追随②

 女は何も持たざる人間だった。

 幼き頃から何かに打ち込むこともなく、淡々と日々を送っていた。

 趣味という趣味はなく、その日その時に流行したものに乗っかり、次の流行が始まった頃には、その前に流行していたものを完全に忘れ去って、その流行に手のひらを返して乗り換えていた。

 自分固有の意見も主張も趣味趣向もなく、全てにおいて周りに流され、影響され、周りに合わせていた。

 彼女の人生は周りが全員やっているから、周りが全員ハマっているから、という具合に常に周りに合わせ、真似をし、周りの後追いばかりする人生だったのである。

 女には個性がなかった。

 自分に特質すべき点が何かを自覚することは人生において重要なことなのだが、それ以前に女には自覚すべき個性すらなかったのである。

 この世には常軌を逸するほどの変人が存在するが、女はその真逆。常軌を逸するほどに何もなく、面白みのない人間なのである。

 そんな女には幼なじみの男がいた。彼の仮名をAとしよう。

 Aは同じ人間とは思えないほどの才能の持ち主だった。

 クラスでは毎年当たり前のように学級委員長を務め、運動も勉学も芸術もどれを取っても優秀な成績を収める非の打ち所のない人間だった。

 非の打ち所がないどころか、空手の大会で全国1位になったり、作文で内閣総理大臣賞を受賞したりと、多方面で随一の能力を兼ね備えていた。

 才能があり、その上、人間関係も良好。そんなAに女は密かに想いを寄せていた。

 昔は幼なじみとして、友達として一緒に遊んでいただけだったが、小学校の高学年となり思春期に突入すると、自分のAへの想いが恋であると徐々に自覚しはじめたのである。

 中学時代は幼なじみであるということを大義名分に、できる限りAのそばにいるように努めた。

 それでも、周りへは全員にただの幼なじみ、ただの友達であると誰一人として本当のことは言わず、自分にも嘘をついた。

 Aの中の何かが、自分の中の何かが壊れてしまうことを恐れて想いを伝えられないまま二人は中学を卒業した。

 中学を卒業した二人だったが、もちろん高校も女がAの志望する高校と同じ高校を受験して、二人は同じ高校へと進学した。

 高校でも女のやることは変わらなかった。

 Aが帰宅するところを見計らっては偶然を装って一緒に帰宅する。

 休み時間に教科書を借りに来る、または返しに来るという理由を作ってAのいる教室まで会いに行く。

 執拗にAの近くを付きまとうにもかかわらず、その想いだけは決して言わない女だったが、さすがに告白をするべきであると悟り始める。

 しかし、もし想いを告げて、それが届かなかったら、女はその時点からAのそばにはいられなくなる。

 女はそれが怖かった。女からAが離れてしまうと、女には何もなくなってしまうからである。

 女は元々何もない空っぽな人間だった。そんな空っぽな女という人間の空白を埋めてくれる唯一の存在がAだった。

 場に流されてばかりだった女が唯一自分の意思で恋心を抱き、その感情を行動に乗せることができた。

 それを、そんな日々を、そんな自分を、女は失いたくなかった。

 全てを失うくらいなら、今までの時間を無駄にするくらいなら、中途半端でも今のこの状態を維持していた方がいいと女は思った。

 だから、女から一歩踏み出すことができなかった。

 一度の気持ちの変化によって心に迷いが生じる女だったが、ある日突然、事態は急変する。

 それは高校1年生の冬のことである。何十回も共に歩いた帰宅路で、女はAから想いを告げられたのである。

 Aも実は女に思いを寄せていたのである。

 二人は両想いだった。Aは最近になって女に対する気持ちに気がついて、気づくや否や行動に移した結果が今である。

 ともあれ、女がそれを断る道理などなく、二人は晴れて交際をすることになった。

 友達としてではなく、恋人として帰宅を共にするようになった。

 幼なじみとしてではなく、恋人として外出に誘うことができるようになった。

 周りからは嘘つきだの裏切り者だのと陰口を叩かれ、あからさまに避けられ、教室ではいつの間にか一人になっていたが、別段構いはしなかった。

 Aは高校を入学しても、相変わらず小説を書いて大賞を取ったり、生徒会長を務めたりなどして、才能を遺憾なく発揮していたが、問題点が一つあった。

 それは、何事も気兼ねなく話すことのできる人間の存在が一人もいなかったことである。

 Aと関わる人間全てがAとの間に隔たりを作り、一定の距離を保っていた。

 Aは才能が溢れている、ただそれだけのことで周りから人外同然の扱いを受けていたのである。

 Aは人当たりが良くて、話し上手でもあるため、話は進む。だが、Aの気持ちや考えを完全に理解する人間はいなかった。

 否。正確には、理解することを諦めていた、と言った方が妥当だろう。

 なぜなら、Aと周りとでは生きる世界が違うからである。

 数多くいるAの友人の中で誰もその壁を乗り越えてこなかったし、乗り越えようとする人もいなかった。

 そこを女は乗り越えたのである。

 別に女はAと同じ世界を生きているわけではない。むしろ、生きる世界は逆と言っても過言ではない。

 それでも、女は諦めなかった。

 遙か天空にそびえる絶壁を前にしても、女はしがみつき、踏ん張り、挑み続けた。

 他人と違って女には時間があった。Aと幾度となく共有してきた時間が女にはあった。

 その結果、女はAにとって唯一の理解者となった。

 Aもそんな女との時間を心地よく思っていた。

 どこか周りに対しては演技じみてしまうAでも、女の前では自然と本音が溢れ、ありのままの自分を曝け出すことができた。

 女は自分がAにとってそんな存在になることができたことにこの上ない幸福を感じていた。

 そして、こんな日々が永遠に続くものだとも思っていた。

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