after SS:その後の物語〜5月の章 1年A組〜

 あれやこれやと文字通りに様々なイベントを駆け巡った五月もついに終わりを迎える。

 上級生と繋がりが出来て、魔法の実技授業が本格的に始まり、まだ形のみではあるが魔法試験にも参加し始める。

 ここにきて、ようやく魔法使いとしての一歩を踏み出し始めたのだと実感するものが大半といったところか。

 

 以前誰かが言って言葉だが、いわく魔法学園に入学したことを実感し始めるのは一年生の五月に入ってからで、その後八月に魔法使いとして始まりを迎えるのだという。

 それが何を示しているのか今の俺には全く分からないが、一つ分かるのはその言葉はおそらく真実なのだろうということだ。

 八月という時期。

 たしかに姉貴も兄貴も、一昨年、去年と八月のある時を境に少し雰囲気が変わった。

 そこで何が俺たちを待っているのか、期待半分恐れ半分といったところだ。


 とはいえ、そのためにはまず八月までこの学園生活を無事に生き抜くことが重要だ。

 そう。今の俺みたいになんて日々が続いていくことが何よりも問題なのである。

 ……うん、まぁ正直キッツい。

 

 外聞なんか一切気にする余裕もなく、俺――西園寺良太は一年A組の自分の机に全身で脱力しながら突っ伏している。

 指先一つ動かすことすらままならぬほどに疲労感が身体を満たし、襲ってくるのはひたすらな睡眠欲。

 あぁ、俺はもう少し穏やかな学園生活を送りたかったんだが……。

 男子と馬鹿やって、女子とキャッキャうふふな関係になったりとかして、そんな俺の理想の学園ライフは一体どこへと言ってしまったというのか。


「何よ良太。あんた最近合同授業が終わった後はいつもへたってるわね」


 遠のき始める意識の最中、よく聞き慣れた声が鈴のような声が耳に届く。

 なんとか頭を起こして声のする方へと顔を向けると、そこには呆れた表情を浮かべたぱっつん前髪系女子の姿が目に映る。


「……なんだ美桜か。見て察してくれ、俺はもう次の授業が終わるまで寝ることに決めてんだよ」

「はぁ……あんたねぇ。次の授業って魔法基礎学よ。あのマシロ先生が見逃してくれるわけないじゃない」

「……あぁ、まじかぁ」


 しまった。そういえば次の授業が誰の担当かなんてすっかり頭からすっぽ抜けてた。

 あーだめだ。マジで頭が回っとらんて。


「……いや、とりあえず寝るわ。起こされたらそれまでだ」

「あんた。そんなキツいの?」


 心なしか美桜の声色が下がり始める。

 まさか心配してくれてるとか? いや美桜に限ってそんなことはないか。

 そんな俺の心の声を察したのかそうでないのか、美桜は露骨にため息を吐きながら隣の席に腰をかける。


「だいたいあんた、なに? 特訓でもしてるの? たかだか授業を二時間受けただけで普通そんなにならないわよ」

 

 右手に握った飲み物をストローで吸いながら美桜は呆れたような声で問いかけの言葉を口にする。


「しかもあんたなんて結構体力がある方じゃない。それともなに? 魔力? って使たりしてそうなってるわけ?」

「……いや、魔力は使ってない……と思う」

「ふぅん? なんか微妙な回答じゃない。てか一体どんなことを教わってるのよ」


 少し曖昧な回答になってしまったが、これは仕方がないところもある。

 なにしろ俺自身合同授業で何を教わっているのかがよく分かっていないのだ。

 なので率直にその内容を伝えることにする。

 

「トレーニングルームで筋トレしてる」

「…………は? 今なんて?」

「だから、トレーニングルームで筋トレばっかしてんだって」



 ******


 

 あの人――佐倉先輩との合同授業はいつも決まって同じ場所で同じ特訓をすることになる。

 部屋二つ分くらいの広さでそれほどスペースがあるというわけではないが、ランニングマシンやバーベル、フィットネスバイクにプレスベンチなど欲しい設備が割と整っている印象を受ける教室――トレーニングルーム。

 最初はこんなところがあるのかと内心驚いていたものの、すぐにそんな感情はどこかへと吹き飛ぶこととなる。


『では今日からここで身体を鍛えていきましょう』


 うん? どういうことだろう。

 最初にその言葉を聞いた時、当然のように俺は首を傾げた。

 だって今は先輩たちから魔法を学ぶ時間のはずで……え、なぜトレーニングルームに?


『健全な魔力は健全な肉体から生まれると聞いたことはありませんか? さぁ早速これに着替えてください』


 両肩におさげを流すその先輩は、にこりと一切の悪意を感じさせないほどに綺麗な笑顔で俺にトレーニングウェアを手渡してくる。

 そんなもんなのかと、わざわざ先輩が時間を割いてくれたこの特訓を信じてみようとその言葉の通りに準備し――そして地獄の日々が始まる。


『良いですよ。その調子であとスクワットを二セット』


『はい。では三十秒休憩を入れましょう。タイマーが鳴ったら再開しましょう』


『OKです。二分後に次の種目に移るので先に水分を補給してください』


 その声の掛け方はまるでベテランのトレーニングコーチのように心強く、しかしやっていることは千切れるんじゃないかというほどに身体を酷使させまくる地獄の特訓。

 腕が、肩が、胸が、首が、太ももが、腹が、足が、それら身体の部位が次から次へと壊されていくような感覚に何度も弱音を吐いてしまう。


『……か、っは…………せ、せんぱい、……もう、やば……』


『ふふっ、まだ言葉を話す余裕があるので大丈夫です。――さて次はこの辺りをいじめましょうか』


 そう言いながら先輩が触れた箇所は、たしかに他と比べても痛みを感じない。

 へぇ、こんなになってもまだ使える筋肉ってあるんだなぁ。

 などと半ば放心した状態でつい感心してしまうも、やはりどうしようもないほどに身体が悲鳴を上げる。


『さぁ休憩は終わりです。それではこちらに来てください』

 

 これはさすがにやりすぎだろっ!

 そんな強い抗議の視線を先輩に向ければ、彼女はそれはもう嬉しそうな表情を浮かべる。

 ――あぁ、そうか。この人まじでヤバいなんだ。


 まったく無知とは恐ろしいもので、俺が先輩の二つ名を知ることになるのはそれからもう少し後のことだった。

 過去その名を冠した生徒が他にいない【狂犬】の称号。

 なるほど。たしかに狂ってる。

 

 

 ******



「……よく分かんないんだけど、そんなにヤバいの?」

「人ってあんなに善意を振り撒いて他人をぶっ壊せるもんなんだって毎回思ってる」

「えぇ……なにそれ?」


 あえて良い解釈をしようとすれば、先輩は良くも悪くも自分に素直な人なのだと言える。

 あのトレーニングもやり方や内容にこそ疑問を抱かざるを得ないが、一方でたしかに俺の成長を促していることに違いはない。

 それにおそらくだが、あんな厳しいトレーニングを課しているのには何か目的があるような気がする。

 もちろんそれらはただの憶測に過ぎないが、ただなんとなくそれが正しいと思えるだけの根拠があって、そう信じてしまう。


「俺もほとほとお人よしだな」


 誰に聞かせるでもなくそう呟いた俺は軋む首をなんとか動かし、一つの『根拠』へと視線を向ける。

 この教室という狭い空間において、机に突っ伏すもう一人の生徒の姿がうっすらと見える。

 理由こそ聞けていないが、きっと彼女も俺となのだろう。

 そのうちともお互いの苦労話を愚痴り合いたいものである。


「あー、もうダメだ……」

「はいはい。お邪魔虫は退散しますよー。――おやすみ、良太」


 俺は微睡みながら眠りにつく。

 ふと誰かが頭を撫でているような気がして、その手つきがなんだか優しくてくすぐったくて――。



 ******



 ぱったりと動かなくなった同級生の髪に触れながら、意外と触り心地がいいなぁなんて変な感想を抱いてしまう。

 左手に持った紙パックから紅茶を口に含みながら、右手でふわふわした茶髪を表面だけ触れるように撫でる。


「まったく。あんたは何をそんなに急いでんのよ」


 西園寺良太。一つ学年が上の西園寺優介さんの弟で、一年A組のクラス代表。

 さらには私たち一年A組の人間関係を構成する上で重要な立ち位置にいる人物で、誰に対しても分け隔てなく会話できる人気者。

 それが周りのみんなから見た彼に対する人物評価である。

 

 だけど、私――藤林美桜から見た西園寺良太という男の子に対する評価は周りとは少し異なる。

 なんというか、彼はどこか危なっかしい印象を受けるのだ。


 まず彼がとても自己評価が低い。

 謙遜といえば聞こえはいいが、そうではない。

 彼は自分の能力に対して適切な評価をする事が出来ない。

 観察力、行動力、思考力、運動能力。

 それら何一つとっても高水準な能力を有しているのに、彼はそれが決してすごいとは思っていない。

 誰もがクラス代表に相応しいと認めるだけのスペックを有してなお、彼は自分が『普通』だと評価する。

 そのことに対する良し悪しは私にはよく分からない。

 だけど、なぜだか私はそんな彼の事が気になってしまうのだ。


『それはきっと、彼自身の心の問題じゃないかな』


 最近知り合った私のパートナーに相談してみたところ、彼はそう回答した。

 心の問題? とういうこと?


『ぼくは良太くんのことはあまり知らないけど、彼のお兄さんのことはよく知ってるよ。それにお姉さんのこともね。――多分そこに答えがあるんじゃないかな』


 西園寺優介さん。

 私の尊敬する先輩で、優しくて頭が良くて強くて――そして類を見ない傑物とさえ呼ばれる男の人。

 そしてもう一人、西園寺皐月さん。

 良太の二つ年上のお姉さんで、魔法学園の生徒会長で、現学園で最強と名高い魔法使い。

 

 もし良太にとっての『すごい』がその二人を基準にしていて、彼自身を言葉通りに普通だと評価しているのであれば、彼は一体いつ自分自身を認めてあげることが出来るのだろうか。

 在学中に叶うのか、それともずっと先にそんな機会が訪れることはあるのか。

 一体いつまで彼はその無自覚なと戦い続けるというのか。


「ま、別に私としてはどうだっていいんだけどね」


 私は彼に友情以上の感情を抱いてなんていない。

 それが恋や愛なんて感情であれば彼のために何か動きを見せたかもしれないが、今のところそんな気は毛頭ない。

 ただ、ほんの少しだけ気にかかるってくらいの話だ。


 でもまぁ、その時が来たらその不器用な背中を蹴り飛ばしてやらんこともない。

 あくまで友達として、だ。


 そしてそれは、にも言えること。

 少し離れた席に見えるについて、それこそ私はよく知らないし聞いたこともない。関わりを持ったこともそんなにない。

 だけど、最近私は気がつけば無意識に彼女のことを眺めている時がある。


 それは例えば西園寺先輩のパートナーだっていう嫉妬にも似た感情だったり、あるいは何か目を惹かれるだけの素質を感じる強い興味だったり、そんな整理しきれない何かしらの感情が私を動かそうとする。

 

「まさか私が、ねぇ。……ふふっ」


 有栖川魔法学園。

 あの人を追いかけて入学しただけの居場所だったけど、最近どうにも楽しくて仕方がない。

 それに、もうすぐ運命の八月がやってくる。

 彼と彼女が頑張っているように、私もそれまでに魔法を発現させるように努力しなければならない。

 少しでも早くあの人の役に立つために、私の願いを叶えるために。

 だけど今は、穏やかな表情で眠りにつく彼のことを労うところから始めよう。

 

「おやすみ、良太」


 いつか彼の本心を聞いてみたい。

 そんな願いを一つ、私は心の中にしまい込んだ。

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