第19話 無垢
咆哮。
タウロスの全身の筋肉が隆起する。ビキビキと太い血管が浮き上がり、筋肉は鋼のように固く、炎のように熱く燃え滾る。
そのまま大きく右手を振りかぶり、そのまま拳を打ちおろした。
スピードもそれほど速くなく、動きも単調、予備動作も大きな稚拙なテレフォンパンチ。
しかし、その拳に込められた力は計り知れない。
受けるべきではない。そんな当たり前の考えを、ゴートンは頭から追い払う。
しかし、獣の本能が闘争を求めたのだろうか?
ゴートンの体は逃げの一手を拒否した。
迫りくる巨大な拳。ぐっと歯を食いしばり、それを体で受け止める。
まるで自分の3~4倍の体躯がある巨大な魔物から体当たりを喰らったかのような凄まじい衝撃。
メキメキと音を立てて体中の骨がへし折れていくのがわかる。
しかし、そのダメージは1秒後には自己再生スキルにより完全回復する。
ゴートンは体制を立て直し、口内に溜まった血をペッと地面に吐き捨てた。
そんな彼を見て、タウロスは満足そうにうなずく。
「今の攻撃は避けようと思えば避けれたはずだ……やはり俺とお前は同類のようだな。名前を聞こう、山羊の獣人」
「……ゴートン」
「ゴートンか、良い名だ。誇るがいいゴートン。同じ獣人といえど、俺と正面から殴り合えるものはそういない」
クカカカカと豪快に笑い、タウロスは抱擁を交わすように両手を大きく広げた。
「ゴートン。次はお前の番だ」
交互に殴り合おうとでもいうのだろうか?
なんとも馬鹿らしい。
しかし、ゴートンは握りしめていた木製のスタッフを地面に投げ捨て、先ほどのタウロスと同じように拳を大きく振りかぶった。
もう言い訳はしない。
ゴートンの獣としての本能が、久しく見ない強敵を相手にして喜んでいる。
なまけ癖のついた全身の筋肉を叩き起こす。
自分は後方支援だと言い訳をして、前線にでなくなってから久しい。
昔は違った。
ただ獣としての本能の赴くまま、与えられた圧倒的な膂力を思う存分振るっていたあの頃を思い出す。
ようやく出番が来たのだと、全身の筋肉が喜び踊り出す。
久しぶりに稼働する筋線維がブチブチと音を立てている。
「疾ッ!!」
短く息を吐き出して、拳を振りぬいた。
固く握りしめたゴートンの拳が、タウロスの右頬を打ち抜く。
その一撃で、タウロスの体勢が崩れるが、嬉しそうに笑い声を上げると返礼の一撃を打ち返してくる。
必殺の威力を秘めた一撃が、冗談のようにポンポンと飛び交う。
互いにガードなどしない。
ただ、どちらかが力尽きるまで拳のやり取りは続くのだ。
どれだけの時が過ぎたのだろうか。
膂力とタフネスではタウロスが圧倒するも、ゴートンはその高次元の回復スキルですぐに傷を癒やしてしまう。
互いの実力は拮抗していた。
やがてその時は訪れる。
ゴートンの放った一撃がタウロスの顎にクリーンヒット。大きな音を立てて、その巨体は地に伏した。
ピクリとも動かぬタウロスを見下ろし、ゴートンは荒い息を吐き出しながらその場にしゃがみこむ。
(危なかった……回復のスキルも永遠に発動できるわけじゃない……あと少し勝負が長引いていたのなら、そこに倒れていたのは私だった)
一見すると無傷に見えるゴートン。しかしその実、ギリギリのところで勝利をつかんだのだった。
こうしてはいられない。敵の頭を打ち取ったとはいえ、本来群れをつくらない強力な獣が多数……早く加勢に入らなくてはラモーが危ない。
しかし、ゴートンは周囲が嫌に静かなことに気が付いた。タウロスとの戦闘に夢中で、そんな事にすら今まで気が付かなかったのだ。
振り返ると、そこには血と肉片の海の中、一人放心状態でたたずんでいるラモーの姿。
両手に持っていた筈の手斧はどこかに落としてしまったのだろうか?武器の類は持って居らす、その右手には素手で引きちぎったであろう獣の腕が握られていた。
「ラモー!無事か!?」
慌てて駆け寄り、彼女の体を抱きしめる。
見たところ、大きなケガは無さそうだが……。
その時、ラモーがぎゅっとゴートンの腕を握りしめて顔を上げた。
その時の衝撃を、ゴートンは生涯忘れないだろう。
あのラモーが
生粋の戦士である彼女が、まるで汚れを知らぬ乙女のような顔をして、透明な涙を流していた。
ラモーは震える唇をそっと開くと、消え入りそうな声でつぶやく。
「ごめん愛しい人。またアナタを守れなかったみたい……」
◇
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