第二夜 赤獅子とお人好しの黒グリフォン
[幕間1ーside スノウ]囚われの白氷竜(前編)
物心がついた頃から、人族には関わらないようひっそりと生きてきた。
僕たちが暮らすこの世界には、どの種族にも良い人はいるし、他人を平気で傷つける人もいる。だからこそ、人族とは一定の距離を保っておく方がいい。それが母の持論だった。
だけど、僕は思うんだ。
両親が人里から離れて暮らしていたのは、人族の醜い本質を見抜いていたからなんじゃないのかな。
利益を得るために、人は手段を選ばない。金も地位も名誉も、世界に散らばる豊富な資源だって手に入れようとする。そのためなら、平気で他者を蹴落とそうとする。
そうして争い傷つき合ってきた人族には関わらないのが賢明だと母は悟っていたのだ。
そう、僕は人が嫌いだった。
あいつらは隠れ住む僕たちを見つけては、竜である母を平気で傷付けてきた。
だから僕は父と同じ人族の姿になんてなりたくなかったし、竜の姿のまま一生を送ると心に決めていた。
その決意が父と母を困らせることになろうとも、僕はずっと小さな竜のままで生活することを貫き通していた。
そんな氷のような固く冷たい決心が揺らいだのは、今から十六年ほど前。
僕は偶然にも人族——、
買い出しに行ったまま、いつまで待っても戻らない父に痺れを切らしたのがきっかけだった。母は迎えに行く僕を止めようとしたけれど、構わず外に飛び出した。ひどくお腹がすいていたんだ。
それに、父が人族の街から帰ってくると、きまって甘い果物ややわらかいパンを買って来てくれる。早く甘酸っぱいブドウやイチゴが食べたい。もう待ちきれなかった。
とはいえ、僕は人混みが苦手だ。それに竜の姿を人族の目にさらすわけにはいかない。僕が捕まったら母さんが狙われてしまう。
なるべく人がいない路地を選んで歩く。暗くてじめじめしていたけれど、我慢した。そうして父の姿を探して回っている時に、子どもが行き倒れているのを見つけた。
丸い耳だったから、すぐに
痛んだ赤毛は色褪せていてひどく痩せた子どもだったけれど、きれいな顔をしていた。
いつもは人族なんて見ないフリをするのに、どうしてかな。僕は背を向けて立ち去ることができなかった。
生きて、いるのかな。
慎重に近づいて、鼻先でつついてみた。そしたら突然ぴくりと動いたものだから、飛び上がりそうになった。
そのまま逃げ出したくなった。でも。
「……たす、けて」
かすれた声で、たしかにそう言ったのを聴いたんだ。
小さな手が、薄青の毛に覆われた僕の前足をつかむ。その力はひどく弱くて、子竜の僕でも簡単に振り払えそうだった。けれど、この時、僕はそうしなかった。人族に触られるのは嫌で嫌でたまらなかったのに。
手のひらでつかまれたところが、あたたかかった。すると、じわりと胸の奥が熱を持ち、とくとくと音を立て始める。
そして身体の中で衝動が走った。
助けなきゃ、って。
でも、飢えて行き倒れた子どもをどうやって助けたらいいのだろう。僕はまだなにも知らない子竜だ。物知りな父さんに聞けば、なにか知っているだろうか。
ううん、違う。救う方法をすでに僕は知っている。前に母さんから教えてもらったことがあるじゃないか。
ひとつだけ問題があるとすれば、彼を救うには竜の姿のままでは無理だ。父さんのような、人の姿に変身しなきゃいけない。
覚悟を決めてしまえば、後は簡単だった。
目を閉じて、頭の中に思い描く。二本足で立った、尖った耳を持つ父の立ち姿。毎日飽きるほど顔を合わせているから、イメージの擦り合わせは簡単だった。
でも、父さんと同じ姿はちょっと……いやだな。
別の人がいい。そう、目の前にいる彼と同じ年頃の姿がいいかも。
丸くなった僕の身体が、燐光に覆われ溶けていく。
薄青の毛と鱗に覆われた短い前足は伸びて、肌が剥き出しの腕へと変わる。後ろ足も伸びたので思い切って二本足で立ってみたら、少しよろけた。じきに慣れると思うけど。
少し物の見え方が変わった気がする。目線が高くなったのかな。
視界の端にはしなやかに動く長毛の尻尾と、羽毛に覆われた翼が見えた。どうやら完全な人の姿にはなれなかったみたいだ。
でもちゃんと衣服は着ている。初めてにしては上出来かな。
もう少し身体の変化を確かめたいけど、悠長にしていられる時間はない。
「ぼくが必ず助けるから、がんばって」
地面に座り込み、僕は倒れ伏した彼を抱え起こした。人って結構重い。けど、これも我慢だ。ズボンのポケットから青く透明な石を取り出す。それを彼の開いたわずかな口の隙間に押し入れる。
その石は
僕は生まれて初めてつくった竜石を、人族の子どもを救うために使った。
これが、後に赤獅子と呼ばれるようになるエリアスとの出逢いだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます