第22話 訪問前

 手ぶらで圭介の家を訪ねるのはなんだか失礼なような気がして、私は図書館からの帰り道の途中にある和菓子屋で甘いものとしょっぱいものを買った。

 どら焼きと、求肥餅ぎゅうひもち入りの最中と、栗まんじゅう。それに、数枚入った堅焼きお煎餅一袋。

 正直、あいつの分は買いたくなかったけど、3人家族の圭介の家への差し入れを2個だけにするわけにはいかない。

「手土産持ってても、気が重いもんは重いなぁ……」

 私は昨日から何度も繰り返しているため息を吐いた。

 我が家は団地の3階。圭介の家は5階だ。

 私は1階からエレベーターに乗りながら、呼吸を整える。

『あなた達には、わからないわよ』

 あの日、圭介のお母さんから言われた言葉。

「達って……私と誰のことだったんだろう……やっぱり団地の子のことかな?」

 誰に問うでもなく、一人呟く。

 上昇するエレベーターのランプが5で止まり、扉が開いた。

 その瞬間、心臓が止まりそうになる。

「こんにちわ、白鳥さん」

 圭介だ。こんなところで会うなんて想定外だ。

 笑顔を向けてくる圭介を無視して、私はすたすたとエレベーターから降りて歩き出した。

 後ろで、バタンとエレベーターの扉が閉まる音が聞こえる。

「行ったか……」

 私はほっと息を吐いてエレベーターを振り返った。

「母親のところに行くのか?」

「うわあ! 後ろに立つんじゃねぇよ!」

 私は慌てて飛び退る。

 うるさいくらいドクドク言う心臓の音が、耳にわんわん響く。

「わ、悪いかよ……」

「いや……だが、圭介こいつの母親から話を聞いたところで、何も変わらないと思うぞ。母親から聞く事ができるのは、母親と圭介こいつとの間の記憶なのだからな」

 圭介はそう言ってにこりと微笑んだ。

 それは……私だってそうかもしれないって思ってるよ! 私が思い出さなきゃならないのは、私と圭介との記憶だもん。

 でも、それでも私は圭介のお母さんと話をしたかったんだ。

「私が何をどう感じるかは、やってみなくちゃわからないだろ! 圭介のお母さんの話を聞いて、なにか昔の事を思い出すかもしれないじゃないか!」

 私は近所迷惑にならないように、小声で叫んだ。

「そうかな……まあ、私は今夜もいつもの時間にいつもの場所で待っている……あと2回……楽しみだな」

 圭介は不敵な笑みを浮かべながら、くるりと背を向けた。そして今度こそ間違いなくエレベーターに乗って階下へ降りて行った。

「くそっ! あいつ、私が絶対に正解を見つけられないと思ってるな!」

 あと2回……そうだよ、あとたったの2回しかチャンスがないんだ!

 湧き上がる焦りと苛立ちに、胃のあたりがしくしくと痛む。

「あぁそうだ、昨日も胃が痛かったんだっけ……うぅ、胃薬飲むんだった」

 私は滲む汗を拭い“香川”の表札のドアの前で立ち止まった。

 もうちょっと。あともうちょっとで、なにかを思い出せそうな気がするんだ。

「私……ごめんなさいを言いたいんだ……圭介のお母さんに」

 インターフォンのボタンをじっと見つめて、呟く。

 私が謝ったところで、お母さんは救われないかもしれない。

 いや、救われて欲しいと思うこと自体がもう、お門違いなような気もする。

 きっと私は、どんな話を聞いても、お母さんが抱いてきた不安を本当に理解することなんてできないだろう。

 私がいつか母親になったら、それがわかるだろうか?

 私はそっとインターフォンのボタンを押した。

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