第六夜 鵲の姫

 柔らかな香りが漂う茶畑を下った先に、大きな池がありました。


 夜のとばりが降りきった夜更けのこと。白と黒のつややかな衣を重ねたかささぎの姫がその池を訪れると、静かなほとりにそっと腰を下ろしました。


 風のない蒸した空気の中、池の水面はゆるりと凪いで夜空の星々を映しています。


「また、この季節がやってきましたね」


 姫の言葉に応えるように、近くの梢からばさりと羽音が響きます。黒い翼のからすの皇子です。皇子は池のほとりまで来ると姫の隣に座りました。


「僕は毎年思いますよ。明日の夜など来なければいいのに、と」


「あら、何故ですか?」


「一年で唯一、貴女と共に過ごせぬ夜だからです」


 聞いた鵲の姫がくすくすと笑うので、烏の皇子は拗ねたように姫の顔を見下ろしました。


「愛しい貴女の衣が他の女に踏みつけにされるのも悔しい。貴女だって姫なのに、まるで添え物のような扱いではないですか」


「あなたは、姿形は大きくなってもまるで子どものようですね」


 笑いを収めた姫は、水面に映る天の川を眺めました。


「舞台の中心に立てることが、必ずしも幸せとは限りませんよ。私は、一年に一度しか会えぬより、一日我慢した後でいつでもあなたと会える方がずっと嬉しい」


 それに、と鵲の姫は皇子を見上げました。


「大切な夜に橋を渡し、人々の夢と願いを叶える手助けになる。たとえ添え物だとしても、幸せなお役目ではありませんか」


 そう言った姫の表情は喜ばしく誇らしげです。皇子は眩しそうに目を細めると、小さく顔を伏せました。


「いっそ、僕もかささぎなら良かったのに。烏の僕では貴女と同じ舞台に立つこともできない。ただ遠くから眺めるだけしか」


「皇子」


 星明りにきらめく黒い衣の肩口に、鵲の姫はことりと頭を寄せました。


「私は毎年、あなたの呼ぶ声を頼りに地上へ戻ってくるのですよ。最愛の方という道しるべがなければ、私は星空の中で迷子になってしまいますから」


 愛しい姫にそこまで言われては、烏の皇子もそれ以上渋い顔などできません。一つ息を吐くと、姫の肩をそっと抱き寄せました。


「明日会えぬ分、今日はずっと僕といてくれますか?」


「ええ、もちろんです」


 茶の香りを含んだ夏の夜風がさわりと吹くと、水面に浮かんだ星々は優しく池に溶けてゆきました。

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