4月:迎える新学期
第1話:優介は始業式の朝を迎える
――ピィーピィー
夜明け間もない閑散とした住宅街に甲高い鳥の鳴き声が響き渡る。
冬を越したとはいえまだまだ肌寒さを感じられる今日この頃。
電車の始発に向かうサラリーマンが駆け足で走り去り、新聞配達のバイクが音を立てて走り抜けていく様子がいつもの日常の中を感じさせる中、僕と姉さんは街中を駆け抜けていく。
「ふっ、ふっ、ふっ」
呼吸でリズムを刻み、ペースをコントロールするように意識する。
日々の慣れから疲労感はそれほど感じない。
速度もいつも以上に良いペースを維持できている気がする。
うん、悪くない。
「ふっ、ふっ」
一方で、姉さんもまた調子を乱すことなく走り続けている。
ふと視線を向けると、姉さんはすぐに気が付いた。
まだまだ余裕の表情を見せながら彼女は言葉を口にする。
「調子はどう? といってもこれくらいならまだまだ余裕カナ」
「悪くないよ。むしろいつもより少し余裕があるくらいかも」
「やるねー! さっすがお姉ちゃんのユーくんだよ」
お互いにこうして走りながらも、会話する程度には余裕が生まれている。
毎朝の日課の賜物だろう。僕と姉さんが朝の日課を始めてから数年、着実に努力が身を結んでいるのだと実感する。
特に、こと体力だけで言えば姉さんにも負けない自信がある。
「うーん、最初の頃のちょっと走っただけでヘロヘロだったユーくんも可愛かったケド今の格好いいユーくんも素敵だね! お姉ちゃん惚れ直しちゃうよー」
「毎日付き合ってくれる姉さんのおかげだよ。感謝してる」
「いやーん♡ もう照れちゃうゾ」
ただの感謝の一言に対し、姉さんは走りながらクネクネと身を捩るという不信感極まる挙動を見せる。
そんな時折見せる姉の変態的行動を冷めた目で眺める僕だが、一方で姉さんが何かを思い出したように話を切り出す。
「そうそう、そういえば今日朝から生徒会のお仕事があるから早めに家を出るんだけど、ユーくんはどうする? お姉ちゃんと一緒に学校に行くよね?」
「行くよねって……え、手伝いって始業式の?」
「うん。そうだよ」
一週間程度の冬休み期間を経て、僕と姉さんは今日から新学期を迎える。
今日が始業式、それからオリエンテーションを挟んであの騒がしい学園生活が再び始まる。
ちなみに新入生の入学式は明日である。
「去年は色々あったね。でも今年の方がきっと忙しくなるよー! 楽しみだね!」
「たしかに濃すぎるほどに色々あったね。今年はあれ以上か……」
入学してからの一年間。
筆舌し難いほどのドタバタとした学園生活を過ごした僕だが、今年はあれ以上の出来事が待ち受けているのかと思うと、なんとも言えない不思議な気持ちになる。
期待半分、不安半分といったところかな。
「お姉ちゃんは今年から三年生だし、進路のこともあるからユーくんとは別の意味で大忙しかな」
進路、か。
「そういえば姉さんって進路は決めてるの? 生徒会長なんて結構期待されてそうなもんだけど」
「そうだよー。先生たちからも色々とお話を頂いたりしてるんだよ。といってもまだ進路が決まらなくて、一応どう転んでもいいように勉強だけはしてるんだケド」
「一応の勉強で学年主席は取れないと思うんだけど」
「えへへ。ねぇすごい? 褒めていいんだゾ♡」
「うん。えらいえらい」
「ふへへ♡」
僕の雑な褒め言葉に対し、姉さんは溶けるような満面の笑みを浮かべる。
いやあるいは本当に溶けてるのかもしれない。なんたって危ない顔をしている。
「姉さん、顔」
「おっといけない涎が――じゅるり」
きったね。
「えっとなんだっけ。あ、そうそう。始業式のお手伝いをして欲しいって話だった! え、一緒に行こうよユーくん」
口元を腕で拭いながら姉さんは圧力を感じさせる勢いで詰め寄ってくる。
「いやだって始業式の手伝いってことは、結構早くに登校しなくちゃいけないってことだよね」
……それはきつい。
「てことで遠慮します」
「えー! たまには一緒にお仕事手伝ってほしいゾ! 最近お姉ちゃんに冷たいなぁ」
拗ねるように駄々をこねる姉さんの姿に、僕はこの一週間散々に我儘に付き合った記憶を呼び起こす。
買い物に付き合ったり、一緒に料理したり、遊びに行ったり。
おそらくこの冬休みの大半は姉さんと過ごしていたのではなかろうか。
「いや、結構な姉孝行をしたと思うんだけど。え、お忘れですか?」
「それとこれとは話が別だよ! 過去にこだわる男に育てた覚えはないゾ!」
「えー。というか他にも十分なメンバーがいるでしょ。男手なら、ほら泰斗とか」
泰斗は家が近所ということもあり、小さい頃から共に過ごしてきた僕の幼馴染かつ親友兼悪友でもある。
大体いつも一緒にバカをやってもう一人の幼馴染に叱られるまでがワンセットな関係で、そんな彼だが何を好んでか自ら生徒会に志願し、現在では副会長の座に就いている。
僕としては姉さんがいることが理由なのではないかと勘繰っているわけだが、さて真実やいかに。
「泰斗くん? そりゃだって生徒会メンバーだし。――じゃなくって、お姉ちゃんはユーくんに手伝って欲しいの!」
ただ残念ながら姉さんから見た泰斗の印象はただの知り合い、もしくは弟の友達の域を出ないご様子。
ここは泰斗の今後の頑張りに期待したいところである。
「――ねぇ聞いてるカナ? お姉ちゃんは手伝って欲しいのっ!」
「あー、はい」
それはさておき状況が好ましくない。
ここまでごねる姉さんは珍しいというか、まぁ駄々っ子は止まらない。
こうなるとこっちが折れるまで収まらないことを身をもって知っているだけに、つい無意識にため息を吐いてしまう。
「いやでもほら、一緒に登校しようって約束してるし」
「誰と?」
「音子とアリス」
「へぇ。つまりその二人の方がお姉ちゃんより大事だとそういうことカナ?」
ぶわっと広がる圧に気圧されるも、ここは譲るわけにはいかないと気合いを入れ直す。
……いや、だってめんどくさいし。
朝早くから学校でボランティア? 冗談じゃない。
どうにか避けられないかと思考を巡らせ、唯一とも呼べる解決案を脳裏に思い至る。
けれどこれに関しては分の悪いかけというか――いやしかし姉さんを納得させるにはこれしかないのだと遠い目になる。
――まぁでも仕方ないか。
「分かった。じゃあ姉さんいつもので決めよう」
「うん。もちろんそういうと思ってたよ」
そりゃあそうだよね。
姉さんと何か揉めたときのいつもの解決方法はいつも決まって
ランニング最後のラストスパート一本勝負。
揉め事もケンカの善悪も、僕たちはこの手段で互いを納得させていた。
強い方が正しい。これが僕と姉さんの真実である。
「じゃあ僕が勝てば生徒会の手伝いはなし。姉さんが勝ったら今朝は生徒会の手伝いをするってことで」
「『今朝』は? なんか一言ついてるみたいだけど?」
流石にめざとい。
「まぁ一日付き合わされるのは勘弁だし、放課後は本当に用事があるから『今朝』限定で」
「ふーん。負けた時のことを考えてるなんて弱気だね」
「なんとでも。そもそもこの勝負自体が僕にとってメリットないんだけど」
「えー、ならそれでいいや」
少し不満げな態度を見せつつも姉さんは表情は明るい。
やはりここまで想定通りといったところか。
僕としては条件を飲んで貰っただけマシだと思えるが、反面勝ち目があるのかと聞かれれば五分五分といったところ。
姉さんが調子を整えているように、僕だってこうなることくらい想定はしていた。あとはもう天に祈るのみ。
「さてユーくん。もうすぐスタート地点だけど準備はいいカナ?」
「あー、姉さん。たまには手加減してくれても良いからね」
「んー、無理♡」
最後の信号を渡った先、地面に見える停止線がいつもの勝負ライン。
家まで信号なしの残りラストスパート一発勝負。
勝てば天国負ければ地獄。
「位置についてー」
「よーい」
「「どんっ!」」
――ザッ!
踏み込みはほぼ同時。
低い姿勢から加速し、状態を逸らし全力疾走。隣を見る余裕などない。
流す汗を空に飛ばしながら、僕たちはただ前だけを見て全力で走った。
******
「うわーん! ユーくんのあほーっ!」
鳴き声が扉の向こうへと掻き消える頃、僕はテーブルで朝食を口にしていた。
幼稚な罵倒もいまは耳に心地よく聞こえる。
「……おい、いいのかよ兄貴。姉貴泣いてたぜ」
「勝負は勝負だから。それに姉さんが泣いてるのなんていつものことだよ」
あれからおよそ一時間後、無事に勝負を制して僕は今こうしてゆっくり朝食を口にしている。
――パリッ
音を立てて口の中で香ばしくはじける勝利のウィンナーの味、非常に美味である。
「あぁそうかよ。つか後が怖くねぇのかよ。あの姉貴にあんなツラさせる男なんてこの世に兄貴くらいしかいねぇって」
「それは大袈裟だよ。良太だって似たような経験あるでしょ」
「いやあるよ? ただ俺の場合あとで報復が待ってるんだよ。兄貴はねぇの?」
「報復?」
「……いやなんでもねぇ」
リラックスしたパジャマ姿で、同じく朝食を口にする西園寺家の次男――
一家で揃えたピンク色のマグカップを持ち上げ湯気立つコーヒーを口にし、良太はふぅと一息つく。
「そもそも姉貴に賭け事を挑もうって考えが浮かばねぇよ。ドMかよって言いたくなるわ」
「いや僕はどちらかといえばS」
「知ってるわ、っつか聞いてねぇよ。……要はあの
再びマグカップに口をつけながらぼそっと一言つぶやく。
少しの後、くいっと中身をすべて飲み干してから両の手を合わせる。
「ご馳走さんでした」
「早いね」
「まぁな。最後の休みだし満喫しなきゃってな」
空になった食器を持ち上げて台所へと運び、スポンジを片手に洗い物を始める。
僕や姉さんと違い今年から入学する良太は今日も休日である。
一日長い冬休みといったところか。
どうやら良太はその残りの一日を娯楽に費やすと決めたらしい。
「どこか遊ぶに行くの?」
「おう。せっかくだし少し街でもぶらついてくるわ」
「そっか。――まぁナンパはほどほどにね」
「ちっげぇよ! ……いやまぁ向こうから声をかけてくるってんなら考えても良いつうか」
茶髪混じりの明るい髪に染めている良太は、その見た目通り周囲に軽い雰囲気を感じさせる。
そして、幸か不幸か僕の友人にも似た種別のやつがいるのだ。
「――僕の友人に底抜けの女好きがいてね。そいつは休日に暇さえあればナンパしに街に出かけるわけなんだけど」
「ん? おう」
突然の話に疑問符を頭に受かべる良太。
「そいつね、この前人妻に手を出して殺されかけたらしい」
「お、おぅ。ってかなんでそんな話を? 俺は人妻なんかに興味はねぇんだけど」
「いや、
「っなんでそんな優しい目で俺を見るんだよっ! ナンパなんてしねぇっていってんじゃんっ! つかそいつヤバくね?」
「そうだよね、わかってる」
「わかってねぇ言い方だなそれ!」
いつもながらにツッコミ気質だなぁ。そんな風に自分の弟へと感想を抱きつつ、ふと時計を見ればそういえば待ち合わせまでそんな時間もなかったのだと思い出す。
止めていた箸を持ち上げて、少しだけ急ぎ食事を進めることにする。
「お、そういえば兄貴。今日から新しいクラスって分かるのか?」
「ん? みたいだね。多分始業式前には分かると思う」
「そっか。兄貴はどのクラスになるんだろうな」
洗い物を終えた良太がテーブルに戻ってくる。
先ほどのマグカップに入れ直したのか、再びコーヒーを口にしながら話題を口にする。
「さぁ、どうだろうね」
有栖川魔法学園では二年生進級時にクラス振り分けが行われるのだが、このクラス選択こそが将来を左右するほどに重要な意味を持つ選択であるのだと進級説明会の際に話を聞いている。
魔法の研究カリキュラムを重視するクラス――魔法学科クラス
魔法を活用した身体能力向上を目指すクラス――体育学科クラス
魔法の基礎力向上に重きをおくクラス――一般基礎学科クラス
魔法の応用力を追求するクラス――一般応用学科クラス
魔法学園の卒業生のほぼ大半は魔法に関わる仕事に就いているらしい。
ただし、いくら魔法学園を卒業したとはいえ何もアピール材料がなしでは仕事に就けるかの保証はなく、さらに言えばまだ世間一般的には魔法は浸透していないため働き口もそれほどない。
様々な事情はあるが、世間的には魔法の存在を受け入れてもらえない風潮が少なからず存在するため、『魔法使い』は出来る限り魔法の世界で生を成すことが安全なのだそうだ。
まぁ詳しいことはよく分からん。
棲み分けみたいなものだろうか。
それだけに、いかに魔法学園在籍中に結果を出し、アピールするだけの武器を身につけられるかが重要だという。
得意な分野を目指すか、将来的に関わりたい仕事に絡んだ学科を選ぶのか。そういった意味では間違いなく、今最も熱い話題の一つと言えるだろう。
「で、希望はどこにしたんだ? やっぱり魔法学科――はねぇか。体育学科、あとは一般基礎学科か?」
「残念。希望なしで申請しておいた」
「おぅ……さすが兄貴だな」
ただし、僕のようにたいしてそれらに興味がない人間も存在する。
特に希望もなく、なんとなく学校側の判断に任せるも良いのかと希望調査で白紙で提出しているくらいだ。
基本的にどのクラスでもそこそこ成果は出せるだろうし、どうにも「ここだ!」と決めることが出来ずにいる。
あれだ、退屈しなければ僕はそれでいいってやつだ。
「ちなみに良太は希望とかあるの?」
「んー? 俺か。俺はそうだな、魔法学科クラスかな。可愛い子多そうだし」
良太は顎に手を当てながら少し悩むそぶりを見せつつも、それは大層いやらしい笑みを浮かべていた。
なるほど。この表情なんか実に姉さんにそっくりだ。
「え、てか実際にどうよ! やっぱり魔法学園の女子って可愛い子ばっかりなんだろ? くぅぅぅ、羨ましいっ! 明日が待ち遠しいぜ!」
「はいはい。――っとそろそろ時間だ」
「ん? あぁもうそんな時間か。急ぐんなら食器洗っといてやろうか? 俺も話とかしちまったし」
「ありがと。でも大丈夫、それくらいの時間はあるよ」
両の手を合わせて「ごちそうさまでした」と挨拶を口にしたあと台所に食器を運日、蛇口から流れる冷たい水に手を濡らしながら食器を磨くようにスポンジで洗う。
カチカチと食器同士がぶつかる音を耳にしながらすべての食器を洗い終える頃、背後から声をかけられる。
「そういえば親父は? 珍しいよな。こういう時には見送りとか来そうなのに」
「あぁ、一応昨日話はしたよ。今日は朝から会議があるって部屋に篭ってる。なんでも明日の入学式には絶対に参加するんだって張り切ってたよ」
「なんだそれ。ったくそういうとこ変わんねぇよな」
呆れたように肩をすくめる良太の様子に、ついふっと笑ってしまう。
「あぁそうだね。っと、そろそろ行かないと。アリスたちと待ち合わせしてるんだ」
そう口にしながら玄関に向かい靴を履く。
出掛けの準備は済ませており、学生鞄もすでに玄関に準備している。
「おう。行ってこい兄貴。土産話期待してんぜ」
「はいはい」
二人右手でグーを作りコツンとぶつける。
小さい頃からたまにやるやり取りにお互い笑い合い、ドアに手をかける。
「じゃあ、行ってきます」
そうして僕は始業式の朝を迎えた。
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