第4話「宇宙から天国へ旅立った男」

 トニーさんはとにかく変わった人でした。若いころはIT企業のエンジニアとしてばりばりと働いて成功をおさめていたのに、いきなり会社をやめて宇宙飛行士を目指したというのです。しかもちゃんとその夢を叶え、宇宙飛行士となり、月や火星にまで行ってきました。そして宇宙で「神と逢った」と感じた彼は、地上に戻ってから牧師になったというのです。私のような平凡な人間から見たらあまりにも波乱万丈な生涯です。


 自分が末期がんだと判った時のトニーさんの言葉も振るっていました。


「ありがたいね、先生。これでもうすぐ天国に行けるんだ。月も火星もそうだったけど、僕は『これまで行ったことのない場所に行く』のが最高にエキサイティングで好きなんだ」


 トニーさんは、診断を受けてからしばらく考えた後、妻のサラと2人の子供、ジェイソンとジェニーを呼び寄せました。彼は医師である私よりも、自分の言葉で、彼らに伝えたかったのです。


「愛する人たち、僕は末期がんだと告知された。先生からは、あと数カ月しかないと言われている。でも、聞いてほしい。僕は今とても安らかな気持ちでいる。私の人生は充実していてとても有意義だった。なにも後悔はしていない。それは僕を見てきた君たちが一番よくわかっているだろう?」


 サラはトニーの手を握りしめて泣き出しました。


「そんなこと言わないで、トニー。私はあなたを失うわけにはいかないの。あなたがいないと生きていけないの」


 トニーは少し困った顔をしてサラの頭を撫でました。


「僕はまだいなくならないよ、愛しい人。それにこれから数か月後、たとえ物理的にここにいなくなったとしても、僕は常にきみと一緒にいるんだ。だから子供たちのためにも、もう少しこの地上に残って頑張ってくれないか?」


 ジェイソンは心は乱れていました。まだ32歳、父を失う覚悟はできていませんでした。それは妹のジェニーも同じでした。ジェニーはトニーの胸にすがりつき、全身を震わせました。


「パパ、死んでほしくない!」


 彼女は叫びました。トニーはただ無言で彼女を強く抱きしめました。


「愛するジェニー、死は新しい冒険なんだ。君の成長のすべてを見届けることはできないが、僕はいつも君を見守っている。君にはたくさんの素晴らしい可能性と情熱がある。その光に従えば、きっと素晴らしいことができるはずだ。だからそんなに悲しまないでおくれ」


 トニーは残された数か月、旧友と再会し、思い出を共有し、一緒に過ごす時間を大切にしました。子供たちや孫の誕生日ごとに読むべき手紙を書き、人生の節目のメッセージを記録しました。


 ある日、私はトニーさんと病室で二人きりになりました。


「先生、知ってるかい? 宇宙は無限の闇なんだ」


 トニーさんは唐突に話し始めた。


「宇宙で船外活動をしているとき、僕はそれを痛切に感じたんだ。この宇宙服1枚を隔てただけのこの空間は無であり、闇である、と」


 目を瞑り、感慨深げに話すトニーさんに私は何も言えなかった。


「でもね、先生、その時同時に僕は自分の中に光を感じたんだ。それはとても強い光だった。そして自分が宇宙の一部である……全体の一部である、ということを強く感じたんだ。それは素晴らしい体験だった。大いなる安堵……いや、愛といってもいい。僕はその愛全体の一部だったんだ。僕たちはひとつだったんだよ。それが判ったんだ」


 確信を持って語る彼の姿を見て、私は正直、うらやましいと感じていました。彼のように確固としたものを私は自分の中に持っているでしょうか。自問せざるを得ませんでした。病室には穏やかな空気が漂っていました。


 やがてトニーさんは最期の時を迎えました。最愛の妻がそばにいて、彼の手を握り、静かに泣いていました。トニーさん自身は、痛みや苦痛を感じているようには見えませんでした。むしろ、その目には深い安らぎがありました。


 このような死がもたらす静けさは不思議でした。まるで、トニーさんは死ぬのではなく、ただ新しい旅に出るだけかのような……そしてその旅は、恐怖ではなく、むしろ好奇心で満たされているように感じました。


「泣くなよ、サラ。前にも言ったね。これは終わりじゃない。これは偉大な冒険の始まりに過ぎないんだ。私の人生の旅は、いつもとんでもないところへ私を導いてきた。そして今、私はさらに想像を超えた場所に行こうとしている。夢にまで見た場所にね。僕はもうワクワクして仕方がないんだ」


 トニーさんの言葉には考えさせられるものがありました。彼は、死を闇ではなく、発見への入り口と捉えているようでした。彼にとっては、死ぬことはスリリングな宇宙探検に乗り出すのと同じことだったのです。彼は死を人生の最後のフロンティアだと感じているようでした。


「子供と孫たちの面倒をよく見てくれ」とトニーは妻に言った。「さあ、しっかりぼくを抱きしめて。孫たちにおじいちゃんも君たちが大好きだと伝えてくれ。そして、僕にキスをしてくれ、僕はもう行かなくちゃならないから」


 そう言って、トニーさんは息を引き取った。妻はトニーさんに優しくキスをして、笑顔でこの世を去る彼を見送った。


 その瞬間、私は永遠を垣間見ました。死んでもなお残る深い美しさがあることを知りました。トニーさんの死は、私に人生をより深く理解させました。そして、宗教に関係なく、神は私たちの周りに、一瞬一瞬に存在しているのかもしれないと思わされました。


 トニーさんは、有意義で目的のある人生と良い死がどのようなものかを教えてくれました。私は、あなたの深い知恵と、あなたがこの世にもたらした光を、いつまでも忘れないでしょう。そして祈ります。あなたが安らかに眠り、かつ、これからも発見の旅を続けることができますように、と。


※この物語はフィクションです。いかなる実在の個人・団体とも関係ありません。

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