56.禁断の果実

「ここで大丈夫です。ありがとうございました」


「はいはーい」


 なんだよ、望愛のやつ結構いい家住んでんじゃねえか。


 夕日にライトアップされたタイル壁の綺麗な一戸建には『飯塚』と書かれた表札が出ていた。


「じゃあね彩人くん!」


「ああ」


 車を降りた望愛が、無愛想な俺の顔を見てにんまり笑う。


 何がおかしいんだよ。


「早く出してください」


「はいよ」


 再び走り出す車。景色を見るついでに少しだけ振り向いてみたが、望愛の顔はすでに自宅のドアに向いていた。


「あの子面白いね、あんなに表情が豊かなのは今どきめずらしいんじゃない?」


「そんな話は今どうでもいいんですよ」


 さあ早く、昨夜の話の続きを聞かせてくれ。


 スマホをバックミラー越しに見せながら、電源を切ってポケットにしまう。


「そんなに早く聞きたいなら、どうして昨日来なかったんだよ」


「それは……」


 畑山さんは一瞬冷たい大人の顔をしたが、すぐにまた目を細くして白い歯を見せた。


「ごめんごめん冗談だよ。そりゃあんな可愛い女の子が家に居たらそれどころじゃないよな」


「そういうんじゃなくて! ただなんか嫌な予感がして、俺が居ない間にまた何か起きたらって……」


 嘘じゃない。昨夜、洗面所で謝りながら床の血を拭く望愛の惨めな姿が、先日クローゼットの中で見た涼風ちゃんの姿と重なって見えた。


「なるほどねえ……」


「と、とにかく! 約束通り早くアイツの情報を教えてください」


「わかってるよ」


 車が近くの小さな駐車場に停められる。


 エンジン音と車内ライトが消えた物静かな影の中、畑山さんは何もない前方を見つめながら口を開いた。


「結論から言うと、何もわからなかった」


 え……?


 あまりにも拍子抜けな内容に声も出ない。


「近隣の防犯カメラはすべて洗ったが収穫ゼロ。念の為一から筋を辿ってみたが、やはり三年前に児相じそうを出て以降はどこにも記録が残っていない」


 そんな……。


 一番太い頼みの綱が断ち切られ、絶望の底に落ちていくような浮遊感に襲われる。


「こういう時は大抵、すでに死んでるっていうのが話のオチなんだけど……」


「生きてます……アイツは絶対……!」


 この目で姿を見たわけではないが確信できる。わざわざ親父の死んだクローゼットに涼風ちゃんを閉じ込めたのは、アイツからのメッセージだ。


「うーん……だとしてもこっちから接触するのは相当難しいな。ここまで徹底して情報を消すのはカタギの仕事じゃないんだよ」


「じゃあ一体俺はどうしたら!」


 どうしたらアイツを……。


「別に何も気にせず女遊びを続ければいい。最近派手にやってるんだろ?」


「は!?」


 ふざけた話だが、畑山さんは大真面目な顔をしている。


「さっき自分で言っただろ嫌な予感がしたって、その予感を的中させればいいんだよ。このまま女遊びを続けていれば、またすぐにアイツの怒りを買うことができる」


「おとりにしろって言うんですか!」


 クラスの女子をおとりにする。それは彩人が一番初めに考えついた作戦であり、同時に一番初めに諦めた作戦でもあった。


「餌に食いつく前に取り押さえれば、なんの問題もないだろ?」


「そんなの不可能だ! アイツが来たのは俺が居ない時、場所だって次も家とは限らない!」


 身を乗り出して声を荒げる彩人のことは視界にも入れず、畑山さんは電子タバコに電源を入れる。


「不可能だなんて簡単に言うもんじゃない。ただ二十四時間、彩人と関わりのある女全員の近くを見張っていればいいだけの話だろ?」


「だからそれが不可能だろ! いくらあのクソババアでも、そんなことできる金も人も集められやしない!」


 人生最期の使命を失ってしまうかもしれない焦りに、苛立ちを抑えることができなかった。


「まあ落ち着けよ、この前のパーティに来てた奴らは覚えてるか?」


「それが何か……?」


 三日前の水曜日、日が変わる頃には意識を失い潰れていたが、ニヤニヤと唾を飲んで俺を見定めるあの気色悪い顔は忘れたくても忘れられない。


「みんな彩人のことをえらく気に入ったみたいでな、次はいつ会えるのかって、催促の連絡がずっとうるさいんだよ」


「なんですか……あの人達なら不可能を可能にできるとでも言いたいんですか……?」


 たしかにどいつも金と権力を誇示するような下品な装いと口調だったが、本当にそんなことが可能なのか。


「できるさ。あの変態どもからしたら、十六歳の彩人は本来触れることも許されない禁断の果実。法律の外に出ようとする人間は、文字通り法外な金を払うんだよ」


 言っていることは心底気持ち悪いが、頼みの綱を失った今の彩人がすがるには十分な可能性だった。


「明日また食事会があるから、お前もそこに来い」


「明日って、そんな急な!」


「仕事は休日にしてくれって言ったのはそっちだろ? 準備は何もいらない、衣装もこっちで用意する。ああでも制服で来たら物好きな奴は喜ぶかもな」


 死ね。


 睨みつける彩人を挑発するように、畑山さんは電子タバコの煙を吐いた。


「返事は?」


「ああ、わかったよ……」

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