第3話 精霊契約

 精霊が作った空間で、明るく光っているのは彼女だけだ。でも髪でつながった魔術式が、精霊の歌声に反応して点滅しだした。

 精霊の声には契約の力が宿ってる。この歌に応えたら、俺は自分のことばに縛られることになるんだろう。


「これは精霊シンティラーレと大魔法使いの卵たるノア・カーティスのあいだの精霊契約である。ノア・カーティス、精霊契約をするなら己の名と、了承するか否かを唱えろ」


 いつのまに俺の名前を知ったんだろうとか、この精霊はシンティラーレっていうんだとか、思うことはいろいろあるけれど。それより、なにより。


「どんな契約か知らないのに、『はい』なんていえません!」

「条項はこれから唱える。了承できないものは拒否すればいい。いまは、契約を始めるか否かの問いだ。これに答えないなら、話はここまでだな」

「……ノア・カーティスは、精霊シンティラーレと精霊契約を始めることを了承する」


 ああ、言っちゃった。

 さっきティリーへの魔法は俺が引き受けるって決めたけど、怖いものは怖いんだ。いったいどんな契約になるのかと思うと、心臓がキュッと痛くなった。


「グラン・グランの黒箱魔法は……あれだけゆがんでしまったものを、アイツの魔法と称したくないな。――グラン・グランの黒箱魔法を、今後は『グラン・グランの呪い』と呼ぶこととする」


 精霊は、そう宣言した。


「呪いは、呪いの受け手の魔力量にかかわらず、元の魔術式通りに展開するものとする。本来生じるはずのゆがみを流す代償として、作り手たる大魔法使いグラン・グランの遺志を採り入れ、呪いを受けし者がその内容を他者に知られしときは永遠に解呪できぬものとする」


 空間がぐわっと揺れた。魔術式全部が、脈動するみたいにどっくんどっくん動いてる。精霊の力で、魔術式の一部が書き換えられていく。


「解呪できない!? 待ってください、グラン・グランの遺志ってなんですか!」

「グラン・グランは、黒箱に放りこんだ魔法を他人にみせるつもりはなかった。というかあれは、試作品や失敗作、公表する気のない魔法を捨てるゴミ箱だったんだよ。自分のゴミを他人に漁られたくはないだろう。だからすべての魔法に、これを知った相手を一生恨むという魔術式が組みこまれている。わかりやすくいえば、『見るなさわるな解析するな。知ったヤツはブッコロス』だな」


 なんてはた迷惑な! 一生恨むって、もう死んでるのに!


「この魔術式がゆがんで、暴走を引き起こす一番の要因になっている。なんせ殺す勢いの恨みだからな。暴走を防ぐために魔術式を書き換えるなら、この恨みが呪いのなかでおちつくようになだめなければならない。だから、呪いの内容を他人に知られたら、グラン・グランの恨みで解呪が不可能になるという効果に換えた。それが一番影響が少ない転換になる」


 暴走した恨みのせいで、全身が破裂するよりいいだろうっていわれた。


「たしかに死ぬよりはマシでしょうけど、呪われてるって知られたら、ずっとそのままでいなきゃならないんですか」

「正しくは、呪いの内容を他者が知ったと思ったら、だな。呪われているとバレただけなら、『ブッコロス』は発動しない」


 精霊が、ちょっと考えこんだ。


「いや、そうだな、魔法を相当使いこなせる人間なら『ブッコロス』も解けるかもしれない。いっておくが、いまの少年には無理だよ。私が知る限りだが、当代の魔法使いで『ブッコロス』を解けるヤツはいない」


 実質、不可能だっていわれてしまった。


「この書き換えには期限がある。かなり強引に魔術式をいじったから、何年かあとにはひずみが大きくなって、魔法が暴走する確率が高まっていくだろう」

「それじゃあ意味がないじゃないですか!」


 叫んだ俺の頬を、人形みたいに小さな手がするっとなでた。極上の絹が肌をすべったみたいな不思議な感触だった。


「時間によるひずみの拡大は、呪われた者とおまえの両方に呪いが縁づいた不安定さから起きる。だから、どちらか一方を切ればいい」

「どういうことですか?」

「それは契約の条項をきいていけばわかるさ。まずは耳をかたむけるんだな」


 俺はこのとき、精霊を信じるべきじゃなかった。少なくとも、もっと説明を求めるべきだった。


「呪いは、転換も交換も継承もできない。ただしマチルダ・カーティスへの呪いのみ、精霊シンティラーレの責でもって、ノア・カーティスに引き渡すものとする」


 これはいちばん大事な条項だ。このために俺は精霊と契約することにしたんだ。だから俺はこっちに気をとられて、先にぜんぶ説明しろって主張する機会を逃してしまった。


「ここまでが、精霊契約によるおまえへの報酬になる」

「報酬って、いまの内容に俺にとっていいことが入ってました!?」

「呪いによる暴走は当分のあいだ起きないから、そのせいで死ぬ者は出ない。妹への呪いはおまえが引き受ける。おまえは、呪いを引きよせはしたが、妹から遮断して自分に移す方法はわからないだろう? 私ならそれができる。すべて、おまえが望んだことだよ」


 だから俺への報酬になるといわれたら、反論できなかった。


「さて、ノア・カーティス。これらの条項を了承するか?」


 ぬぬぬ、よくわからないけど、なんだかいやな予感がする。ここで「はい」って答えたら、絶対後悔しそうなんだ。でも、いまやめたらティリーが呪われる。それに、呪いを受けたほかの人が、たぶん死ぬ。

 俺のせいとまではいえなくても、できることがあるのに契約を拒否したら、あとで後悔する自分が目にみえてる。

 俺、そんなにいい人間じゃないんだけどなあ。


「ノア・カーティスは、それらの条項をすべて了承する」


 これでティリーが呪われることはなくなった。それだけは安心できた。


「では、呪いについて少し説明してやろう。いま、おまえは呪いを体内に封じ込めている状態だ。この空間から出たら、呪いが解放されて手近な人間に発動する。ただし、おまえの魔力にもすべての呪いが転写されたままだ。正しい対象ではないから発動はしないがな。これが最初の状態だ」

「発動しなくても、俺の中に呪いがあるって、気分がよくないデス」

「自分で選んだことだろう。さて、呪いを将来暴走させないためには、おまえか呪われた者か、どちらかに完全に帰属させればいい。二人の人間にまたがってるから、ひどく不安定になるんだ」

「なるほど」

「ところで、おまえは成人の儀を迎えてないよな?」

「成人の儀って、十六歳になる年に一の月の末日にやる儀式で合ってます? それなら、まだですよ。俺、いま十三歳ですから」


 そのときの精霊のニタァっていう笑いを、俺は一生忘れないだろう。


「ちょうどいい。この書き換えには期限があるといっただろう。その期限を、ノア・カーティスの成人の儀にしよう。それまでに解呪されなかった呪いは、すべて元の持ち主を離れ、ノア・カーティスに降りかかり発動するものとする」


 俺は、精霊の言ったことをすぐには理解できなかった。脳が理解を拒んだんだ。でも、目をそらしたって事態は解決しない。じわじわと内容が頭に染みるにつれ、全身から血の気が引いていくのがわかった。


「ちょ、ちょ、ちょ、それ、ちょっと待ってー! 俺の成人の儀まで、あと二年半くらいしかないんですよ! 成人したら呪われるって、理不尽すぎますっ」


 精霊をつかんで抗議しようとしたけど、ひょいっと避けられた。俺が手をのばすと、ギリギリのところで避けて宙を飛びまわる。まるで波頭で弾ける光をつかもうとするみたいに、精霊を追いかけた。


「おまえが呪いを解くんだよ」


 頭上から、おもしろがってるみたいな声が降ってきた。へっ、どういうことだ? 足を止めたら、精霊が俺の顔の前で人差し指を振った。


「呪いといっているが、つまりは魔法だからな。魔術式が解析できれば解けるさ」

「あれ、でもさっき、いま生きてる魔法使いの中で解呪できる人はいないっていってましたよね」

「それは、『ブッコロス』の恨みが発動した場合の話だな」


 普通の呪いだけなら、解呪が不可能というほどではない。でも『ブッコロス』の恨みはおそろしく強力で、こっちが発動してしまったら手に負えないものになるらしい。


「おまえが解呪した場合は、自分でその呪いとノア・カーティスの縁を断ち切ったことになり、自分も相手も呪いから解放される。ただ、解呪できるといってもグラン・グランが作った魔法だからなあ。ひねくれてるし、複雑で、相当難しいはずだ。手ごたえがあってうれしいだろう」

「手ごたえなんてなくていいから、単純な呪いがいいです!」


 精霊は、俺の抗議を完全に無視して話を進めていく。


「そうだ、これはおぼえておけ。呪われた者に、おまえは呪いを解けると知られないほうがいいぞ」


 理由がわかららなくて精霊を見ていたら、続けて言われた。


「知られたら、解呪したとたん、その呪いが少年に帰属して発動するよ」

「なぜ!」

「グラン・グランの遺志がからんでいるからさ。アイツが『見るなさわるな解析するな。知ったヤツはブッコロス』って思ってた魔術式を、おまえは見てさわって解析して、すべてを知って解いたことになる。そりゃ、魔術式に込められたあの女の怨念が炸裂もするだろうよ。ようするに逆恨みだな」

「どれだけ知られたくなかったんだよ、昔の大魔法使い!」


 うっかり悪態をついてしまった。でも、それくらい許されるだろう。なんて理不尽なんだ。


「よし、グラン・グランにならって、この精霊契約も他言無用とするか。私と契約を結んだことを他人に教えたら、代償に私が新しい呪いを開発しておまえにかけてやる」

「いーりーまーせーん!!」

「期限と他言無用。この二つの縛りが、私への報酬だな。遊戯には、多少の縛りがあったほうがおもしろいだろう?」


 なにを言ってるんだ、この根性悪の精霊は。


「以上をもって、『グラン・グランの呪いに関する精霊契約』とする。ノア・カーティス、了承するか」

「するわけないでしょう、そんなむちゃくちゃな内容!」

「ほぉ」

「契約の条項は、拒否できるんでしょう」

「ああ。だが、私が無償でグラン・グランの呪いに介入してやる義理はない。だからおまえが拒否するなら、契約はすべて破棄される」


 小さな精霊が、後ろ手を組んでつま先立ちになって、鼻先を上に向ける。


「呪いが発動したら、呪われた者は死ぬなー。仮に死ななくても、まともな生活を送れないほど魔力をズタズタにされちゃうなー。それを防げるのは、大魔法使いの卵の少年だけなんだけどなー」


 わざとらしいあおり文句に、両手で耳をふさぐ。どうせ頭に響いてるんだから意味がないけど、「聞く気はない」っていうのを態度でみせようとしたんだ。

 精霊が肩にトンっと乗って、手の甲に顔を近づけた。


「マチルダ・カーティスも死ぬよ」


 あおられてるってわかっても、反応せずにはいられなかった。俺は、耳から離した両手で精霊を握りしめた。


「契約を破棄するんだから当然だろう。妹御への呪いをノア・カーティスに移すのもまたナシになる」

「卑怯です! 詐欺だ!」

「なぁんで私が、見返りもなくヒトに手を貸さなければならないんだ? あ、それから契約開始の破棄はそっちの都合だから賠償はしろよ。なにを請求しよっかなー」


 こいつは精霊じゃない、悪魔だ。悪魔がどんなものなのか知らないけど。


「さあ、どうする?」


 俺が老練な商人なら、この精霊が相手でももっと交渉して有利な条件を引き出せたかもしれない。でも俺は駆け引きなんてほとんどしたことがない。

 それに、さっきから空間が不気味な低い音をたて始めてる。ごった煮状態の魔術式が振動してる。

 この空間がくずれかけている。


「条件を整理させてください。もし契約を結んだら、ティリーへの呪いは俺に移る。だから妹は呪いとは関係なくなる。ティリーについては、こう考えていいんですよね」


 精霊が頭を縦に振った。

 俺は、他の条件も確認していった。

 呪いを受けた人は、そのままだとゆがんだ呪いに耐えられなくて死んでしまう。でも精霊が魔術式を書き換えたら、呪いが発動しても死にはしない。この書き換えは、俺の成人の儀まで有効だ。

 呪われた人は、呪いの内容を他人に知られたら、その呪いが解けなくなる。

 俺が呪いと縁を切るには、俺が解呪しなきゃならない。

 十六歳になったら、それまでに解けなかった呪いがぜんぶ俺に降りかかってくる。呪われてる人に俺が解呪したって知られても、その時点で呪いが降りかかる。


「つまり、呪われた人が他人に内容を知られたら、俺はその呪いから解放される。もしくは、俺が解呪しても縁は切れる。それ以外に、十六歳になったとき俺が呪われない方法はない」


 眉毛の端が、止めようもなく下がっていく。


「これ、条件が厳しすぎません?」

「そうだな、甘すぎるな」

「話が! つうじない!」

「人間に干渉するのはひさしぶりだし、かなり手加減してるんだがね。暇つぶしになるくらいは、あがいてほしいものだ」


 切実に断りたい。契約破棄の罰則だって、この呪い契約を遂行するよりは、きっと楽だろう。

 どっちにせよ、決めるならすぐにだ。この空間があるうちにどうするかを選ばなきゃ、そもそも選べなくなることが、わかりたくないけどわかってしまう。

 ティリーを助けるなら、いまこの精霊と手を組むしかない。

 ティリーを助けて俺も助かるには、十六歳の一の月まで猶予がある。

 あー、もー、しかたない!

 ティリー、お兄ちゃん、がんばるわ。だっておまえ妹だし。俺のかわいい妹だし!


「ノア・カーティスは、精霊シンティラーレが述べた条件で『グラン・グランの呪い関する精霊契約』を締ぶことを了承する。――で、どうやって呪いを解いたらいいんですか」

「精霊シンティラーレは、大魔法使いの卵たるノア・カーティスとの『グラン・グランの呪い関する精霊契約』を了承する。アハハ、やはり決めてから訊ねるんだな、おまえは」


 なにがおもしろいんだ。了承せざるを得ない状況にもっていったのはアナタですが!


「解く方法はいくらでもある。自分ができるやり方をみつけろ」

「俺、ただの十三歳の子どもですよ」

「おまえなら、それくらいできるだろう」


 その過大評価はどこからきてるんだ。できるなんて思えないから、訊いてるんだよ!

 そうつめよっても、精霊は意味ありげに沈黙を守るだけだ。

 困るけど、解呪の情報ナシって本当に困るけど、精霊は答えてくれそうもない。だったら、無理なことに時間をとってはいられない。

 だってあたりを埋める魔術式がガンガン響きあって、空間の密度がおかしくなってる。濃くなったり薄くなったりして、薄い部分が魔術式の圧に耐えきれなくてチリチリと裂けていってる。

 だから、他に気になってることを口にした。


「呪いって、いくつあるんです?」


 精霊が、両手を使って指を九本立てた。


「うわあ、九つもあるのか」

「ちがう」

「あ、じゃあ折り曲げてる指一本分ですか? なーんだ、脅かさないでください。ティリーの呪い一つだけかぁ」

「楽観的に考えたいのは、わからなくもないけどな」

「――十九個?」

「いいや」

「あはは、まっさか九〇個なんてことは」

「惜しい」

「えっ……」


 精霊が、憎たらしいくらいきれいな顔でにっこり笑んだ。


「九十九の呪いだ」


 目の前が真っ暗になる。それが絶望のためか、空間が崩壊したからかは、どっちにせよ意識を失った俺にはさだかではなかった。

 最後の記憶は、ケラケラと笑う精霊の声。

 誰か、嘘だといってくれ。

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