06.嘘の味

 グラスの麦茶を一口含み、結露に両手の熱を逃がす。


 今なら聞けるかもしれない。


 初めての電話をもらった時から、ずっと気になっていた

一つのこと。


「ねえ、高比良くん……」


「あれ、彩人くんって呼んでくれないの?」


 余裕を一切隠さない、いじわるな微笑み。


「あ、彩人くん……」


「なに?」


 喉の奥でずっとつっかえていた小骨を、素直な言葉に変えて吐き出す。


「どうして私を家に呼んでくれたの……?」


 涼風はただ、納得できる理由が欲しかった。


「涼風ちゃんに会いたかったからだよ」


 そんなの……。


 返ってきた言葉は胃もたれするほど甘ったるくて、飲み込むにはあまりにいびつな形をしていた。


「信じられない?」


「だって……! その言葉を簡単に信じたら、おはようの返事すら貰えなくて一人で泣いてた、昨日までの私が馬鹿みたいだから……」



 流れる沈黙が無情に心を切り裂いていく。



「急に変なこと言って、ごめんね……」


 やっぱりこんなこと、聞かなきゃよかった……。


 すっかり冷え切った手の中で、グラスの水面がゆらゆら揺らぐ。


「俺、涼風ちゃんに嘘はつかないよ」


 震える両手に大きな右手が重ねられた。


 彩人くん……。


「だからこっち向いて……」


 彩人くんは耳元で優しく囁きながら私の頬を左手でそっと引き寄せようとする。

 

 本当に……本当に信じていいの……?


 最後の勇気を振り絞って顔を上げた。


 今顔を上げれば、彩人くんが優しく微笑んでくれるような気がしたから。



 しかし彩人くんの表情は涼風もよく知る、とても冷たいものだった。



 そうだ……これが私が一番最初に好きになった彩人くんだ……。


 舞い上がって忘れていた、彩人くんとの本当の距離。


「なにもしないから……信じてくれるなら目を閉じて……」


 声でわかった、さっきまでの彩人くんはもういない。


 そっか……理由なんて最初からなかったんだ……。


 選ばれてなんか……なかったんだ……。


 まぶたを閉じると、あの日と同じ涙が溢れた。

 


 彩人くん……大好きだよ……。



 薄く開いた少女の唇に冷たい口づけが落ちる。



 きっと私は彩人くんの恋人になれない。


 上下のまぶたと二人の唇がゆっくりと離れる。


「どう? 嬉しいでしょ?」


 彩人くんの発言が、私を対等な人間として見ていないことを決定づけた。


「私……初めてだったよ……」


 精一杯の笑顔を作って答える。


 ずっと夢見ていた幸せの光景に、少しでも近づくために。


「嫌だった……?」


「ううん、嬉しいの……」


 彩人くんは私の涙を長い指ですくうと、今度は最初のものよりもずっと深く甘いキスをくれた。


 蛇のように長い舌に口内を隅々まで調べられ、徐々に力が抜けていく。


 もう……だめ……。


 手に持っていたグラスが鈍い音を立ててカーペットに落ちると同時に、力の抜け切った華奢な身体はソファーの上に簡単に押し倒される。


 今から私……彩人くんのものになるんだ……。


 知らないキスをいくつも教えられ、身体の自由が奪われていく。


 気がつくと息をするタイミングすらも彩人くんに決められていた。


 もう涙を流すのはやめよう、これが私の幸せなんだ。


「ねぇ彩人くん……」


「なに……?」


「好きって言って……嘘でいいから……お願い……」


 彩人くんはガラス玉のような目をギラギラと輝かせて笑った。


 あっ……笑ってるところ初めて見た……。


 なぜか直感がそう思ってしまった。



 これが彩人くんの本当の笑顔だと。



「涼風ちゃん、大好きだよ」

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