ユウカ 編 第三

 その後、医者が来て問診を受けたあと、夫であるハルキと今後について相談した。


 私は、大事を取って三日程度入院をしないといけないらしく、退院後も絶対に安静にいるようと言われた。そのため、仕事は当分の間できず、休職することに決めた。ハルキは、昨日から有給を取っているらしく、今日は私の病室に泊まることを決めた。


「別に泊まらなくていいのに、先生は“”と言ってたし」


「言ってたけど、さすがにユウカ一人にするわけにいかないし、そもそも自宅に帰れないから、ここにいるしかないだろう」


 いつも通りのさらっとした思いやる態度で安心した。


「どこで寝るの?」


「そこのソファーで寝るつもり」


「私のベットで一緒に寝る?」


「えっ…?!」


 嬉しさと困惑が入り混じる表情を見せた。


「いいじゃん! この部屋、私たちしかいないから。」


「それはさがすに… ここ病院だよ。やめとく、ユウカの身体に何かあった時、言い訳できないから」


「……わかった。でもこれ、冗談だよ。」


 私は少し微笑みながら答えた。ハルキは少し笑顔だった。

 食事やたわいない会話をしていると、すでに時刻は21時頃を過ぎていた。

 廊下の電気が落とされ、病院全体が就寝モードに体制に入った。


「なんか、暗いね」


 私は小さな声でつぶやいた。


「そうだな」


 ハルキも小さな声でつぶやいた。


 私はふっと、机にあるペットボトルの水が少ないことに気付いた。


「ねぇ、水足りるかな?」


 ハルキは机を見て、ペットボトルを手に取り、こう言った。


「足りないな~、ロビーにある自販機で買って来るよ。」


「そう、ありがとう、暗いから気を付けてね」


「大丈夫だよ、すぐ近くだから」


 そう言って足早に病室を出て行った。


 ドアを開けたとき、廊下が少し見えた。電気がついていた時よりも暗かった。妙に寒気がした。自分の心を誰かの指でなぞられたような感覚だった。しかし、私はそれに気を留めなかった。


 10分経っても戻って来ない。


「……遅い」


 内心の思いが思わず、言葉になってしまった。


 ハルキが行ったロビーがどこにあるかも知らないし、自販機がある場所なんて検討がつかない。そんな事を思っていると、突然「ドスン」と強くドアが開く音が聞こえた。


「逃げるぞ」 


「えっ?」


 ハルキだった。走って来た様子でだいぶ息が上がり、どこか焦っている。


「逃げるぞ、ここから」


「えっ、ちょっと何、やめて持ち上げないで、医者も安静にしろって……」


 ハルキは、私をお姫様抱っこように抱えて、病室を出た。


「ねぇ、ちょっとやめてよ、荷物どうするの? どこに行くつもりなの?」


「ちょっと待って、ここ出てから話すから…」


 私は怖かった。ハルキが血相を変えて、何かを怯えて逃げているように見えた。

 私を抱えたまま階段を勢いよく下り、一階のメインフロントに着いた。そのまま、正面玄関へと向かったが、扉が開かない。


「ちょっと、もうやめて恥ずかしいよ、早く病室に戻ろう」


「ダメだ」


 私はちょっとドキッとした。久しぶりに感じたときめきだった。


 私を抱えたまま、出口を探すためにメインフロントをぐるぐる周った。

 ある時、「夜間通用口」と書かれた扉を見つけ、私たちは病院の外に出た。

 病院の外は、不思議と静かで遠くから少し騒々しい音が聞こえた。ここから少し走って、ある公園に辿り着いた。


「もう、ちょっと降ろして」


 さすがに、外までこの状態は恥ずかしかった。


「どういうこと? 病院から抜け出して、何がしたいの?」


 私は今までのハルキの行動が理解できなかった。


「よく聞いてほしい」


 今までにない真剣な表情で私を見つめる。


「さっき、自販機に行った時、スーツを着た人に会ったんだ。そいつが、僕に向かって言ったんだ「君の奥さんはと……」 訳が分からなかったけど、突然、自販機が壊れたんだ。だから、そこから逃げて、君を連れ出したんだ。もう一度言うよ……」


「ねぇ、ちょっと落ち着いて……」


 ハルキは息切れした様子で話を続けているが、内容はあまりも支離滅裂だった。


「わかったから、ちょっと落ち着いて、ほら、そこにベンチあるから座って……」


 興奮気味のハルキをベンチに座らせて、落ち着くまで待った。

 ベンチに座ってから、しばらく経って、ハルキは少し冷静さを取り戻しつつあった。

「ねぇ、何があったの?」


「わかんない。でも、君が狙われていると思った」


「誰に?」


「わからない。ただ、あの病院に居続けることは危険だったと思う」


 いつものハルキなら、理路整然と話し、不確定な事は話さない。しかし、今のハルキは、いつもの様子とは程遠く、起きた事に対して理解できない様子だった。


「警察に通報する?」


 私はごくごく一般的な解決策を提案した。


「多分、信じてくれない。今、一番おかしいのは、僕だから……」


「じゃあ、どうするの?」


「わからないよ……」


 頭を抱えながら、こんな弱音を吐く姿は初めてだった。


「大丈夫?」


 私は優しく語り掛けた。


「ああ、大丈夫だよ」


 ハルキは、応えるように優しく返した。


「ハルキが病院がダメだって言うなら、私の実家に帰る? だって、って言ってなかった? 家族の様子も気なるし……」


「あっ、ん、でも、家族に連絡しないと……」


「どうしたの?」


「財布は持ってるだけど、スマホ持ってなかった……」


「公衆電話を探して、連絡しよ。私、番号わかるから」


 私たちはベンチから腰を上げて、公園を後にした。


 突然、病院を抜け出し、夫であるハルキが訳の分からない事を言い出していることに、今後の自分の運命に不安を抱いていた。ハルキの事は信頼している。言っていることも行動も信じたい。


 しかし、このまま、彼を信じていいのか、疑念が私の中から湧き出てくる。二人でゆっくりと下り坂を降りていく、私の前に広がるのは、光が少ない何とも言えない夜景だった。


「そこのお二人さん、何をしているのですか~?」


 後ろから、愛らしい子どもの声が聞こえる。


 私たちは、ふっと後ろを振り返った。そこには、白い着物を着たおかっぱの髪形をした子どもが立っていた。


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