幸慾の果て

「なにが起きているのだ!」


 彼女が叫んだ瞬間、空は闇に包まれた。叫び声に呼応するように『闇』たちが次々生まれ、動き出す。


「ここか……」


 どこからともなく、黒い仮面を被ったスーツ姿の人物が現れた。


「誰だ!」


 使者の一人が呼び止めるが、突如倒れた。


「静かにしてくれ、ただでさえ、うるさいのに……」


 仮面を被ったスーツの人物はゆっくりと彼女の元へ近づく。


 それに気づいた使者の長が呼び止める。


「おい、貴様、何者だ!」


 この問いを奴にした時には、使者の部隊の半数が倒れていた。


「まさか……」


 攻撃を受けてボロボロになった使者の長がこの事に気付いた時には遅かった。


か……」


 こう述べたときには、周りの『闇』は奴に向かって、こうべを垂れ、まるで長年の主を待っていたかの如く、深い沈黙を漂わせていた。


 だが、現人うつしおみの姿をしており、まだ神と呼べるほどの畏怖は感じられない。


「今、気が付いたか? まだだけどもうすぐ整うから……」


 彼女のもとへゆっくりと向かう奴に対して、使者の長は問いかける。


「今回の事、黒幕はすべておまえか……」


「ああ、そうだ。ユウカさんにはがある。それを回収にしに来た。それにしても遅かった。1年ぐらい早く起きると思っていたが、今の状態だとどうもな……」


 使者の部隊の生き残り、続々と立ち上がるが、現人はそれを気に留めない。


「貸しとは何だ。これだけの被害を出して、一体何をするつもりだ」


「貸しとは、である。彼女が望んだ幸せそのものだ。ユウカさんはこれを望んだ『私が幸福に過ごし、私にとって理想の人に愛され、平穏に暮らすこと』と。だから叶えた。」


 現人は、動きを止め、使者のたちの方を見る。


「ただ、この望みは代償を払う。その代償がこれであるだけだ」


「おまえは封印されていたはずだ、なぜこれだけの力を使えるのか」


「これについて答える必要はない。また封印したければ、あのを呼べ」


「呼ぶ必要はない、我々がお前を封印する!」


 使者たちは、力を振り絞るように立ち会がる。


「そうか…… それは何か対策があって言っているんだな!」


 奴が持つ闇の気迫が使者たちに向けられる。


 この気迫にのまれる者もいたが、使者の長はこう述べた。


「……そうだ!」


 この掛け声と共に使者たちは、奴に攻撃を行う。


 しかし、奴の前では無力であった。


「これが対策か…… ましな戦略はないのか?」


 使者の長はこの状況を俯瞰し、考え続けていた。正面を切って、対峙すれば、勝ち目はないことは分かっている。しかし、こいつを封印しなければ、この世の平定はさらに乱れる。上からの援軍は来ない。ではどうする……


「なにをしている。攻撃しないのか……?」


 現人は使者の長に問いかけるが、答えなかった。


「無視か…… ひどいな。名を述べよ」


 長はこの時、闇ノ神の真の目的について一つの仮説を導いた。


「おい、無視か! 名も言えないのか!」


 現人は苛立つ。


「名は、アヤメノミコトである。これ以上は答える必要はない!」


「そうか、ありがとう……」


 現人はそう言って、再び彼女の元へ向かう。


「やはりか…… 全ての者に告ぐ、もうすでにこれは闇ノ神との戦である。すぐさま、かの女性を保護し、奴を近づかせるな! かの女性が闇ノ神をこの世に復活させるカギとなる可能性がある。必ず保護するのだ!」


「御意!」


 倒れていた使者も立ち上がり、かの女性のもとへ向かう。


「なにをする……!? ふざけるななああああああああああああああああああ!」


 現人は、彼女のもとに向かう使者を次々と攻撃しはじめる。使者もこの攻撃に反撃し、それは闇に包まれた夜空が割れるほどの激闘だった。


 彼女はいまだに叫び続けている。ただ一人、夫の無残な死に嘆いている。


 一人の使者が奴に問う。


「なぜ、そこまでかの女性に執着するか、貴様にとって何なんだ!」


「話すことはない!」


 奴の猛烈な抵抗により使者側はまったくかの女性の元に近づくことはできなかった。むしろ、状況は奴の優勢だった。


 アヤメノミコトは思う。


「もしの事があれば、我はかの女性をこの世で……」


 使者の力も徐々に失っていく状況だった。誰も奴に敵う者はいない。


「私の邪魔をしないでいただきたい。これは私とユウカの契りである。私はこれを待っていた。この時を長く待ちわびていた。それを邪魔される気分がわかるか、おまえら…… まあいいだろう。そもそも私と関わったのが運尽きだ。この先がどうなろうと、我の勝手であり、お前らには関わりないこと、だから黙っていただきたい。」


「関わりなら…… ある! 貴様の関するものは全て、世の理を崩すものである。なぜ、あの仕官がいるのか、なぜ、我が貴様を封印するのか、全て承知の上で行動である。だから、黙ることはできぬ!」


 アヤメノミコトは覚悟を決めた。


「弓矢の部隊…… 動けるか……」


「はい、一部は負傷していますが、動けます」


「矛の部隊……」


「こちらも同じく……」


「では、全ての者に告ぐ、目標をかの女性にし、殲滅し、回収を行う。なお、本行動は、例の特別措置である。一歩も怯むな!」


「御意!」


 使者の誰もが凛々しく悲しげな表情を見せたが、一瞬にしてこの表情を打ち消し、みな力強く地面を踏み、一歩を進み始めた。


「…… 弓矢の部隊 用意 目標をかの女性に!」


「やめろ……」


「…… 放て!」


 一斉に放たれた矢は、徐々に泣き叫ぶ彼女に目がけて向かって来る。その瞬間に誰も遮るものはなく、たった数秒という時間ではあるが、部隊にとって、それは数分、数時間という矢の速さが遅く感じるほど、緊張が走っていた。


 大量の矢はまっすぐと直進に進み、数百メートル先の目標を捉え、ただ、先端の鏃を尖らせ、貫こうとしている。


 しかし、彼女は気付いていない。泣き叫び続けているが、ほぼ気を失っている状況である。


 彼女の言葉にもならない泣き声がただ響き渡る。そして、多量の矢が彼女のもとへ降りかかってくる。


 先陣をきった最初の矢が命中した。そして、次々と矢は命中した。命中した矢は、身体に血を吹かせ、身体を貫こうとするが、貫くことはできなかった。


「まさか……」


 使者たちは困惑した。矢に命中したのは、かの女性ではなく、奴であったことを……


「なぜ、そこまでかばうのだ! 一体、どういう関係なんだ!」


 アヤメノミコトが強く問う。しかし、返答はなかった。


 現人は彼女をかばうように背を盾にしていた。


 泣き叫ぶ彼女に現人は語りかけた。


「久しぶり、多分覚えてないと思う。幸せになれた……? こんな事しなければ、良かった。ただ好きだったし、幸せになってほしかったけど…… 私と一緒に幸せになりたかった。でも、これでよかった。ユウカさんのお蔭でまた、戻れるよ……」


 現人は、左手で彼女の頬に触れ、右手でそっと仮面を外し、顔を近づける。


「矛の部隊急げ、弓の部隊、第二射構え、放て」


 矛の使者たちが走るのと同時に矢も放たれる。


 再び、矢は奴の背に刺さり、血まみれのハリネズミのような姿になっていく。


「ユウカさんは、私が幸せにするから、またね……」


 現人は彼女と口づけをするような仕草し、ゆっくりと口元を近づける。


「まずい、いますぐ殲滅しろ、取り返しのつかない事態になるぞ」


 矛の使者たちにも焦りが見える。あと数十メートル、しかし現人の仕草を止めるほどの速さではなかった。


 現人は泣き叫ぶ彼女の口に全てを受け止めるが如く、そっと唇同士を重ね合わせ、一方的な愛憎に満ちた深い抱擁ともに全てを手に入れた。


 それは、周りの闇に歓喜をもたらし、使者たちに絶望を与えた。


 しかし、使者たちは諦めることはなかった。矛の使者たちがこの瞬間の直後に奴

とかの女性ごと、いくつかの矛によって貫かれた。


 貫かれても現人はそれをやめなかった。身体中が血まみれになり、地面には水たまりのように血が溢れていた。


「ギリギリやったか……」


 辺りは静寂に包まれた。闇もこの状況に困惑し、徐々に姿が見えなくなる。


 矛の使者たちは、気を緩めず、刺した矛を握りしめ、何度も強く突きづけた。


 アヤメノミコトは他の使者を連れ、奴とかの女がしっかりと確認できる位置まで警戒しながら進む。


 見たくもない光景だった。


 だが、我々はこれらを回収することを決めた。二度とこの様な事を起こさないためである。


 速やかにこれらの周囲に転移用の結界を張り、監視と転移するための作業を続けた。


 しかし、ほんの一瞬の出来事であった。


 もう動くこともできず、生きる者でないものが消えていた。


 使者たちに最悪の想像がよぎる。


 だが、遅かった。ある使者が奴を見つけたときには、この地に現れた。


 奴は空中に立ち、思慮深く夜空に見上げ、人であって人ではないかたちをし、奴と呼ぶべきでなかった。



 



 我々は恐怖を覚えた。未だかつて感じたことない根源的な恐怖心であった。だが、身体は反撃する態勢を取っていた。


「今すぐ、ここで封印だ!」


 反射的な行動であった。使者たちはこの言葉を聞き、転移用の結界をすぐさま、封印用の結界へと切り替えた。この神の行動は、一刻を争うものである。一切の過失があってはならない。


 使者たちは、闇ノ神の四方から鎖を付けた矢を飛ばし、御身の動きを封じた。使者たちは、この鎖を引っ張り、結界の中央にお移りさせる。


 闇ノ神は一向に抵抗する様子を見せない。むしろ、意志が存在しないように見える。


 使者たちは、封印する準備を整えた。そして、即座に封印の儀を執り行う。


 結界から眩いに光があふれ、闇の神の御身には、封印の文様が刻み込まれていく。徐々にそれは広がり、闇の力や意志を強制的に押さえつける。


 だが、封印を行う使者たちも相当な力を使っており、完全に封じ込めるか、怪しい状況である。


 ある使者が倒れた。そして、また、使者が倒れる。ギリギリの戦いである。


 だが、状況は、我々が優位である。御身のほとんどが封印の文様が刻み込まれ、もう動ける余地はない。


 あと少しのところで事態は一変した。


 御身の動きを封じる鎖にひびが見えた。


「まずいぞ、急げ!」


 アヤメノミコトは焦り、使者たちは結界を強化する。


 しかし、我々の健闘もむなしく、闇ノ神は再び解き放たれた。


「結界の術式を唱え続けろ! 必ず封印しなければならない。絶対にだ!」


 闇の神はそっと立ち、結界から5m程度、浮遊した。


 我々は、再び臨戦態勢になる。そして、闇ノ神は仰せになられる。


「我に遮るものなし……」


「放て!」


 一斉に矢や放たれる。


 闇ノ神は動じることなかった。ただ傍観するように立っている。


 一瞬、闇ノ神が何を唱えたように見えた。その直後、一斉に放たれた矢は御身を貫いた。


 この瞬間、御身が破裂し、結界内に黒い液体が飛び散った。


「どういうことだ……?」


 使者たちは、困惑と緊張が走る。


  結界内に飛び散った黒い液体は、色が消えていき、無くなっていった。


  唯一残っていたのは、金属製でリング状の小さな指輪のようなものだけだった。


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