博士

 しかし、ウェロウの心の状況は日に日によくなっているようだった。日ましに明るくなるし、生き生きとしている。しかしそのせいで折り合いが悪い日があったり、カノに言われた事が気になっていたエイドは、新たな不安を感じざるを得なかった。それは自分はいずれウェロウに捨てられ、あの生に縋りつくだけの、死を恐れるだけの日々に逆戻りしないかという事だった。いや、その感情にも微妙に以前との違いがあったのだが。ともかく、なんだか頭がごちゃついて仕方がなかった。


 ある日こっそりウェロウの部屋に侵入したことがあった。というのも以前から〝記憶を取り戻すため接触する人物〟の候補があったのだが、その一人だけがカノの推薦で、まだであった事がなかったのだ。本来これは二人で一人ずつ訪問する約束なのだが、それを一人で実行しようと思い立ったのだった。

(今の僕なら、できるだろう)


 髭がもじゃもじゃで、両目が白い義眼の、額に機械的装飾を埋め込んだ老いた男、グロベーがいう。

「いいですよ?」

「えっ?」

 その研究施設は郊外付近の地下都市にあった。都市とは言ってもかつての地下鉄道を改造してできたもので、ところどころにアンダーグラウンドな人々の生活の営みが点在しているだけのものだった。そこに例の男〝闇医者グロベー〟の病院があった。そこでは、非合法な改造から、貧乏人を格安で診療するなど、藪医者という評判もあったが、だが良心的な側面もある妙な病院らしかった。カノに進められてもウェロウが反対した訳はそこにあるだろう。ウェロウと住むようになってエイドは段々と、エイドはウェロウの性質がわかるようになってきた。彼女ははっきりとしたものを好むのだ。それが以前からのものかはわからないが、割り切れないものに頭を悩ませることを嫌う。

 エイドは、一人で病院にいき、まずカウンセリングをうけることにした。自分の状況を話し、費用を相談した。するとグロベーは気さくにいった。

「ふむ、8万ほどでいいだろう」

「え?それで完全に戻るのですか?」

「まあ保証はできん、だが、ほぼ確実に戻るな」

「ふむ……」

 エイドは考えこんでしまった。だからと言っては何だが、普段エイドには言わないような事を医者にきいてしまったのだ。

「俺は、死が怖いんです」

「は?」

 一瞬、グロベーは戸惑った。

「どういう事だね?記憶を失っている事と関係が?」

「ええ、記憶を失っているからこそこんなに恐れているのだと思う、だけど、ウェロウは僕の事を”トレバー”だと思っている、もし僕が記憶を取り戻し彼女が〝トレバー〟との違いを完全に理解したら僕は……また再び死を異常に恐れる孤独な人間に戻るかもしれない」

 医者は少し考えた後、コーヒーを2,3杯おかわりして、いった。

「記憶を、すべて受け入れる必要はないのではないか?本当に重要な記憶を選択すれば、第二の人生を歩めるはずだ」

その助言を聞いて、彼はその場をいったん後にした。考えさせてくれ、といって時間をもらった、幸い医者はいつでもいいといってくれたのだった。彼は病院の前で立ち去る前ふと考えた。

(死への恐れはなぜだろう、ひょっとして、死そのものよりも何かをやり遂げることができない事への恐れ、俺は何をおそれている?記憶そのものより早く取り戻すべき何かがあるかもしれない……)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る