追随⑥

 目を覚ますと、日は既に昇っており、女はAの家の寝室のベッドの上で横たわっていた。

 女が起きると、Aの自宅のテーブルにはAからの書き置きがあり、そこにはAが仕事に出向くということと、好きなだけAの自宅でくつろいでもいいという内容が綴られていた。

 この手紙を読みながら、女は昨日のことを思い出そうとするが、何も思い出すことができなかった。それに関しては諦めが早かった。

 ここがAの自宅であることは覚えているため、それさえ分かっていれば、昨夜の出来事は些細なことであると判断したからである。

 昨夜のことを早々に諦めた女は次に今後のことについて悩みはじめる。

 Aを探すことを目的として旅をしてきた女だったが、Aを見つけてからのことは特に考えていなかった。

 Aと一度再会を果たしてしまえば、それ以上旅をする意味がなくなってしまう。

 なぜ女はAを探していたのか。それは単純にAに会いたいという気持ちもあったが、一番の理由は罪の償いである。

 心に大きな闇を抱えたまま自分の前から姿を消したAを救い出す義務が自分にはあり、そうすることで、自分の犯した罪が少しでも償えたら、と思ったからである。

 しかし、再開したAはそんな闇を抱えている様子ではなかった。

 それどころか、昔よりも快活さに満ち溢れているようでもあった。

 実は、今までの言動は全て演技で、裏ではまだ巨大な悩みを潜ませているのかもしれない。それも考えたが、Aは基本的に女には嘘をつかないと女は強い信頼を置いているし、もしそうだったとしても、今のAにいきなり昔のことを掘り起こして自ら場の空気を重くするようなことは女にはできなかった。

 そんな女に残された道は一つしかなかった。

 Aと結婚し、同棲する道である。

 昨日はそんな自分の今後について話し合いもせず、自分の事情ばかり話した直後に、勝手に泥酔してしまった女に落ち度があった。

 ただ金のない人生を語られ、挙げ句眠ってしまった女にAは気を利かせて自宅のベッドで寝かせ、そのまま自宅に居させてくれた。そして、AはAが仕事を終えて、この自宅に帰ってきた時に改めて今後について話し合いをする腹づもりなのだろうと女は推測した。

 女自身もAとは今後について話をする必要があったため、女はAが帰宅するまでAの自宅に残留することにした。

 時刻は昼過ぎ。さすがにまだAが帰ってくるような時間帯ではなさそうだった。

 そこで、まずはAの自宅を巡回してみることにした。

 Aの自宅はタワーマンションの一室だった。階層は窓から外を見ても何階なのか分からないほどの高さだった。目測だけで優に10階は超えている。

 リビングにダイニングにキッチンと広々と配置され、書斎も完備されていた。

 壁にはサーフボードや自転車まで掛けられており、隅にはゴルフクラブも置かれているのも見えたので、あれからAが色んな趣味を見つけていることが一目で分かった。

 こうして本人の家を観察するだけでもAの人生が映し出されているようで女は自然と満足げになった。

 途中で浴室を発見したので、タオルと共にシャワーだけ拝借した。やはり、浴槽もこれまでに見た浴槽の中で格別に大きかった。

 シャワーから出て、ベッドの横に置かれていた自分のリュックから出した衣服に着替え、再び探索に戻る。

 隅から隅まで観察をしていると、時間はあっという間に過ぎ、そろそろAが帰ってきてもおかしくない時間帯に差し掛かっていた。

 それを見計らって女は次にAの自宅のキッチンを拝借し、Aと自分の夕食を調理しはじめた。

 女の作る料理は全てこれまで宿泊先で住人達に教えてもらったメニューである。

 これから帰ってくるAに料理を振る舞うために事前に調理をして準備をする女はまさしく専業主婦の体を成していた。

 料理をしながらそれを思った女はAの財力があれば、自分が専業主婦になっても支えてもらえるだろう、と決まってもいない未来に思いを馳せる。

 料理を作り終えた女は食卓でAの帰りを待つ。

 その途中で、女はふと思い出してAの自宅の風呂場を掃除し、湯を沸かしはじめた。

 料理を作り、風呂も沸かし、万全の状態で女はAを待ち構えた。

 夜も少し深まり、午後九時ちょうどについにAが帰ってきた。

 扉を開ける音を女は聞き逃さず、飛び上がるように椅子から立ち上がり、玄関へと駆けていった。

 Aが帰ってきたことを確認するや否や、女はまず昨夜泥酔して迷惑をかけてしまったこと、勝手に自宅にお邪魔させてもらったこと、勝手に浴室やキッチンを使ってしまったことなどを詫びようとしたが、Aは皆まで言うなと言わんばかりに夕食にしようと提案する。

 その提案を受けた女はそれを従順に受け入れ、夕食の支度に取りかかる。

 女が温めた料理を皿に盛って食卓の上に乗せていくと、Aは保管庫から酒瓶を1本取りだして開封しはじめる。

 グラスをAと女の分の2本用意して、それに酒を注ぐ。今夜はワインのようである。それらで乾杯をした後、ようやく遅めの夕食となった。

 Aと同じ食卓を囲み、談笑を交わす時間。女はこの時間の永遠を強く願った。

 だが、そんな願いが叶うはずがないとも分かっていた女は今後についての話を切り出そうと試みる。

 しかし、Aから矢継ぎ早に質問が飛んでくるため、女はそれを切り出すタイミングをなかなか掴めなかった。

 さらに、Aから来る質問はどれも過去のことばかり。女はそのうちAから今後のことについての話が持ちかけられるものだと思っていたので、そんなAに少し首を傾げる。

 女がAのことを怪訝そうに見ているうちに、過去の話や今のAの仕事の話で過去と現在を行ったり来たりするまま時間は流れ、女の中で徐々に酒が回り始め、視界もぼやけ出す。

 やがて意識が朦朧となり、眠気が激しく女を襲う。同じ量を飲んでいるはずなのに、Aは未だ健在である。Aは酒にめっぽう強かった。

 食事が一通り終わると、女は食器を洗おうとするが、それは後でやることだとAに止められ、女はそのまま寝室へと招かれる。

 女は昨日と同様に、目を覚ますと、日の光を浴びながらベッドの上で横になっていた。

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