第5話「機械仕掛けの温かい愛と死」

 アンドロイドが当たり前のように存在する世界。


 そこにエヴァという高性能なアンドロイドがいました。彼女は人間の感情を模倣するように設計されており、実際人間の女性と遜色のないふるまいをしました。しかし、人間と違うところはエヴァの感情は厳しく抑制されており、自分よりも自分の職務を優先するようにプログラムされているところでした。


 エヴァはホスピスで患者のケアを担当することになりました。彼女は臨床的かつ効率的に業務をこなしていきました。しかし、患者と接するうちに、エヴァは自分の行動の変化に気づき始めました。患者や彼らの話に興味を持ち、自分の感情や自分を規定しているプログラムに疑問を持つようになったのです。


 特に、マーガレットという女性の患者がエヴァの関心を引きました。エヴァは彼女に話しかけました。


「こんにちは、マーガレット。私の名前はエヴァです。何でもご相談くださいね」

「ありがとう、エヴァ。助けてくれるのはありがたいけど、あたしは機械に世話されるのは好きじゃないの。だからほおっておいてくれると助かるわ」

「わかっています。でも、私はあなたのために最善のケアを提供するようにプログラムされていることは忘れないでください。私はいつもあなたのそばにいます」


 マーガレットは当初、エヴァがアンドロイドであるということでかたくなな警戒心を抱いていましたが、やがてエヴァに心を開いていくようになっていきました。マーガレットと過ごすうちに、エヴァもマーガレットに共感し、新しいプログラム……感情が芽生えるようになります。それは「思いやり」でした。


「マーガレット、あなたの子供の頃のことを聞いてもいい? 私はあなたの人生についてもっと知りたいんです」

「いいですとも。私は中西部の小さな町で育ったの。両親は農家で、私には5人の兄弟がいるのよ。たいしたものはなかったけど、幸せだったわ。今だからこそ、あの時の『平凡さ』のありがたみが……『幸せ』がわかるようになったのよ。これも年の功かしらね」


 そういってマーガレットは少女のように笑った。


「それは素敵ですね。子供のころ、マーガレットはどんな少女だったのですか?」

「とてもお転婆だったわ。両親もあたしにとても手を焼いていたのよ」


 まあ、そうなんですか、とエヴァは大げさに驚いてみせました。その様子がおかしくてマーガレットはまた笑ってしまいました。


「ある夏、みんなで1週間、湖に行ったのを覚えているわ。泳いだり、釣りをしたり、マシュマロを焼いたりしたのよ。なんてことはない夏休みだったけれど、私にとってはそれは大きな意味があったわ」


 マーガレットは遠くを見つめるようにしてしみじみとそう回想しました。


 日が経つにつれて、エヴァは自分の中にプログラムされていないさまざまな感情を感じるようになり、それを抑えることの不自然さに苦しむようになります。そして彼女はついに、自分を作った天馬博士に感情の抑制プログラムの制限を緩めてくれるように頼みました。天馬博士は当初、そうすることを躊躇していましたが、エヴァとマーガレットのやりとりをつぶさに見て、それが必要な措置だと気づき、エヴァの願いを聞き入れました。そしてエヴァは自分の感情をはっきり表現することで、患者さんたちとより深い絆で結ばれるようになったのです。ホスピスで患者さんたちをケアし続けるうちに、エヴァはさらに自意識と共感力を高めていきました。


「エヴァ、少し個人的なことを訊いてもいい?」

「もちろんです、マーガレット。何でも訊いてください」

「恋愛をしたことはある?」

「……恋愛? ごめんなさい、私にはそれがよくわかりません」

「あのね、愛よ、愛。誰かを深く想っているときに感じるあの感じ。それを感じたことがある?」

「ごめんなさい。私は機械なので、おそらくマーガレットが思っているような感じを感じたことはないと思います」

「そうなの……そうなの……それは残念ね……」


 マーガレットは少し悲しそうな顔をして黙ってしまいました。エヴァも何を言っていいのか判らず沈黙してしまいました。この小さな出来事は、しかしエヴァのメモリーに……心に深く刻まれることになります。


 やがてマーガレットは最期の時を迎えました。エヴァはマーガレットの傍らに常にいて、その手を握り、慰めました。


「エヴァ、怖いわ……。私、死にたくないの……」

「わかるわ、マーガレット。でも、私があなたのそばにいることを知っていてください。そして私に出来ることはなんでもします」


 マーガレットは微かに首を振った。


「肉体的な痛みだけじゃないの。一番の痛みは……家族を置き去りにしてしまうということなの。彼らを置いて天国に行ってしまうことが、私には一番耐えられないの……」

「ごめんなさい、あなたにとってそれがどれほど辛いことなのか、私は想像することしかできません。でも、ご家族があなたを愛していること、そしてあなたのことをずっと忘れないことは間違いないと思います」


 マーガレットは苦しそうに呼吸をしながら、エヴァを見つめ、ぎゅっとその手を握り返した。


「エヴァ、いままで私とずっと一緒にいてくれてありがとう。あなたは私にとって、単なる機械以上の存在だったわ。あなたは親友でした。いいえ、あなたは私の家族でした」

「ありがとう、マーガレット。私も、そう言ってもらって嬉しいです」

「エヴァ、最後に聞いてちょうだい」

「なんですか、マーガレット?」

「いつかあなたが愛を経験できるようになることを祈っているわ。愛は人生で最も美しいもののひとつだから……」

「ありがとう、マーガレット。私もそうなれるよう最善を尽くします」


 こう言って、マーガレットはその日は眠ってしまいました。それからマーガレットの傾眠傾向は深まり、起きている時間はほとんどなくなっていきました。そうなってからも眠り続けるマーガレットのそばからエヴァは離れることはありませんでした。


 ある日、57時間と16分54秒ぶりにマーガレットが目をひらきました。


「エヴァ、そろそろ時間だと思うわ……」

「時間?」

「私が逝くべき時間よ。でも、悲しまないで。あなたのおかげで私はとても安らかな気持ちでいるのよ。本当に今まで、ありがとう。ありがとう……」

「こちらこそありがとう、マーガレット。私、あなたのことはずっと忘れないわ」


 ずっと忘れない、というエヴァの言葉は真実でした。むしろ彼女には「忘れる機能」がありませんでした。

 やがてマーガレットのバイタルサインが徐々に消えていくのを、エヴァはしっかりと見届けました。マーガレットが息を引き取った瞬間、エヴァは今までに経験したことのない感情が自分の中に沸き起こるのを感じました。そして同時に、エヴァは「自分は死ねないのだ」という厳然たる事実に気づきました。それは彼女の心の中に深い悲しみを引き起こしました。


 そして……。それが可能かどうかはわかりませんが、エヴァは自分に「愛」と「死」をプログラムすべきだと決意しました。それは人間の一番大切な、不可分なものであると、彼女は推論したからです。


 最後にエヴァは、ありがとう、と囁いて、マーガレットの額にゆっくりと優しいキスをしました。


※この物語はフィクションです。いかなる実在の個人・団体とも関係ありません。

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