14.悪魔の契約

「彩人くん……どうしたの……?」


 どうしよう……彩人くんにまで嫌われたら、望愛もう……。


「急に抱きついたの嫌だった……? ごめんね、もうしないから……」


「どうでもいいから、少し黙って」


「お願い彩人くん、怒らな――」



 言葉は力ずくで遮られた。


 とても血が巡っている生き物とは思えない、異常なまでに冷たい手が望愛のか細い喉を鷲掴みにしている。



 あ、彩人くん……?


 突然のことに思考がうまく巡らない。


「望愛はいい子だから、俺の言うこと聞けるよね?」


 鋭い爪が柔らかな喉に沈んでいく。


 恐怖に震えながら小さく頷くと、今度は喉を掴んでいた手で優しく頭を撫でられた。


「じゃあ、これ飲んで」


 彩人くんが渡してきたのは、まだひと口も飲まれていないアイスコーヒーだった。

 

 どうして望愛のオレンジジュースではなく、彩人くんのアイスコーヒーなのか、少し引っかかったが怖かったので何も聞かずにひと口飲む。


 苦っ……やっぱりガムシロップもミルクも入ってない……。


 案の定口に合わなかったので、すぐにテーブルに置こうとすると。


「どうしたの、まだ残ってるよ?」


 暗い照明のせいだろうか、彩人くんの瞳孔は大きく開き、焦点も定まっていない。


「俺が飲ませてあげようか?」


 どうしよう、怖い……嫌って言わないと……!


「ごめん彩人くん……!」



「全部飲んだらキスしてあげるよ」



 これは本当に現実なのだろうか、彩人くんの言動は望愛の理解を超えていた。


 彩人くんずっとなに言ってるの……? 望愛わからないよ……。


 なにもわからない、彩人くんの心も、自分の心も。


「俺のためなら、なんだってできるよね?」


 おもむろに立ち上がる彩人くんが、手の中のアイスコーヒーを奪う。


 どんな表情をしているのか確認するために顔を上げると、そのまま強引に顎を持ち上げられた。


「ほら、口開けて」


 もう彩人くんには逆らえない。

 

 彩人くんにだけは、嫌われたくない。


 言われるがままに口を開くと、彩人くんは一切の容赦もなくグラスを傾け、望愛の口にアイスコーヒーを流し込み始めた。


「一滴でもこぼしたら、もう二度と望愛とはデートしてあげないから」


 どうして……嫌だよ彩人くん……やめて……。


 必死に小さな口と喉を開いて、たくさんの空気と一緒に苦いアイスコーヒーを飲み込む。


 息ができない……つらいよ……苦しいよ……助けて……彩人くん……。


 皮肉なことに望愛が心の中で助けを求めたのは、彩人くんだった。


 つらい時、苦しい時、望愛の心を支えてくれたのはいつだって彩人くんだった。


 これが終わったら、望愛の大好きな彩人くんが帰ってくるんだ……。


 そんな望愛の心を折るように、グラスから細かい氷が滑り落ち始める。


 痛い。


 冷たい。


 苦しい。


 苦しい。


 苦しい。


 苦しいよ。


 喉の上に溜まった氷は、着実に気道を塞いでいた。


 もう無理かも……望愛もう頑張れないかも……。



 そしてとうとう、一滴の雫がこぼれ落ちた。



 彩人くん……ごめんね……。






「望愛」


 彩人くん……?


「泣かないで、もう終わったよ」


 目を開けると、彩人くんが望愛の涙を拭って優しく微笑んでいた。


 彩人くんだ……望愛の大好きな彩人くんだ……。


「おいで」


 ありがとう……ありがとう……。


 ボロボロと大粒の涙をこぼしながら、彩人くんを抱きしめる。


「彩人くん、大好き……大好きだよ……」


「わかったから、ほらこっち向いて」


 彩人くんは望愛の顎を、今度はそっと持ち上げた。


「望愛、俺も大好きだよ」



 それは嘘のように優しいキスだった。

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