、自分のためでもあるから、俺はやれてるのだ。

 さっきの予定外の休憩でとりもどした体力を基にして、俺はオードリー嬢の呪いの解析に集中した。他人の魔力に接続して魔術式を解読するなんて初めての経験だから、作業を再開してからどれくらい時間がたったかわからない。でも、けっこう長く取り組んだように思う。


「時間の感覚がなくなるのは厄介だ。この俺に厄介な思いをさせるとは、グラン・グランの身の程知らずめ。いや、まて、他人の魔力に意識を投じているときに、時間の経過を知ることができる魔術式は組めるな……? 要は一定の時間が経つごとにその情報を魔力に流すようにすれば……」


 うっかり新しい魔法の開発に脱線しそうになったけど、いまはオードリー嬢から気を逸らせちゃダメだよねえ。それはこのあと、やってみよう。

 視点をぐっと引いて、オードリー嬢の魔力全体をながめた。だいたい十二色に染まってる。そのうち四色は、もともとのオードリー嬢の水関連の魔術式と雷関連の魔術式、あと生命維持にかかわる細かなものだ。残りがグラン・グランの呪いになる。

 何度も何度も演算して、魔法が発動したときの模擬実験もした。

 これで完成……のはず、なんだけど。


「きさまは、なんなんだ」


 一列だけ、真っ赤っかに光らせておいた魔術式がある。

 発動先も発動内容も指定されてない。だから、なにも起こらない無意味な文字列だ。

 これ、どこに入るんだろう。めぼしをつけてる場所は一応あって、ピンク色で区分けしてある。ただピンクの一帯は、この赤いのがあってもなくてもちゃんと動くんだよね。ほかの魔術式には無駄も重複もないから、気になってしまう。なにかを邪魔するものじゃないし、いろいろ試してるうちにいらなくなっただけの、消すのを忘れた一文なのかもしれないけどさ。

 なんだか気になるんだ。

 真っ赤な魔術式の内容は、「++++により発動する」だ。++++には、他の魔術式で特定された名前が入るはずだ。


「この呪いの場合は、箒スズメだな」


 言ってから、自分に違和感をおぼえた。


「本当か?」


 ……エミリア嬢でいいのかな?

 ほかの部分では、「名前」はすべて「エミリア・チャップマン」が入るように組み合わされてた。だから、これもエミリア嬢だと思ったんだ。

 だけど、そうじゃないかもしれない。


「グラン・グランのような魔法の異才で偏狭者が、こんなみおとしをするか? みおとしでないなら、この魔術式はそんなに単純なものか?」


 赤い文字に意識を集中させたら、視界がそれで埋まる。++++に指先を近づけた。実体の指はここにないけど、気持ちのうえでだ。


「エミリア。……エミリア・チャップマン。……オードリー」


 関連しそうな名前を、いくつか魔術文字で書き入れてみた。でも、なにも起こらない。これは当然で、他の魔術式と連動して動くはずだから、これ単体に書きこんでも変化はないはずなんだ。

 意味がないって思いながらも、だらだらといろんな名前を書いていく。集中力が切れてきたかんじだなぁ。名前入れの遊びをして、息抜きにするか。


「アルバート。ルイーズ。ノア。ティリー。イスヴェニア王国。……グラン・グラン。……シィレ」


 「グラン・グラン」と書いたときは、ひょっとしたらなにか起こるかもしれないって少し期待したけど、魔術式は作動しなかった。グラン・グランの正式名は知らない。というか、グラン・グランって本当の名前なんだろうか。

 そうだ、本名といえば。


「シンティラーレ……うああぁっ!?」


 シィレの本名というか長い方の名前を書いたとたん、魔術文字が膨れ上がった。

 いきなり文字の密度が上がった。一魔術文字が、さらに緻密な文字の集合だった。その緻密な文字の中にもまた文字がある。文字の中の文字の中の文字。それがぜんぶほどけて、砂嵐みたいに渦巻いて、そして一つの魔術式を作った。

 なんじゃこりゃー!

 出現した魔術式を慌てて解析した。いったいどんな効果があるんだ。オードリー嬢の呪いは理解したと思ってたけど、俺の予測は違ってたんだろうか。こんな凝った仕かけをしてるんだ。もしかしたら、俺は致命的なみおとしをしてるのかもしれない。

 この魔術式は、ほかの魔術式とどう作用するんだ。オードリー嬢の体や心を攻撃したりしないだろうな。

 怖くて、震える。でも、放っておくわけにはいかない。だから俺はこれまで以上に慎重に、新しい魔術式を読みこんでいった。

 展開をイメージする。

 実際に発動させはしないけど、模擬実験で思い描く。


「……嘘だろう」


 新しく出現した、ものすごく複雑な魔術式がどう働くのかわかって、俺は最初自分の模擬実験がまちがったんだと思った。でも、何回やっても結果はおなじだった。

 本気か、グラン・グラン? なんでこんなの作ったんだ!?

 オードリー嬢に害はないと思えたから、仮の空間を作ってそこで魔術式を発動させてみた。


「ウケケケッ」


 緑の小鬼が現れた。

 小鬼は、頭と腹が大きくて手足は細い。しわくちゃの顔の中に、細い目と横に長い口がある。いじわるそうで卑屈そうでこすっからそうで、なんというか百人中百人がムカつくだろう外見だ。

 俺の膝までくらいの大きさの小鬼が、こっちに尻を向けてペンペンッと叩いた。


「シッシッシッシッ、シンティラーレ! ブスブス、ドブス! ドブスなんざ、ドブにはまって死んじまえっ! ブースブスブスブス精霊! ド・ブ・スー!!」


 小鬼が大きく口を開いて舌を突き出すと、レロレロって上下に動かした。それから鼻の穴に親指を突っ込んで、「ブーッ」と叫んで、残りの指をピラピラと振る。


「シィレ! 性悪!! シィレ! 害悪!! シィレのシの字は尻軽のシー!」


 なんじゃこりゃー!!

 二度目の叫びだった。これ、オードリー嬢の呪いと関係ないじゃないか。ただのシィレへの悪口だ。

 なんでこんなの仕込んだの、グラン・グラン。

 シィレとケンカしたときに作ったとか? 俺には、天才大魔法使いの考えが、これっぽっちも理解できない。

 この魔術式を、ピンクで区分けした魔術式に組み込んで解呪したら、この小鬼が現実世界で具現化したはずだ。魔力を集めて実態をもたせて、シィレの悪口を叫びまくっただろう。外部からの魔力供給がなければ小鬼は消滅するけど、それでも一週間くらいは悪口をふれまわったんじゃないかな。

 そうしないためには、発動条件を踏まえたうえで、この魔術式を単体で取り除かなきゃならない。


「わけが……わからん……っ!」


 小鬼は「カーッ、ペッ!」って痰を吐き出しながら、シィレはこの痰以下だってわめいてる。

 シイレが解呪するって思ってたわけじゃないだろうに、どうしてこんなのを混ぜておいたんだよ。もし、自分の魔術式を解析する人間に嫌がらせがしたかったなら、それは成功だなあ……。

 もう、やだ。疲れた。早く終わりたい。

 でもこんな罠をみつけてしまったら、ほかの魔術式は大丈夫かって不安になってしまうだろう。

 おかげで俺は、グラン・グラン作の魔術式を再検査する羽目に陥った。そして問題がないと結論づけてから、一つひとつオードリー嬢の魔力から外していった。

 その間中、俺はずっと、「シィレはドブスゥ、ドブスはシィレェ」の歌と踊りを浴び続けたのだった。

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