第24話 中学三年生、5月

 僕はこのまま高校受験もしないで、適当に生きて、適当に死ぬんだ。

 いつものルーティン。夕方5時30分頃にうろつく近所の本屋さん。

 規模はさほど大きくはないけれど、色んなジャンルの書籍がバランスよく置かれている。

 あ、リカちゃんだ。

 僕は咄嗟に本棚の影に身を潜めた。

 中学校には、去年から行っていない。

 同じ団地に住む同級生を見かける度に、僕は今みたいに本棚の影でじっと息を潜めていた。

 中学校の制服を着たリカちゃんの姿を見たのは、久しぶりだった。

 リカちゃんが立ち読みしているあの辺りは、高校受験に役立つ情報が掲載された本が平積みされているコーナーだ。

 そっか……もう中三の5月だもんな……どこの高校受けるか、考える時期だよな……

 リカちゃんと、同じ高校に行きたい。

 ふと湧き出た感情に、僕は戸惑った。

 その思いは、ぼんやりと毎日を過ごしていた僕には考えられない程、勢いがあってはっきりとした輪郭をしていた。

 いや……でも……僕はもう学校に行ってないし……

 僕は木目調の床のじっと見つめ、考える。

 今さら、高校受験なんて……できるんだろうか?

 やがてリカちゃんは手にしていた分厚い本を置いて、出口に向かって歩き始める。

 あ、リカちゃん、行っちゃった……

 歩くたびに微かに揺れるポニーテールは、保育園の頃からずっと変わらない。

 いつ見ても、強さがにじみ出ているリカちゃんのポニーテール……いいよなあ……

 胸がじわりと疼いて、僕の体が熱を帯びる。

 僕はリカちゃんが好きだった。だったと過去形にしているけど、本当は今でも好きだ。

 幼い頃の空想の世界では、僕は王子様でリカちゃんはお姫様だった。

 王子様は最初からカッコよくて強くて勇敢で。

 臆病で挑むくらいなら逃げるを選択してしまう僕とは大違いだ。

 お姫様は、可愛くてきれいで守ってあげたくなっちゃう癒やしの存在。

 リカちゃんは、昔も今もずっとかわいい。癒やされるというより、ドキドキしてしまう。

 広がる理想と現実のギャップにがっかりしたのは、小学校にあがってすぐのことだった。

 現実は、僕にとって意地悪で苦しいものだった。それに対して、僕はどうしたらいいのかさっぱりわからなかった。だから、逃げた。

 本当は正面から、ちゃんとリカちゃんを見たかったけれど、今の僕にそんな勇気はない。

 僕はリカちゃんと会わないように、時間を置いてから本屋さんを出た。

 リカちゃんがどこの高校を受験するのか、どうやったら知ることができるだろう?

 あれ……僕、こんなに諦めが悪かったっけ。ついさっきまで、ぼんやり生きてなんとなく死ねばいいかって思ってたのに。

 僕はモヤモヤしたものを抱えたまま、慣れた帰り道を辿る。

 何も考えずに、ふらりと立ち寄った団地近くのスーパーで、箱のアーモンドチョコレートとマカダミアナッツチョコレートを買った。あと、ゴマせんべいも。甘いものの後はやっぱりしょっぱいものだよ。うん。

 そのまま家に帰る気にならなくて、僕は公園のベンチに座ってアーモンドチョコレートとゴマせんべいを交互に食べた。

 あ、幸太だ。

 ぼんやりとした夜の風景が、急に色鮮やかに見え始める。

 運動部に所属し始めたのだろう、中一のリカちゃんの弟の幸太は、学校指定のジャージ姿でテニスのラケットを背負っていた。

 叫んだのは、いつぶりだったろう?

 振り返った幸太を呼び止めなければ、僕は一生後悔する。そんな気がしていた。

『姉ちゃんの受験先の高校? 知ってるよ!』

 僕が差し出したアーモンドチョコレートの箱からチョコレートをつまみながら、幸太はにこりと笑った。

『チャリで通える、偏差値低い商業高校だよ。うち金ないから、絶対に受かる公立で通学費かからなくて就職に強い、まさにうちのためにあるような学校だよね! アハハ!』

 よし! よくやった幸太!! 君は最高だ!

『え? これくれるの? やったあ、ラッキー!』

 幸太は僕が差し出した未開封のマカダミアナッツチョコレートを手に、さらに笑顔になった。

 ついでに僕は、幸太に口止めを依頼する。

『うん、いいよ。黙っとくよ! 圭介兄はどこの学校受けるの?』

 僕は、今から頑張ってリカちゃんと同じ高校に行くんだ! でも、それはナイショだ。

『ふぅん、そっか……じゃ、頑張れよ! チョコさんきゅー!』

 幸太、ほんとにありがとう。

 小さくなっていく幸太の背を見つめながら、僕は久しぶりの幸福感を味わっていた。

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