吉原百人斬り

海石榴

第1話 お化け次郎左

 武州佐野に治郎左衛門という豪商がいた。

 父親の代からの商いである絹物問屋を若くして継ぎ、大きく身代をのばしたり手である。

 商売は順調満帆で、金蔵かなぐらには小判がうなっていた。

 だが、治郎左衛門の心は鬱々として晴れない。


 彼の顔は無数の痘痕あばたで覆われていた。それだけならまだしも、不幸なことに幼児の頃、誤って囲炉裏の中に、頭からつんのめるように転げ落ち、その火傷痕やけどあとが顔を異様なほど引きらせていた。

 ために、痘痕と火傷が重なったことで、鼻や口がひん曲がり、あたかも化け物のような面相となっていたのだ。


 人は彼を「お化け治郎左じろうざ」と呼び、道端ですれ違った子供らは目を合わせるや、たちまち恐怖にかられて泣き叫んだ。

 治郎左衛門いたるところで嫌われ、さげすまれ、こわがられた。性質は穏やかで、商取引には信義を重んじ、佐野の村のためにも尽力していたが、それでも嫌われるのである。

 彼は、十人並みの容貌がほしいと思った。そのためには、持てる巨万の富に換えてもいいとさえ思った。


 無論、縁談話もすべて顔のせいでご破算と相なった。そこで人を介して武州以外の遠国へも手をまわしてあさると、治郎左衛門の羽振りのよさに先方はいたく興味を持つのであるが、彼の顔の話に及ぶと、どれもこれも春の淡雪のごとく立ち消えとなるのである。

 治郎左衛門は失望と幻滅の悲哀を重ねながら、暗夜行路のような人生を歩んだ。


 それでも次郎左衛門の正直な商いはますます繁盛し、金蔵の床板が抜けるほど千両箱が山積みとなった。

 28歳を迎えた春のことである。

 治郎左衛門は商用で江戸に赴き、吉原遊郭へと足を踏み入れた。

 吉原の鉄鋲てつびょういかめしい大門おおもんをくぐったものの、なにせ初めてなものだから、遊び方がわからない。まごついた。


 すると大門の横にある番所の役人(与力)が不審に思い、声をかけた。

「あいや、そこの町人、いかがした。名をなんと申す」

 三つ紋付きの黒羽織をまとった二本差しの武士から誰何すいかされ、治郎左衛門はたまげたが、頭を下げて素直に応じた。

「へえ。実は田舎者で、右も左もわからず難渋しております。あ、申し遅れましたが、名は治郎左衛門と申し、武州佐野の商人あきんどでございます」

「ふむ。そのほう、化け物のごとき面妖な顔をしておるが、金はあるのか」

 ずいぶんな言い方であるが、これが当時の武士の町人に対する通常の態度であった。与力にはこれっぽっちも悪気はない。


 治郎左衛門は畏れ入り、

「妓楼のご迷惑にならない程度の金子きんすは、ここに」

 と、懐を叩くと、与力が斜め向かいの茶屋を指さす。

「左様か。ならば、あそこに、蔦屋つたやという引手ひきて茶屋があろう。そこで、なにくれとなく世話してくれる。頼んでみるがよい」

 引手茶屋とは、吉原遊郭で客と妓楼を取り持つ茶屋のことである。ここで、客はひとまず酒肴を愉しんでいれば、花魁を世話してくれるという寸法であった。


 かくして治郎左衛門は、蔦屋の引き廻しで吉原の妓楼に登楼あがることになったが、これが「吉原百人斬り」の狂気と凄惨な悲劇の幕開けとなったのである。


――つづく

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