第5話 賢い

「……」


俺は無言でベッドの上を見つめた。

何故なら、便所から戻ったら再びゴキブリがその上にいたからである。

さっきのは外に出したから、今度のは別の奴だと考えるのが妥当だ。


だが――


「なんだろう?何故か分からんけど、さっきのと同じ奴の様に感じて仕方がないんだが?」


だとしたら、どうやって室内に戻って来たと言うのか?

いあやまあボロイ建物だし、何処か見えない場所の隙間から入って来ただけと考えるとそう不思議でもないが。


取り敢えず振動を立てない様に、ゆっくりと近づこうとして――ふと思い立つ。

ひょっとしてこいつ、普通に近づいても逃げないんじゃないか、と。


「ゴキブリに似てるだけで、全く同じとは限らんしな」


実は人懐っこい可能性が……


いやまあ仮にそうだったとして、だからなんだと言われればそれまでだが。

さっきと同じように捕まえるのが実際は無難だろうとは思う。


「けどまあ、逃げられたら追いかけて捕まえりゃいいだけだしな」


無駄な手間が増える可能性もあるが、俺は普通に音を立ててベッドに近づいてみた。

検証がてら。


「やっぱ逃げないな」


予想通りゴキブリは逃げようとしなかった。

どうやらこの世界のGは、地球のと違って危機管理能力が死んでいる様だ。

まあ死ぬ程弱ってて、もう動けないだけって可能性も考えられるからまだ確信は出来ないが。


「どれ、これでも逃げないかな?」


ゴキの目の前に俺の人差し指を突き出してみる。

すると驚いた事に、奴は右前足で俺の指に触れて来た。

気分はET(某映画の宇宙人)である。


きったない絵面のETではあるが。


「やっぱ慣れてるっぽいな。この世界じゃ、ひょっとしてゴキブリをペットとして飼ってたりするんかな?」


まあ流石にそれはない気もするが。

もしそうなら異世界人の趣味疑うわ。


「悪いけどそこは俺の寝床なんだよ。そこに居られちゃ寝れんから、どいてもらうぞ」


ゴキにそう言うった途端、奴が羽搏いた。


「この世界のゴキブリ――ってか、こいつは飛べんのか」


地球の奴は、基本滑空しか出来なかった筈だ。

だがそいつは大きく飛び上がり、そのまま壁に引っ付いた。


「タイミング的に見て……ひょっとして俺の言葉を理解できてるんじゃ?」


そこからどけと言った瞬間、ET状態でも逃げなかった奴が飛んでその場からどいたのだ。

その可能性は十分考えられる。

まあ普通ならあり得ない事ではあるが、何せここは異世界だ。

ゴキブリが人間の言葉を理解しても不思議ではない。


「俺の言葉が分かるなら、上に登ってみてくれ」


俺がそう言うと、ゴキが壁を上に昇っていく。


「じゃあ次は右に」


ゴキが右に。


「下に」


ゴキが下に。


「こりゃ……完全に言語を理解してるな」


さすが異世界。

この様子だと、虫以外の生き物も人語を解してそうだ。

まあこのゴキブリが特別って可能性もあるが。


「お前此処で寝泊まりしたいのか?イエスなら上に上がって見ろ」


ゴキブリが上に上がる。

どうやら、ここがこいつのお気に入りの居場所の様だ。


「ふぅ……まあいいか。わかった、追い出すのは止めといてやる。その代わりベッドには近づくなよ」


まあ別に室内に居ても、特に害がある訳でもないからな。

衛生面で問題があるって?

そんなもん、この小汚い宿屋に泊った時点で諦めとる。


俺の言葉に、ゴキブリが再び壁を上に上がる。

分かりましたって事だろう。


「いいか。くれぐれも寝てる俺の体、特に口には近づくなよ。間違って喰っちまうかもしれないからな」


昔ネットで見た事だが、ゴキブリは水分補給のために人間の口に入って来る事があるそうだ。

それだけでもアレだが、問題はここからである。

どうも口に異物が入った人間は、反射的に口の中の物を咀嚼して喰ってしまう事があるらしい。


なので、ゴキブリの居る場所で生活している人間は――


生涯に何匹かのゴキブリを食べている可能性があるとの事。


「あれ見た時は、知らなくてもいい嫌な情報見たと後悔したもんだ」


まあ家の屋敷は常に清掃が行き届いていたから、俺が口にする可能性はかなり低かったろとは思うが。

其れでも見て気分のいい情報ではない。


「まあいい」


俺は荷物から分厚い本を取り出し、そしてそれを開いた。

さあ、勉強開始だ。

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