第5話 心の休養 と 一つの奇跡

休校期間に入り、家に引きこもった僕。運動のために公園に行く以外は基本的に家で過ごした。学校が再開されるまでの間、他の生徒に会うことはしなかった。勿論友達にも。この期間だけ学校の生徒に関するありとあらゆるかかわりを切った。当時ラインをしていなくてよかったと思う。

自然と一人でいる時間が増え、心と向かい合うこともした。

心の休養も。


前に先生から言われたことがある。簡単に言えばこうだ。


『いじめる方にも問題があるし、いじめられる方にも何か問題がある』と。


この言葉は壊れかけの心の状態でも理解できた。その通りだと思った。でも自分のどこが問題でそれがいじめに繋がったのかは分からなかった。もしかしたら、無意識でやっている行動のどれかかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

自分のどこに問題があるのか? いくら自問自答しても考えてもピンとくるものが無い。

接し方が馴れ馴れしかった? 

何か気持ち悪いと思われるようなことを僕はしてしまったのか? 

何が気に障ったの?

考えても考えても分からない……。


こればっかりは本人たちに聴いてみないと分からない事。教えてくれればその部分を直そうと思っていた。しかし結論から言うと、それを教えてくれることは無かった。


休校中は特にすることが無かったから、学校から出された課題をちまちまやっていた。あとはテレビを観るか、ゲームするか読書。


この期間に確か一回学校に行き、書類や次の学年の教材を受け取りに行った。学校に行くと言っても、自転車で登校して、教室ではいこんにちはではない。マックのようなドライブスルー形式で学校に行った。(この時骨折していたけれど、ここでは関係ないから置いておく)

書類、教材を受け取り、ついでに三年生のクラス発表がプリントで配布された。

そのプリントを見るのが正直怖かった。またいじめられる生活が始まるのではないかと。

二度あることは三度ある、三度目の正直、三年生はどちらになるのか不安で仕方なかった。覚悟を決めてプリントを眺める。僕は交友関係が狭い人間だから新クラス名簿の半数以上が知らない人。そんな中、信じられないものを目にした。


名簿の中にあのKさんの名前が載っていた。


これには驚きを隠せないし、自分の運を疑った。何せ、僕たちの学年は軽く二百人以上いる学年。それを八クラスに分けるのだ。仲のいい人と連続で同じクラスになれる確率なんてものすごく低い。けれど、同じクラスだった。頭がそれを認識した途端、恥ずかしい話ホッとした。心が軽くなるのを感じた。これで少なくとも楽しくなることは間違いなしだった。

ここまで来たらもう認めなくてはならない。Kさんの存在が僕にとって大きな存在になったことに。


学校が順次再開し、分散登校から始まった中学三年生生活。泣いても笑ってもこれが最後。最後くらいは笑って終わりたいなとそう思った。

この時の心の状態は完全には程遠いけれど、壊れたあの頃に比べ修復することが出来た。その結果、心が壊れる前と性格に少し違いが生まれてしまった。どこの部分が変わったかなんて分からないけれどそんな気がした。

分散登校なのでクラスには半分の生徒しか居ない。初見さんも勿論いる。休校期間中、関係を切っていた身としては良い慣れとなった。

約二週間後。分散登校期間が終わり、全員が集まっての授業が始まった。


この年を「楽しかった」で終わり卒業するか、「悲しかった」で終わり卒業するか、まだ分からない。出来ることなら「楽しかった」で終わりたい。

そう願い、中学校生活最後の年であり、重要な一年弱が始まった。

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