暁③

 丸刈りだった頭の毛を伸ばした男は高校入学に伴って文芸部に入部した。

 男は、スポーツに関しては野球一本であったが、野球のみが趣味だったわけではない。物語を創作することも趣味としていた。

 そこで男は小説の賞獲得を目指し、文芸部に入部したのである。

 高校生活では授業中であろうと休み時間であろうと掃除中であろうと想像力を働かせて創作活動に繋げていった。

 野球と同様に青春時代を幾分か犠牲にして小説の執筆に捧げた。

 それでも、男の作品が高校3年間で一度も入賞することはなかった。

 勉強、交友、恋愛、その他諸々。高校生活でしか経験することのできない多くのものを捨てて男が得たものは、何者でもないという肩書きのみであった。

 せめて入賞くらいは、一度は経験したかった。だが、男は何者にもなることができなかった。

 高校の3年間も無駄に終わった。

 その上、男と同じ高校の同学年の男子生徒が、男が3年生の時に応募した大会で大賞を受賞していたことを男は後に知った。

 さらに言えば、その男子生徒は文芸部に所属しておらず、小説以外でも空手で全国1位になったり、絵画で全国大会に出場したりするなど、多岐にわたってトップレベルの成績を収めていたのである。

 その男子生徒は男と違って、他の活動と並行して小説を書いていた。小説が男の全てだったのに対して、その男子生徒にとっての小説は、彼自身のほんの一部に過ぎない。

 その男子生徒は生徒会長も務めており、男と違って人望も厚かった。男と違って勉強もできて、男と違って彼女もいた。

 高校生活の全てを懸けても、男はその男子生徒のほんの一部分にすら勝つことができなかったのである。

 なんて不条理で不平等で残酷な世の中なのだろう。

 だが、男は挫折までには至らなかった。

 なぜなら、まだ挫折に至るほどに男本人の小説に注ぐ時間が少なすぎたからである。

 小説を書き始めた時期は小学校高学年からであるが、小説に懸けようと決めてから今までは、まだ3年しか経っていない。

 3年間小説に情熱を注いで何の結果も残すことができなかっただけで断念するという結論に至るのは、あまりにも早計であり、小説というものを軽視しすぎている。と男は考えた。

 男の才能をほんの一部の力で上回ってしまうあの生徒会長と相対的に劣ったとばかり考えていた男だったが、男はまず入賞すら一度もしていないため、それ以前の問題なのである。

 かくして、男は高校卒業後も小説家としての道を歩むことを決断してしまう。

 親や担任教師を説得するのには、かなりの労力を消費した。

 時間はかかったが、小説一本でいくと啖呵を切り、仕送りも無用であると断言することで自身の覚悟を示し、ほぼ強行突破に近いが、説得させることができた。

 そして高校卒業後、男は18歳にして例の木造アパートで一人暮らしをスタートさせたのである。

 アルバイトは時給の高い深夜帯を選び、極限の節約をしながら小説をひたすら書き続ける生活を繰り返していた。

 今度は高校生活の比ではない。テストや単位などの高校生活の時にあった雑念が今の生活にはほとんどない。

 家の中にいる時間が激増し、アルバイトへの移動中も考えることができる。アルバイト中も客が少ないため、体を動かして働く時間よりも立ち止まって考える時間の方が長かった。

 今まで以上に小説というものに身を捧げ、向き合い続けた。

 自分の中であふれ出る感情、欲求、願望を惜しげもなく用紙の中に染みこませていった。

 されど、10年間続けようと、男の努力が実を結ぶことはなかった。

 これまでに書き上げた作品数は数百に及ぶ。

 ジャンルはドキュメンタリーや青春群像劇、恋愛、スポーツ、推理など幅広く執筆し、官能小説に手を伸ばすこともあった。

 その全てを手書きで書き上げ、一番信用する出版社に郵送する。

 だがほとんどの場合、出版社から連絡が来ないまま終わってしまう。

 連絡が来るのは半年に一回程度。男は電話が来ると、毎回胸を躍らせながら電話に出るが、その内容は毎回同じである。

 あなたの作品を拝見させてもらったのですが、率直に申し上げますと、出版をされても売れないと思います。それでも、出版をなされますか。

 毎回このような内容の電話がかかってくるのみである。

 その人はそう言うが、売ってみれば、売れるのかもしれない。そう思って毎回出版をしてはみるが、結果は出版社の人の言ったとおり、大した収入が入ってくることなくその本は世間から消去される。

 つまり、男は数百作品も執筆をして、一度たりとも出版社を唸らせるような面白い小説を書いたことがないのである。

 男は小説を書きながら、売れた自分の未来を思い描いていた。好き勝手に妄想を膨らませていた。

 小説を書き上げる度に、これは面白いと自画自賛し、その妄想がいつの間にか確信に変わっていた。

 しかし、いざ他人に読まれると、それは全く受け入れられなかった。男と世間との間には深い溝が現存し、男は全くその溝を埋めることができなかった。

 今頃、あの生徒会長はどれほど人生を謳歌しているだろうか。大企業に就職しているのだろうか。起業して若手社長として多忙な日々を送っているのだろうか。海外の大学に行って学会を湧かせているのだろうか。

 そんなことも考えながら、いつかその生徒会長を見返すことができるのだろうかと淡い願望を抱いていた。

 今すぐでなくていい。いつか。

 いつか。

 いつか。

 いつか。

 いつか。

 いつか。

 いつか。

 いつか。

 いつか。

 いつか。

 いつか。

 失敗する度に暗示を唱え、男は再びペンを走らせる。

 そして、何も変わらないまま10年が経った。

 もう今更売れたとしても、生徒会長には一矢報いることすらできないほどに差が開いてしまった。

 男には確固たる信念があった。自分がこの道を進むと決めてから一切よそ見もせず、振り返りもせず、まっすぐまっすぐ前進していった。その信念が揺らぐことはなかった。

 急がば回れ。その道が例え遠回りだとしても、いつか辿り着くと思っていた。

 だが、男は辿り着くことも遠目でゴールの片鱗を目にすることもできなかった。

 信念を貫くことは決して容易なことではない。それは無駄になることを恐れるからできないのである。全否定をされたとき、自分に何も残らなくなるからできないのである。

 だから、男のしていることは人間として賞賛されるべきことであり、男らしいことである。それは男も自覚していた。

 何度折れようとも、倒れようとも、立ち上がって立ち向かい続けることこそが重要なことであると常に肝に銘じていた。

 それは野球をしていた頃もそうだった。

 自分の非力さに悲嘆しても、周りとの劣等感に押しつぶされそうになっても、決してやめることはなかった。男から野球を裏切るようなことはしなかった。諦めないことが男の信念だったからである。

 それでも最大の挫折を経験し、野球に捨てられた男だったが、すぐに立ち上がり、次は小説に焦点を絞って、それに向かって臆することなく突き進んでいった。

 にもかかわらず、男は何も成し得なかった。

 それは、男が信じすぎてしまったからである。

 過去からの教訓、映画やドラマ、漫画などが教えてくれる努力することの大切さは、いつ何時でもどんな人間でも当てはまるとは限らない。

 男はその例外に属する人間である反面、誰よりもそれを信じてしまったが故に、皮肉な運命を辿ってしまったのである。

 男は高校の3年間を棒に振ったとき、挫折することができたはずである。ここで全てを悟り、別の道を歩めば、今よりももっとマシな人生を送ることができたのかもしれない。

 しかし、男は挫折しないことを選択してしまった。

 諦めないことの大切さばかりを重視しすぎた結果、諦めることの大切さを知ることができず、理解することができず、男は選択を誤った。

 男は今、既にほとんど挫折をしてしまっている。さしもの男でも、この異変に気づかないほど馬鹿ではない。

 だが、気づくのがあまりにも遅すぎた。男は既に引き返すことのできない場所まで猪突猛進してしまっていた。

 数ヶ月かけて説得して、自分のやりたいことをやりたいように好き放題やらせてもらっている、自分のエゴをただ押しつけたまま離れてしまった親の元へは今更のこのこと戻ることはできない。

 啖呵を切っておいて、何の成績も残さずに返ってくることほどの醜態はないと男は思っているからである。

 その醜態は年月を重ねれば重ねるほど醜さを増すため、10年経った今、もはや一生戻ることのできない状況になっている。

 つまり、男は売れなければ、孤独のまま死にゆく人生が待っているのである。

 したがって、男はいわゆる負け組の人間というわけである。

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