夜と沈黙

 ウェロウとエイドは、ある約束をしていた。〝いずれ記憶を取り戻そう〟その約束。エイドの記憶を元に戻すために色々な医者に診てもらったりしたのだ。もっとも最初は二人だけでカノにはそれを相談しなかった。そのわけは、カノがそれを知ってしまうと、完璧に解決しようと思うだろうし実際彼女は有能なのですぐに回復させてしまうかもしれない。それが問題だったのだ。

「大丈夫よ、時間をかけてやりましょう」

 エイドは、記憶を戻すことに特段さける気持ちは持っていなかった。というよりも、それがいい者か悪いものか判断のしようがなかったのだ。だが浮足立つ気持ちはあった。つまり自分が何者であるのか、本当にウェロウと一緒にいていいのか。ウェロウの美しさ、やさしさ、そして彼女の人となりに惹かれるにつれ、それは強くなっていった。

 休日にデートのような事をしたり、映画をみたり、音楽を聴いたり、二人で小さなパーティを開いたり、様々な事をするうちにその恐れは強くなり、むしろ早く過去を取り戻したいと思うのだった。それが、たとえコピー品の記憶、まがい物の魂のないロボットの物だとしても。


 だが楽しい時が過ぎると、まるでその罪悪感に苛まれるように、ウェロウは一人夜中に泣いているのを、エイドはよく知っていた。それをこっそり起き上がって物陰から見守っていても、声をかける事などできなかった。

〝彼女は僕の記憶を取り戻したくないのかもしれない、やはり人間にとっては、生身の、魂ある〝本物の命〟こそが大事なのだ〟

 かといって、エイドはそのことをはっきりとウェロウにいえなかった。しかし次第にそれはひどくなり、二人の生活が輝くのと同時に、彼女は毎夜むせび泣くようになった。そして、そのたびにエイドは自分が自分でないような、自分がここにいていいのかという妙な罪悪感に苛まれるのだった。だがある時まるでエイド自身が責められているように思った彼は、目を覚まし、ウェロウの傍に立った。

「エイド、生きていたの」

 夢見ごこち、夢を見ているような感覚の中で、それをいいわけに、彼は本心を口にした。

「ウェロウ、僕は彼ではない、だから僕を嫌うのか?」

「違う、違うわ……」

 少しため息をついて、ウェロウはエイドを抱きしめる。

「私が、私が、あの人の代わりと思わなければならないのよ」

 と写真に目を向ける。

「僕は、僕はどこにもいない、こんなにあなたを思っているのに」

 すると、ウェロウは怖れに顔を引きつらせて、叫んだ。その顔と表情は、家族に向けられるようなものではなく、まったくの他人に向けられたもののようだった。

「いやっ」

 エイドは胸を押されつきはなされた、反動で倒れそうになるウェロウを、エイドがその手を握ってささえた。しかし、エイドはきづいた、力を入れすぎた事に。けれど、ウェロウが暴れるので、少し弱めただけで、人間にしたら強い力でつかみ続けてしまった。

「私も迷っているところなのよ!!そうよ、あなたはあなたでいればいい、別に彼でなくてもいいじゃない」

「そうじゃない、僕にはわかる、あなたは隠し事をしている」

「どうしてわかるの?それはあなたもでしょ?あなたは、記憶を隠している、私たちには……ごめんなさい」

 しばらく沈黙のあと、ウェロウはいった。

「痛い、痛いわエイド」

 その手はひどくはれ上がり赤くなっていた。

「ご、ごめん、すみません、ウェロウ……」

 ウェロウにとってはその赤く腫れた手が、人間とロボットの心の強度の違い、そのものにみえた。それから、エイドは我慢することにした。〝彼女は弱い、彼女の隠し事は、気持ちの起伏はきっとロボットにはわからない辛さを秘めている、焦ってはいけない、たとえそれで、真実が僕にとって都合が悪くても〟

 夜、ウェロウのむせび泣きが聞こえると、孤独に星や月を眺めることにした。そう、ひと時の孤独、それに耐えさえすればいい。どこかにいる自分と同じような本来であれば、自分もそうであろう孤独なアンドロイドたちの事を思い浮かべて。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る