第20話 嘘つきとビー玉
「うぅ、ずっとイライラしてたせいで胃が痛くなってきた……」
私は腹に手を当てて呻いた。
時刻は夜の9時だ。
団地の周りは街灯の数が多いから、暗がりが少ない。
私はいつものようにバイトを終えて、圭介が待つ公園のベンチに向かっている。
私がイライラしているのは、バイト先のスーパーで何かトラブルがあったからではない。
圭介を乗っ取ろうとしている
『圭介は……このボタンを押したの?』
『そうだ』
私がぶつけた疑問に、
「あんの嘘つき野郎めぇえ……」
その時の光景を思い出し、私はリュックからサプリメントの袋を取り出して、ぎゅうっと握りしめた。
「少しでも
私は周囲に
あ、いた。圭介だ。
いつものベンチで、いつものようにすました顔で本を読んでいる。
その姿を見た途端、かあっと熱いものが腹の底から湧き上がってきた。
だめだ、もう我慢できん。
圭介の目の前に仁王立ちした私は、衝動を抑えきれなかった。
「ほう、今日は随分と乱暴なのだね」
笑顔の圭介は、私が顔面に向かって投げつけたサプリメントの袋をいとも簡単に掴んだ。
ちくしょう、これじゃ与えたダメージはゼロじゃないか。
圭介は私が投げつけたサプリメントの袋をちらりと見て、さらに笑った。
あぁ、やっぱり私、騙されたんだ!
「この大嘘つき!」
私はありったけの怒りをこめて叫んだ。
だが、目の前の圭介の態度はいつもと少しも変わらない。
「ふぅん……君はとても行動力があるのだね……こんなにも早く正解にたどり着くとは思わなかったよ」
その落ち着いたもの言いに、私の怒りは頂点に達した。
「私の邪魔はしないって言ったくせに! 思いっきり邪魔してるじゃないか!」
「いや、私は君の邪魔はしていない。君が
冷たい圭介の視線が、私の胸を射抜いた。
痛い……その言葉、めちゃくちゃ痛い。
私の中の苛立ちの炎は、みるみる小さくなっていった。
「うっ……くそ……反論できない……」
「それに我々のアプローチ方法は、こちらの機密情報だ。それを、私がそう簡単に君に開示すると思うかね?」
「それは……」
私は再び言葉に詰まった。
「もし、これが真実だったなら」
圭介はサプリメントの袋をひらひらさせながら笑った。
「君はこれを使って、色んなところへ情報をばらまくだろうね? そうなれば、こちらはとても動きにくくなる。そのルートは、もっとも回避すべきもの……だろう?」
悔しいけれど、
「我々の情報は、ネットワークでは一切見ることができないよ」
「……どうりでスマホで調べても、何一つ情報が出てこないわけだ」
私は圭介を睨んだ。
虫に人間を乗っ取らせるなんて、どう考えても異常で危険な行為だ。
インターネット上で
こんなおかしな話、誰も相手にしないかもしれない。だけど、私みたいに誰かの頭に咲いた白い花について検索する人は、ゼロではないのではないか。
「もし私が圭介のことをネット上に晒したら、どうなる?」
私の問いかけに、圭介は目を細めた。
「そんなことをしたらどうなるか、試しにやってみたらどうだ? 君の大事な人間は
歪んだ瞳は笑っていない。ゾッとするほどの真剣な光だけがそこにある。
「言っておくが、我々は君達人間の弱点をつくなど実に
「弱点?」
「そう、例えば水だ。水がなにかよからぬものに汚染されたらどうなると思うね? 水は、家庭や学校だけじゃない。製造業や飲料メーカーなど、実に様々な場所で使われているよね?」
「……わかった。私は何もしない」
私には、何もできないのだ。
私は押し黙ったまま、リュックからエコバッグに入ったおもちゃを取り出した。
とにかく、圭介だ。圭介がビー玉に反応するのを期待しよう。
私が忘れていても、圭介が覚えていればいいんだから。
「さて、今日はおもちゃか……どれどれ、
ニヤニヤしながら言う圭介は、まるでこの状況を楽しんでいるように見える。
いや、ようにじゃなくて、楽しいんだ。
私が圭介の正解にたどり着けなくて、もがき苦しんでいるのが楽しくて仕方がないんだろう。
本当に悔しくて……哀しい……
私はエコバッグのおもちゃを一つ一つ手にとっていく圭介を、複雑な気持ちで見つめていた。
今日は、目の前で
だから、ベンチには座らない。
圭介は手にしたミニカーをしげしげと見つめた後、それをベンチの横に置く。
次は電車のおもちゃ、けん玉、ぬいぐるみ……それらが次々にベンチの横に積まれていく。
あれは多分、圭介本人がなにも反応しなかったものなんだろう。
なんとなく、そんな気がした。
エコバッグの中のなにかを握った圭介の体が、ぴくりと震える。
もしかして、ヒットしたんじゃない⁉
胸がどきりと高鳴って、頭の中にかかっていた
圭介は無言でそれをつまみ上げ、大きな手のひらに乗せた。
やっぱりビー玉だ!
私は小躍りしたくなった。
朱色の入った、透明なガラスのビー玉。
圭介は黙ったまま、じっとそれを見つめている。
「せ、正解?」
私は恐る恐る、圭介に声を掛けた。
正解でしょ? ねぇっ⁉
「ふむ……正解ではないが、今までで一番反応があったぞ……良かったな」
「えぇっ⁉ 嘘でしょお……」
そう言いつつも、圭介の口調を聞けば当たりじゃなかったんだとすぐにわかるよ。あーあ……また外れか……
「どうしよう、あと2回しかないよ……」
うなだれる私の視界に、圭介の手が入り込む。
視線をあげると、圭介が私にビー玉を差し出していた。
あれ? なんだっけ、これ……
ほんの一瞬、私の意識はどこかに飛んだ。
ゆっくり手を伸ばし、私はそっと圭介からビー玉を受け取る。
なんだろう……今、何かを思い出しそうになった……
「あとは皆、無反応だった」
スパッとした圭介の物言いに、私はハッとした。
「あぁ、そう……」
私は圭介からエコバッグを受け取り、ベンチの横に積まれたおもちゃを片付け始める。
けん玉にミニカー、電車のおもちゃ……
一つ一つ入れる度に、エコバッグも私の胸も重くなる。
「ごめんね」
不意に、小さな声が響いた。
私は思わず手にした猫のぬいぐるみを落としそうになった。
間違いない……圭介の声だ。
それは柔らかくて弱々しい、圭介の言い方だった。
視界がうっすらとぼやけ始め、私はぎゅっと奥歯を噛みしめた。
謝るなよ……謝るのは、私の方なんだから……
「くそっ……」
「どうしても、君に言いたかったようだな」
……これは、
私はさっさとおもちゃをエコバッグに入れ、肩に掛けて前を向いた。
残るはあと2日。
明日は覚悟を決めて、圭介のお母さんに話を聞きに行く。
私は圭介に背を向け、家に向かって走り出した。
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