第4話 魔法使いと魔法紋

 今年の夏の小茶会は、始まりこそなごやかだったけれど、参加していた子どもたちの多くが突然倒れるという怪異で突然の閉幕になった。子どもたちの八割以上が、気を失ったままそれぞれの家に運びこまれた。でも、半日くらいでみんな意識をとり戻した。

 そういったことを、俺はあとから知った。

 夕陽がまぶしくて、目が覚めた。


「ぶくぶくの尻神……」


 ぼんやりかすむ視界に、天蓋の装飾画が映る。茶色い髪をした大地の女神のまわりを、太った裸の赤んぼうみたいな子神が五柱飛びまわってる。一柱はつやつやした尻をこっちに向けて、もう一柱はわざとらしくて小憎らしい笑いを浮かべてる。

 うん、自分の部屋のベッドだな。尻子神と嘲笑子神に見下ろされるのがムカつくから、いつかベッドを換えてやろうと思ってる。

 上半身を起こしたら、なにかが胸にぶつかってきた。勢いが強すぎてそのまま倒れこんで、背中とシーツがすぐに再会を果たす。


「兄さま、気がついた!? 気分はどう、ねえ、ノア兄さまっ」

「ぐぇ、ゲボボ、ガホッ」


 ティリーだった。胸に頭突きをくらって、ぎゅうぎゅう抱きしめられて、肺が押しつぶされる。苦しい。しかし妹の激しい愛情表現を笑って受けとめるのが、兄の器量の大きさというものなのだ。

 だから俺は、「平気だよ。えっと、どうして俺はベッドで寝てるんだっけ?」と返そうとした。


「ハッ、俺が無事かだと? 当然だ、きくまでもない。俺を、そこらの凡百どもとおなじだとでも思っているのか。おまえ風情が俺の心配をするなど、おこがましいにもほどがある!」


 俺はいま、なんて言った?

 ものすごく高慢な声だった。ティリーがパッと頭を上げる。俺の意識がもどったときは半泣きになっていたけど、驚きのあまり涙は引っこんでしまったようだ。

 俺は、ベッドに押し倒された格好で、しばらくティリーと顔をつきあわせていた。

 あああ、やってしまった。

 目が覚めるより先に、意識に叩きこまれたことがあった。


 ――俺は、呪われた。

 ――呪いの内容を自分以外の人間に知られたら、生涯解けなくなる。

 ――この呪いは、三年後の一月末に解呪される。


 呪われた人間は、みんなこの条件を脳裏に刻まれたんだろう。俺は、精霊契約のせいでもっと多くの条件を課されてしまったけどな。


 ――ティリーの呪いをノアが受ける。

 ――ノアの成人の儀までに解かれなかった呪いは、すべてノアに降りかかる。

 ――他人を解呪するときは、本人にノアの仕業だと知られてはならない。知られたら、相手の呪いがノアに降りかかる。

 ――精霊契約について他人に知られてはならない。知られたら、相手の呪いがノアに降りかかる。


 それだけでも気が滅入るのに、俺がティリーの身代わりで受けた呪いはというと。


 ――神のように振る舞う。


 これだった。

 神みたいってどんな態度だよっていいたかったけど、覚醒してすぐ実践で思い知る羽目に陥った。

 俺を心配してくれる大事な妹に、ひどいことを言ってしまった。

 暴言を吐かれたティリーは、きょとんとしている。


「どうしたの、兄さま。変な夢でもみたの?」


 ティリーの手が頭におかれた。俺が乱暴なことを言ったのは気分が悪いせいだと思って、慰めるためにせっせとなでてくれる。うれしい。やさしい妹をもって、俺は世界一幸せなお兄ちゃんです。


「さわるな、うっとおしい。どけ、下種が」


 こんなに喜んでるのに、どうして俺はひどいことを言ってしまうんだ! 「神のように振る舞う」って、なんの神さまだよ。傲慢の神か、暴言の神か? きいたことないよ、そんな神。

 とにかく俺は、世界で一番自分が偉いと信じてる人みたいに、高慢にしか振る舞えなくなっていた。

 呪い、オソロシイ。

 ティリーは俺が本格的におかしいと気がついて、「兄さまがヘンー!」と叫んだ。それをききつけた使用人たちが駆けつけてきて、ベッドのまわりがてんやわんやになる。そしてみんな、俺に罵倒されてポカンとした。



*****



 多少なりとも事情がわかったのは、二日後だった。

 その日の夕方、父さまがげっそりした様子で王城から帰ってきた。自室で待機するようにいわれてた俺のところにやってくると、人払いをして重いため息をついた。

 父さまと、テーブルをはさんで向かいあって座った。


「ノア、おまえに話すことがある」


 カーティス伯爵家は、のんびりした家だと思う。父さまの口癖は「無茶せず、無理せず、ほどほどに」だ。王城で文官をやってる父さまより、領地と王都を行き来して実質伯爵家の財産管理をしてる母さまのほうが活発で、口癖は「元気が一番、二番は健康、あとは笑顔があればいい」だ。

 俺は子どもだから知らないことは多いだろうけど、貴族のつき合いでめちゃくちゃ問題があるとはきかないし、お金にすごく困ってるようでもない。かといって、とくに裕福というわけでもなさそうだ。

 父さまがいうように、ほどほどにすごしてる家門なのである。


「おまえは年齢より理解力があるし、なにより魔法についての才がある。だから、私がきいた内容をそのまま伝えることにしよう」


 息子の俺がいうのもなんだけど、父さまは中肉中背、黒髪青い目、わりとどこにでもいそうな顔立ちの、のほほんとした人だ。

 だから、父さまがここまで陰鬱な表情をしているのをみたのは初めてだった。


「もしわからないことがあれば、訊ねればいい。その、怯えなくていいからな」


 父さまは、眉間を指でもみながら話し始めた。


「おまえは、大魔法使いグラン・グランについてどんなことを知っている?」

「俺の叡智を、おまえに理解できるわけがない。身の程を知れ、不愉快だ」


 父さまが、「あ、そうだった」という顔になる。この二日間、俺は周囲に偉そうな態度をとりまくっていた。だから父さまは、俺はいまそんなふうなんだって受けとめてくれたようだ。

 父さまの話の前半は、だいたい知っていることだった。

 大魔法使いグラン・グランは、生きていた当時、国で一番の魔法使いとみなされていた。功績としては、西の谷での隣国との抗争を一日で終わらせたとか、不治の病とされていた血沼病の治癒薬を調合したとかが有名だ。真偽があやしいところでは、王城の古代結界を再構築したという噂もある。そもそも、いま王国で使ってる魔法や魔道具の多くは、グラン・グランが開発したり彼女の魔法を応用したものだ。

 悪名の方は、新しい魔術式を試して山を一つ消してしまったとか。騎士団「竜の爪」に幻覚をみせて、三日三晩翻弄したとか。デウマニア皇国の皇帝と賭けをして、イカサマをやったとか。これまた多数ある。

 歴史書には、グラン・グランは人嫌いだけどやたらからんできて、いつももめ事を起こしてたって書かれてた。挿絵では、顔も体も横に大きくて、うねった黒緑っぽい髪をした沼ガエルみたいなかんじだった。とにかく、善かれ悪しかれ逸話には事欠かない大魔法使いだ。

 そんなグラン・グランは、イスヴェニア王国暦九三一年に老衰で亡くなった。彼女が住んでいた屋敷には、さまざまな魔法や魔道具、それから意図も用途も不明な書き物や品物があふれていた。親しい家族といえる人はいなかったけれど、死後に関係を名乗り出た人たちのせいで、七〇年近くたったいまも遺産をめぐる争いが続いている。


「グラン・グランが残したものの一つに、『バカの箱』と呼ばれるものがある。正式名称は『グラン・グランの遺産第六種第七一四番第二号「ゴミ箱(バカ用)③」』という」


 やっと知らない情報が出てきたけど、ひどい名前だな! 箱のフタに乱暴な字で「ゴミ箱(バカ用)」と書いてあったから、そう呼ばれるようになったらしい。


「生前に仕えていた使用人の話では、グラン・グランは実用性がないと思った魔法の一部をその箱に封じていたらしい。国としては、『バカの箱』は緊急性が高くなさそうなうえ、やたら強固な封印がされていたから、他の遺産の検証を優先させていた。だが最近、『バカの箱』の相続を主張する者が現れて、自分なら箱を開けることができると主張した。そこで王城の裁判所に召喚して、審議をすることになったんだ」


 話がみえてきた。その「バカの箱」が、精霊がいってた「黒の箱」なんだろう。ゴミ箱だっていってたしな。


「王都第一裁判所は、王城の東門から入ってすぐの法務局にある。おまえたちが参加した夏茶会は、隣接する東翼の憩いの間で開かれた。『バカの箱』の審議と茶会は、おなじ日に開催されたんだ」


 なんてひどい偶然だ。

 遺産相続申立人は、バカの箱をまっとうに開けることはできなかった。そこで無理やりこじ開けようとして封印を半壊させ、中に入っていた魔法を飛び出させてしまった。

 そこまで話して、父さまはいったん話を止めた。天井を見て、窓の外を見て、床を見て、ベッドの端のあたりを見た。俺を直視することを避けつつ、あー、うー、と言いよどむ。


「『バカの箱』の魔法は、どうも……何人かの人間に降りかかったようでな。とくに魔力がまだ未発達の子どもや魔法耐性の弱い者がとりつかれやすかったそうだ。そのせいで、夏茶会前とは変わったふうになった者がいる、らしい」


 俺みたいにか。俺みたいにだな。

 国は、バカの箱に入っていた魔法の解明を急いでいるけれど、現時点でわかっていることはたいしてない。魔法の内容も、それがいくつあったのかも、誰が魔法にかかったのかも正しく把握はできていない。それが現状らしい。


「『バカの箱』の魔法は、魔法というより、アレらしい。特定の人物に、特定の現象を引き起こす、いい方向には働かない、継続する、のろ……というか、あの、だな……」

「呪いだ。いくら愚図でも、それくらいはっきり口にしろ」

「ノア! 言ってしまっていいのか!」


 父さまが悲鳴を上げた。どうしたんだ?

 そうか、俺が「呪い」って口にしたからか。

 この二日間の調査で、箱の魔法が呪いとして降りかかったということまでは突きとめたんだろう。そして呪われたっぽい人に話をききだそうとして、呪いの内容をもらすと大変なことが起こるらしいということまでは推測できた。だけど、グラン・グランの魔法を「呪い」と断定することがマズイのか、それとも呪いの中味を知られることがマズイのかまでは特定できていないということかな。


「たかが呪いごときが、俺に影響をおよぼせるわけがない」


 いや、めちゃくちゃ影響受けてますけどね! もう泣きそうなくらい困ってます!


「つまり、あの魔法を『呪い』と呼ぶことは問題ないんだな。それがわかっただけでも朗報だ」


 父さまから、それ以上の目新しい情報はもらえなかった。夏茶会での事件については王宮で調べてるっていってたから、ちょっと期待してたんだけどな。でも、本人から呪いについて聞き出すのは難しいんだろう。呪われた当人も、どの情報をどこまでもらしたら生涯呪われるのか、わかりにくいだろうし。


「しかし魔法耐性があればいいなら、ノアが呪いにかかるはずがないんだが」


 父さまが不思議がってる。精霊のいったとおりなら、俺は夏茶会に呪いが振りまかれてもかからずにすむ人間の一人だったはずだ。

 俺には並の大人の魔法使いよりよっぽど多い魔力があるし、魔法耐性だってバッチリだ。

 人間は誰でも魔力をもってる。魔力は血や肉みたいにしぜんに体内で作られるもので、魔力がなければ死んでしまう。人間だけじゃなくて、動物も植物も、土も大気もすべてのものがなんらかの魔力をそなえてる。

 魔力量は、人によって違う。生きるために必要な量以上の魔力をもっていたら、それを体外に出すかたちで魔法が使える。こういう人が、魔法使いって呼ばれる。ただし魔力を魔法に変換するには、通常は特殊な仕かけがいる。


『イスヴェニア王国は、とくに魔法がさかんな国なんですよ』


 ふと、カーター先生の授業を思い出した。父さまの遠縁で三十代のカーター先生は、イスヴェニア王国史と大陸史、それから外国語の先生だった。俺とティリーは、彼女が学園に入るまでおなじ家庭教師について勉強してた。いまは、領地経営に関することだけ屋敷で一緒に授業を受けてる。

 この国の人間は、十歳から十二歳くらいのあいだに魔力量を測量するための鑑定式を受ける。そこで一定以上の魔力量があるとわかったら、次に魔法を使える者、つまり魔法使いになるかどうかを決める。

 魔力が多い人は、ほぼ全員魔法使いになることを選ぶらしい。


『魔法使いのあつかいは、国によってかなり違います』


 魔法はカーター先生の担当じゃなかったけど、歴史や外国について教わるとき、どうしても避けては通れない話題だった。


『魔法使いがとても少なくて、大事にされている国があります。反対に、怖いものだと思われて、差別を受けている国もあるんです。だからイスヴェニア王国みたいに、国民の八割以上が魔法を使えるところは、大陸の中でもめずらしいんですね』


 この国では、魔力があって魔法使いになりたい人は、属性を測られる。魔力自体に属性はないけど、人によって使いやすい魔法は違う。大きく分類すると、物理面に働きかけるか、精神面に働きかけるか、生命面に働きかけるかだ。

 物理面っていうのは、自分の外の世界に影響する力だ。火を燃やしたり、水を流したりするのはこの魔法だ。

 精神面は、おもに人間の精神にはたらきかける。喜怒哀楽の感情を増大させるとかね。興奮状態を持続させることで狂戦士状態にすることもできるけど、怪我をしなくなるわけじゃないから、そんな使い方は違法だ。

 生命への魔法は、人間の場合なら体にはたらきかけるものになる。五感を増大させたり身体を強化したり、肉体の損傷を回復させたりすることができる。物理・精神・生命以外への効果がある魔法は特殊面の魔法に分類されるけど、使える人はあまりいない。

 一般的な人間はさっきの三つのどれかの魔法に属してて、属してる中の一つから三つくらいの魔法が使える。物理魔法の中の火魔法と大気魔法が使えたら、二つの魔法種をあつかえるってかぞえかたになる。


『ではマチルダさま、イスヴェニア王国でたくさんの人が魔法を使えるのは、体になにを刻んでいるからでしょう?』

『はい、カーター先生。魔法紋です!』


 体内にどれだけ魔力があっても、そのままでは魔法にはならない。魔法っていうのは、魔力に一定の性質をもたせて体外に出したものだ。たとえば魔力に「火」っていう性質をもたせて放出したら、それが「火の魔法」になる。

 ただし普通の人は、魔力があるだけでは、それに性質を付与して魔法にすることはできない。

 この不可能を可能にするのが魔法紋だ。魔法紋には二つの作用があって、一つは魔力を自分の体の外に出せるようにするためのものだ。魔力は体をめぐってるけど、自分の意思で出すことはできない。血は血管を流れてるけど、いくら気合を入れたって自由自在に血をピュッて噴出させられないようなもんだ。

 魔法紋のもう一つの作用は、魔力に性質をあたえるっていうものだ。火の魔法紋を通った魔力は、火の魔法になる。といっても火魔法の属性がない人間が火の魔法紋を使っても、魔力に火の性質がつかなくて、ただ魔力が体外に出ちゃっただけになる。

 この二つの作用が魔法紋には組みこまれている。魔法紋は、たいていは直径が三シーエムくらいの円形で、体のどこかに刻むことで魔法が使えるようになる。


『カーター先生、魔法紋がないころって、みんなどうやって魔法を使ってたの?』

『魔法紋なしでも魔法を使える人はいましたが、その数はとても限られていたんです。大昔は、ほとんどの人間は魔力があっても魔法を使えませんでした。当時の人たちが、いまのようにみんな気軽に魔法を使っているところをみたら、きっとびっくりするでしょうね』


 ――というのが、一般的な魔法や魔法使いについての説明だ。

 でも、俺は、魔法については例外なんだよなあ。自分のことは平凡な小心者だってわかってるけど、魔法だけは常識に当てはまらない変わり種なんだよね。

 俺の魔法に、魔法紋はいらないんだ。

 父さまが、ちらっと俺の様子をうかがう。


「夏茶会当日の状況を知るために、ティリーにも話をきいてな。子どもたちが倒れる直前、おまえはなにかからかばうようにティリーを抱きしめたときいた。ひょっとして、おまえが、その、そうなったのは、妹の身代わり――」

「ただの憶測を口にするな。それしきの判断能力もないクズか!」


 驚いた。俺がティリーに手を伸ばしたっていうだけで、そこまで推測してくれたんだ。それくらい俺はティリーを大事にしてるんだってわかってもらえた気がして、すごくうれしかった。

 父さまの考えは正しいけど、肯定したらティリーが気に病むかもしれない。だから、ここだけの話にしてねって頼みたかった。だけど俺の口は父親をクズと罵ってしまった。ごめんなさい!


「あ、ああ、そうだな。たしかに私の憶測でしかないし、よけいなことを言うのはやめておこう。とにかく、この件については、国を挙げて解決策を探している。だからおまえは、心配せずゆっくり休むといい」


 最後にそう言って、父さまは部屋から出て行った。

 ベッドで寝てれば問題が解決するなら、ぜひそうしていたい。でもゴロゴロしたくても、そうはできないんだよなあ。不本意ながら、この呪いについては俺が一番事情を知っている人間なんだ。

 ほんっとうに、不本意なんだけどね!

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