第9話 5年前―博愛帝国と化物界 序


「私が化物界を崇めるようになったのはね、今から五年前――私が七歳の頃」


 長い金の睫毛まつげに縁取られた艶やかな瞳を伏せ、彼女はそっと語り始めた。



 * * * * *


「「久美、お誕生日おめでとう」」

「お父様、お母様、ありがとう!」


 純粋で幼い久美は、目の前の【久美 7歳おめでとう!!】と書かれたプレートの乗っている大きなホールケーキにきらきらと目を輝かせている。

 城の大広間のど真ん中。洒落たテーブルクロスの上に乗るのは、久美自身が「これが良い」と望んだ、様々な薔薇飾りに彩られた美しいケーキだ。


 両親の祝福の言葉に対して、弾けんばかりの笑顔を、久美は感謝を口にした。


「「「久美姫様、おめでとうございます」」」


 親子の会話が終わるのを見計らい、大勢の使用人達と、この日のために集められた各国の王族、皇族、貴族達が祝福を述べた。


 久美の妹である久遠くえんも、近くにそっと寄ってきて「お姉さま、おめでとう!」と耳打ちしてくれた。


 シャイな妹にとっては、これだけでもとても勇気のいる事だっただろうと思い顔をほころばせた。

 

 だから幸せでいっぱいであることに対して疑問など決してなかった。大好きな両親に最愛の妹、別の星や他国からわざわざ集まってくれた方々には感謝しかなくて。


 ただひとつだけ、久美が心の奥底から笑えない理由があった。


「お父様……本当来られないの?」

「すまない……来るようにとは言ったのだが……」


 父はすまなさそうに項垂れた。


 会場を隅から隅まで探しても見当たらない、艶めく金色のショートヘア。

 久美にとってはこれほどに悲しいことなんて他にない。それが――


 皇子であり、久遠くえんの双子の兄であり、久美くみにとって久遠くえんと同じくらいに愛している弟、みかどの不在――。


 * * * * *


「もっとこう、しりあす? な感じのだと思ってた」


 話の途中にも関わらず、可愛らしくこてんと首をかしげてラビジェルが呟いた。


「え!! 大事件でしょ!?」

「うーん。久美くみってブラコン?」

「ん~、ブラコンって言うか、弟妹まるっと大好きだもんなぁー……」

「ブラコンとシスコンこじらせてんの?」

「違う! そんなんじゃないし!」

「……ふふっ」

「エンジェルちゃんまで何笑ってるの!!」


 拳を握りしめて、両手を上下にぶんぶんと振る久美くみ

 さっきまでの印象だけならばもっと大人で落ち着いた性格だと思っていたエンジェルは、彼女のそういったお茶目な仕草に思わず笑っていた。

 弟妹が大好きなところにも、シスコン気味なエンジェルは好感仲間意識を覚えた。


 それにしても、この違和感は何だろう。

 何かがおかしい。分からないけど、何かが。


「久美ー、続きは? 早くして?」

「ラビジェルちゃん? あなたが止めたんでしょ?」

「なにそれラビ、しーらない!」

「えー……。まったくもう、続き話すわよ?」

「はいはーい」


 * * * * *


 結局その晩のパーティーが終わる頃になっても、みかどが表れることはなかった。

 愛する弟の気配がするから部屋に居る事だけは分かるのに、だからこそ来てくれなかったことが悲しかった。


 就寝の刻、久美くみは毎日の習慣通りに、一度帝の部屋を訪ねた。


 扉をノックし、「みかど」と声をかける。

 ――返事はない。


「お姉ちゃんみかどの顔が見たいな。ね、お姉ちゃんの誕生日祝いに一目だけでも顔見せてよ」


 帰ってくるのは沈黙のみ。分かってはいたけど泣き出したくなった。

 みかどが部屋に引きこもるようになったのは、実は一年以上前から。その日からずっと、久美くみみかどが顔を見せてくれる事を毎日願っていた。


「……あのね、パーティーが始まったのは午後7時でね―――」


 * * * * *


 ひとしきり今日の出来事をつらつらと語り続けたが、みかどの反応はいつもと同じように何一つとしてなかった。


 そもそも聞いているのかすら分からない。


 それでも話をし続け、遂には零時を告げる鐘が鳴った。


 久美の気持ちを思ってか誰1人毎日のこの習慣に文句を言う者はなかったが、健康のために日付が変わる頃には寝てほしいという母の言葉を思いだし、久美は「また明日ね」とだけ告げて自室に戻った。

 

 悲しい思いを抱えたまま、後は寝るだけ――


 部屋の扉を開き、部屋の電気をつけた時。


 いつもの習慣に差し込んで来たモノは、久美のベッドで悠然と寝転ぶ黒い影だった。







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