第8話:魔法対抗戦『かくれんぼ』 〜【狂犬】は【魔法使い】に恋をする〜

『総員配置について! 事前の打ち合わせ通りにいくよ!』


 うちの司令塔の号令を背に受けながら、僕は静かな廊下を歩き進む。

 教室から近い一つ目の渡り廊下、ではなくが待つもう一方の戦場へと足を運ぶ。

 それはなんとも贅沢な話だった。

 クラスのみんなはこれから力を合わせて激闘を乗り越えようと、意気込み拳を握りしめる中、一方の僕といえば可愛らしい女の子と二人きりの甘い時間を過ごす予定を立てている。

 ある日、彼女からデートの誘いを受けた時に断るといった選択肢は存在しなかった。

 恋に焦がれてついに訪れたこの時間を、きっと彼女も心待ちにしていることだろう。


「お待たせ」


 辿り着いた渡り廊下には、一人の女性生徒の姿があった。

 通路窓から外を眺めて一人佇むその女子生徒へと声をかけると、彼女は柔らかい笑みを浮かべながら返事をする。

 

「いえ、私も今来たところですよ」


 どこかのカップルを思わせる言葉を口日ながら、彼女は次に視線をある一点へと向ける。

 釣られてその方向へと目線を移せば、その先には机と椅子が綺麗に並べられていた。


「どうぞこちらへ。お菓子と紅茶をご用意しますね」


 彼女は滑らかな動きで手のひらを机へと向ける。

 こうして僕と彼女の戦場でのお茶会が始まった。



 ******


 

「このクッキーはいかがですか?」

「うん、美味しいよ。これってもしかして」

「えぇ、私が料理してみました。ふふっ、これでもお菓子作りは得意なんですよ?」


 机に敷かれた白いテーブルクロスの上にお皿を並べ、その上にはクッキーやマフィン、ビスケットなどお菓子が並べられている。

 チョコやプレーンの味付けは絶妙な匙加減となっており、専門店で販売している商品だと言われても、疑うことがないほどに口当たりが良くとても美味しい。


「以前にもお話ししましたが、私は元々お婿探しが目的でこの学園に来ております。ですので、それはもう過酷な花嫁修行をみっちりと叩き込まれているのですよ」


 彼女――佐倉朱音は両の手を顔前で合わせながら、どこか誇らしげに笑顔を浮かべる。

 実際、この学園で一番の大和撫子は誰だと聞かれれば、僕は朱音の名前を挙げるだろう。

 仮に対抗馬を挙げるとして、一学年上にもう一人候補がいるものの、やはり最後には朱音に軍配が上がる。

 その物静かな佇まいやお淑やかな性格、さらには料理が出来るとなればもはや敵はなし。

 

「こんなに素敵な朱音さんにはきっといいお婿さんが見つかるよ」

「ふふっ、ありがとうございます。でも私としては優介くんが立候補してくださるととても嬉しいのですが」

「それはとても嬉しいよ。ぜひ前向きに検討させて頂きます」

「えぇ、ご冗談でないことを祈っておりますね」


 そんないつも通りの軽口な会話をしながら、僕はティーカップに注がれた紅茶に口をつける。


「どうでしょうお口に合いますか? 今日こそは美味しいとおっしゃって頂けるものと自信がありますが」

「うーん、僕としてはやっぱりコーヒーの方が好きかも。やっぱり紅茶ってよく分からなくて」

「むぅ、相変わらず手厳しいですね」


 少しムッとした表情を浮かべる朱音さんを傍目に、僕は紅茶を全て飲み干す。

 美味しいは美味しいんだって。いや本当に。


「美味しかったです。ごちそうさまでした」

「いえ、お粗末さまでした」


 お辞儀をする僕に対して、彼女も同じようにお辞儀をする。


 こんな光景をもし一年生が見ていたら、きっと戸惑うに違いないだろうね。


「……ん? あれは」


 ふとそんなことを考えていた頃、廊下の向こうで一人の男子生徒が早足に教室へと向かう姿を目撃する。

 おそらくは体育学科クラスの偵察係といったところか。


「最初の一戦は優介くんのクラスが勝ったようですね」


 朱音さんはティーカップに口をつけながら、何でもないことのように自分のクラスの敗北を口にする。

 そんな調子で良いのと聞くと、分かっていたことですからと興味なさげに返事を返される。


「些細なことです。優介くんと違って私はそれほどこの試合の勝敗には執着しておりませんので」


 ふぅと一息つき、彼女はニコリと笑う。


「でも残念。『子』が誰かなんて教えませんよ? せっかくの優介くんとの時間がすぐに終わってしまうのは寂しいですから」

「それは本当に残念。あ、ちなみに僕は『子』じゃないよ」

「あら、お揃いですね。私も『子』ではありませんの」


 お互いにさらりと自分が『子』ではないことを明かす。

 いま、この空間にはそんな駆け引きなどは存在しない。

 紛れもなく、今ここには僕と彼女だけの時間が流れていた――。



 ******


 

「ねぇ優介くん。もし私とあなたが全力で戦ったとして、いったいどれだけの時間をお互いに立っていられると思いますか?」


 食べ終わった食器を教室へと片付けた後、再び隣に立つ彼女は顎に人差し指を当てながら首を傾げる。


「さぁどうだろうね。それはやってみないと分からないかも」


 僕と彼女は窓からもう一方の渡り廊下戦場を眺めながら軽口を叩き合う。


「ふふっ、じゃあそれはウォーミングアップの最中に考えてくださいね。私も一緒に考えます」

「かしこまりました、お嬢様」


 素敵な時間をくれた彼女にお礼をと気取った態度で一礼する。

 そんな姿が可笑しかったのか、彼女は口に手を当てて笑う。


「えぇ、本当はこんな時間がもっと続けば良いのですが、向こうでは山崎くんが動き始めたようです。教室に残っていた子が教えてくれました」


 朱音さんはそう言葉を口にしながら僕から離れるように距離を取り始める。

 一方で僕はその場で背伸びを始める。

 美味しいものをお腹いっぱいに食べて、そろそろ食後の運動をしたくなってきた時間ではある。


「あ、ちなみに今教室に残っている生徒が『子』ですよ」

「へぇ、気前がいいね。ついでに名前は教えてくれないの?」

「別に構いませんが、見返りは求めちゃいますよ?」


 僕は膝の屈伸を、彼女は肩を伸ばしながら準備を整える。

 翌日筋肉痛にでもなったら大変だからね。

 

「良い頃合いでしょう。山崎くんが戦場に立てば勝負は直に終わります」

「それは同感だね」


 山崎和也――彼が戦闘を始めれば否応なしに戦場は加速する。

 また一般基礎学科クラスにとって、彼を超えずしてこの試合に勝ちはない。

 

「まぁそれはそれとして、では始めましょう。――あぁ、この時間をどれだけ待ち侘びたことでしょうか」


 彼女は背を向けた姿で、両の手を開き天を仰ぐ。

 僕はといえば、すぅっと頭の中をクリアにするように心を無にする。

 余計な一切を頭から排し、ただあるがままを受け入れるための思考かたどるる。

 ここから先、常識に囚われれば一方的に彼女に食われることになる。


「よろしくお願いしますね【魔法使い】さん――どうか私に甘美なひと時を与えてください」

「こちらこそだよ【狂犬】さん。どうか夢に忘れるまでの素敵な時間を感じさせて欲しい」


 互いに笑顔を浮かべたまま一歩ずつ近づき――そしてその瞬間は訪れる。


 ――ドッカーン!


 廊下から爆発音が響き渡ると同時に【狂犬】が姿を掻き消える。

 咄嗟に姿勢を低くしながら周囲の気配探ろうと意識を集中する。


「駄目ですよ。こんな背後を取られては」

 

 しかし反応する間もなく右肩を叩かれ、同時に脇腹を勢いよく蹴り抜かれる。


「ぐっ……!」


 最低限の魔力で何とかガードを間に合わせるも、思い切り壁に叩きつけられる。

 相変わらず容赦がない。

 衝撃で閉じた何とか目を開き視界をクリアにすれば、すでに目の前には拳を大きく振り上げる【狂犬】が立っている。


「さすがに早いっ……!」


 殴り振り下ろされる拳は転がるように避ける。

 体勢を立て直すために転がる反動で飛び起きようとするも、嫌な気配を察知したため無理矢理に身体を寝かせたままにする。

 次の瞬間、頭上をものすごい勢いで机が通過していく。

 おそらく【狂犬】が蹴り飛ばしたに違いない。

 

「あー、容赦ないねー」


 刹那、音もなく【狂犬】が現れる。

 目の前で椅子を振りかざす【狂犬】の姿に、ガードしたところでダメージは免れないことを悟る。――ゆえに反撃に出る。

 

「はあぁぁぁぁ!」

「――うぐっ!」

 

 身体を捩り反動をつけた足で蹴りを叩き込む。

 流石に威力は弱いが死角からの一撃で怯ませるには十分だ。


 「しっ!」


 【狂犬】の手から離れて中を舞う椅子を、彼女の方角に向かって思い切り蹴り込む。

 見事に【狂犬】の身体に当たると、さすがの彼女もふらつきを見せるが、当然立て直す暇など与えない。

 数歩の距離を一気に詰めて身体目掛けて拳を突く。一撃、二撃、ガードの余裕を与えずに両腕でジャブ。

 小刻みに打ち込む拳に、顔を顰める彼女の姿からダメージが確実に入っていることを確信する。

 しかし【狂犬】。

 僕の一撃を敢えて受けてでも、後ろ足の踏ん張りで勢いよく前へと突き進む。

 ダメージを受けようが、姿勢が崩れようとも関係ない。そんな戦い方を彼女の矜持が許さない。

 だからこその【狂犬】。

 その勢いのままに振り抜かれた蹴りは、僕の身体を吹き飛ばすには十分な威力を持っていた。


「――ぐっ!」

 

 ――ドンッ!

 

 再度壁に叩きつけて崩れ落ちる僕の顔のすぐ真横に、【狂犬】の細い足が突き刺さる。

 肺から溢れた空気を懸命に取り込もうと大きく息を吸う。

 

「はぁ……はぁ……これが壁ドンってやつ、かな?」

「……ふふっ……まだまだ余裕ですよね、えぇそうでなくては」


 互いに息を切らしながら相手の目を見つめ合う。

 彼女の熱のこもった視線を、僕は逸らすことなく目で受け続ける。

 そんな僕に様子を見てか、感極まった笑顔をいっぱいに言葉を発する。


「――あぁ……あぁぁぁ……あぁぁぁぁぁぁ!! ほんっとーに素敵です! これだから私はあなたにとって恋焦がれてしまうのですよっ! あはははっ! あーはっはっは!」


 足を壁突き立てたまま、【狂犬】は歓喜の声をあげて笑う。

 これほど人が幸せそうにしている姿を他に見たことがあるかと記憶を探りたくなるほどに、彼女の表情は、声は喜びに満ちていた。


「ねぇ優介くん! 気づいてますか!? 分かりますか!? この数十秒ぅ! この刹那ぁ!! 最初に背後をとった時点で終わってるんですよぅ!! 蹴り飛ばした机にぶつかれば消えるんですよぉ!! 椅子で殴ってしまえば終わりなんですよぉ!!」


 興奮した様子で矢継ぎ早に言葉を捲し立てる彼女は顔をグッと近づける。

 残り数センチで口同士が触れ合う距離で、彼女は目を潤ませながら甘い言葉を口に囁く。


「だーれもここまで付いて来れないんです。みんなダメ。【一星】も【魔弾】も【魔女】でさえも全然ダメ。――でもね。私にはあなたがいました。私にはあなたという光がいます。分かりますか、この気持ちが? この身体の底から湧き上がる抑えきれない気持ちを理解してくれますか?」


 胸を抑え、頬を赤く染めながら彼女は身を捩らせる。

 身体の奥底から湧き上がる気持ちを、その衝動を、今にも爆発しそうだと僕に伝える。


「優介くん。私はあなたが好きで好きでたまりません。たまらないんですよ。あなたの顔が、視線が、声が、その全てが愛おしいんです。いっそこのまま初めての口付けをあなたに捧げたいと思えるほどに私は恋焦がれて仕方がありません。――ですがそれ以上の感情をあなたに求めてしまうのです」


 唇が触れ合う寸前で、その口を耳元へと逸らし、小さな声でつぶやく。


「早く私を壊してください、優介くん」


 刹那の後、三度身体を蹴り抜かれる。

 勢いのままに転がり、渡り廊下の隅まで吹き飛ばされる。

 言いたいことを一方的に告げてのこの仕打ち。ヤンデレここに極めりだ。


「あー」


 呻き声を上げながら、僕はそのまま大の字になったまま寝転がる。

 そんな僕の横に彼女が立つ。


「……スカートの中、見えてるよ」

「ふふっ、こんな布切れで一枚で興奮してくださるなんて感激ですね」

 

 僕の言葉に一切動じることなく、といった様子で彼女はその場に立ち続ける。

 そのまましばらくの間、彼女は目線を逸らすことなく笑みを浮かべていたが、やがて隣に腰を下ろす。


 ――くいくい

 

 その後、何が楽しいのか僕の眼鏡を縦横にと動かし続ける。


「ふふっ、可愛い人」

「君に可愛いって言われると少し複雑だよ」

「あら、それは褒め言葉として受け取っておきますね」


 やがて眼鏡いじりに飽きたのか、今度は僕の髪を撫で始める。

 梳くように、労わるように、優しく丁寧に彼女は髪に触れる。


「……さっきの話だけどさ」


 ふと髪を撫で続ける彼女に視線を向けて、僕は口を開く。


「さきほどの――私の愛の告白でしょうか?」

「残念。それじゃないんだな。――最初の全力で戦ったとして、ってやつ」


 彼女は次に頬を軽くつっつく。

 ぷにぷに、ぐりぐり。


「何となく見えた気がするよ」

「そうですか。ちなみに聞いてもよろしいですか?」

「うーんと、多分五秒くらい」


 その言葉に彼女は人差し指を動かして僕の唇に当てる。

 さわさわ。


「それは素敵ですね。五秒も私だけを見てくださるなんて」


 ニコリと微笑み、彼女もまた僕の隣で寝転ぶ。

 

「何も写さないあなたの瞳に私だけを映してもらえるなんて、これほど光栄なことはありません」


 無造作に放り投げられた僕の手を包み込むように握る。


「私は全力であなたを壊します。だからあなたも全力で私を壊してください」


 その言葉を胸に刻み、心の中で反芻する。

 彼女にとって僕が唯一であるように、僕にとっても彼女は唯一だ。

 だからこそ、僕は彼女の期待に応えたい。応えたいと願う自分がいることを自覚する。

 一息入れてから、ゆっくりと立ち上がる。

 身体を捻るとポキポキと骨が鳴った。


「もうすぐこの試合も終わりだね」

「えぇ、あちらもどうやら決着が近いようです」

 

 戦場に立つ生徒の気配がほとんど消えている。

 先ほどから何度か退場者のアナウンスが流れていたものの、まったくと言って良いほど聞いていなかったが、もう数えるほどしか立っていないのだろう。

 

「ねぇ、この勝負どっちが勝つと思ってる?」

「そうですね。それじゃあせーのでお互い答えるのはいかがでしょうか」

「それいいね」


 せーの。


「一般基礎学科クラス」

「一般基礎学科クラスです」


 予想していた答えにも関わらずつい笑ってしまう。


「朱音さん自分のクラスなのに負けるって思ってるんだ」

「ふふっ、優介くんのクラスにはずるーい人がいますからね。今日のところは勝ちをお譲りしますよ」


 それは一戦交える前までの和やかな雰囲気で、しかし互いに決着の時が近づいていることを悟る。

 

「ウォーミングアップには事足りましたか?」

「誰かさんに十分すぎるほどに扱かれたからね」


 誰かがものすごい速度で廊下に飛び出す気配を感じる。

 向かう先は、体育学科クラスの陣取る教室だろう。


「――ふぅ」


 もはや憂いはない。

 ここから先は、今目の前にいる彼女だけを見る。


「それではまた愛し合いましょう【魔法使い】さん」

「どうか素敵な時間を【狂犬】さん」


 それから数秒後、試合終了のアナウンスが流れた。

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