26.川澄美紗子

 昼休みの教室、窓辺の席に座る川澄美紗子みさこは、一色で塗りつぶしたような何もない青空を眺めていた。


 高比良くん、私のこと知ってくれてたんだ……。


 同じクラスなのだから当たり前といえば当たり前なのだが、それでも美紗子は嬉しかった。


 私みたいな底辺の人間にも、気さくに話しかけてくれるなんて……高比良くんは優しい人だ……。


 スクールカーストなんて生易しいものではない、私と高比良くんとでは、人としての位が違う。


 きっと一昔前ならすれ違うだけで地面に平伏させられ、顔を見ることも許されないような間柄だったに違いない、全くいい時代になったものだ。


 まあ今でも授業中に横顔を盗み見るのが、精一杯なわけだけど……。


 美紗子の焦点が空っぽの空から、窓にうっすらと反射する一つの空席に移る。


 いつか目を見て話せる時が来たらいいな……。



 しかし授業が始まっても、その席の主が帰ってくることはなかった。


 先生が言うには体調不良で早退したらしい。



 大丈夫かな……高比良くん……。


 昼休みにノートを貸してからというもの、頭の中が高比良くんのことでいっぱいだ。


 だめだ全然授業に集中できない……一回高比良くんのことは忘れないと……。


 止まっていた手を動かし、急いで板書を書き写す。


 ここは色を変えたほうが、わかりやすいかな……こっちにはピンクの付箋を貼って……そうだ、うさぎさんにふきだしで喋らせてみよ!


 数分後。


 出来た! よし、これならまた今度ノートを貸した時に絶対かわいいって思われ……。



 いや何が!?



 これでは小学生の書く交換日記だ。


 こんなノートじゃ、先生にも見せられないよ……。


 気づくとノートに落書きをしてしまうのは、昔からの悪い癖。


 実は今朝の世界史の授業中もずーっと、一番後ろのページに高比良くんの絵を描いていた。


 あれ、我ながら結構よく描けてたな……。


 ん……?


 美紗子の持つシャーペンの芯が、ポキっと折れる。



「あ」



「どうした川澄? なにかあったか?」


「あっいや、なんでもないです……すいません……」


 やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい。


 全身から凍えるほどの冷や汗が吹き出す。


 そう、さっき高比良くんに貸した世界史のノートには、よりにもよって高比良くん本人の絵が描かれていたのだ。


 あんなものを見られた日には学校生活、ひいては人生が終焉を迎えてしまう。


 だ、大丈夫、体調が悪いならノートはしばらく見ないはず……何か理由をつけて土日の間に返してもらえばいい……。


 大丈夫だよね……?



 結局そのあとの授業は、何一つ頭に入ってこなかった。



「美紗子ちゃんさっきから変だよ? 大丈夫?」


 放課後、クラスメイトの真衣まいちゃんが心配そうに聞いてくる。


「うん大丈夫だよ……絶対大丈夫……大丈夫に決まってるって……!」


「全然そんなふうには見えないんだけど……何かあったら私に言ってよ、親友でしょ?」


 その通り、真衣ちゃんは私にとって唯一の親友。


 だからこそ言うことができない。


 だって真衣ちゃんは高比良くんのことが……。



 大嫌いだから。

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