【短編】生命力とあらゆるパワーに満ち溢れたゴリラ姫は、余命幾ばくもない薄幸な王子の元へ嫁ぐことになりました~貧乏くじとかそういうのはどうでもいいから、今すぐ万病に効くドラゴンの心臓を取ってきますね!~

遠堂 沙弥

第1話

「リチャードよ、最期に……何か望むものはないか」


 珍しく父親であるゲルタニア国王が寝室へ来たかと思えば、開口一番がそれだった。

 ゲルタニア国第一王子であるはずのリチャード王子は、ベッドに横たわったまま父親の顔を見上げる。

 蔑むように見下す瞳、まるでゴミ虫を見るような目つきに、彼は吐き気がしていた。


 彼が生まれた時、手足のあちこちが骨折した状態で誕生したのが全ての始まりだった。

 ほんの少しの衝撃にも耐えられない身体、病気に負けやすい抵抗力のない弱い体、体調の良い日など年に数回あるかないかの日々だという。

 こんな脆弱な人間が一国を背負えるわけがない。ーー彼自身がよくわかっている。

 それでも彼は、父親から一切の愛情を与えられることのなかったこれまでの人生に、ようやく終止符が打てるのかと思うと、かえって安堵さえしていた。


「どうせなら……」


 ならばいっそのこと、最後の最後に困らせてやろうと考えた。


「こんな自分でも……、せめて一度くらいは……、結婚というものがしてみたかったです……」


 それが父親だけではなく、その相手に選ばれてしまった女性にまで迷惑をかけてしまうことも、全て承知していた。

 彼はそれほど、自分のことより他者を何より重んじる性質なのだーー本来ならば。

 だけどせめて最期の瞬間だけでもいいから、自分だけを愛してくれる人にーー自分の最期を看取って欲しいという、その思いだけはどうしても捨てられない。

 そんなささやかな願いだけでも、彼はどうしても叶えたかったのだという。


 それがまさか周囲からゴリラ姫と称される私みたいな女が……、リチャード様と文字通り一生を共にすることになるとは、ーー夢にも思いませんでした。

 

 ***


 イヴァリースという名の国がある。

 その国王の一人娘として誕生した私は、ある意味「呪い」にかかっていました。

 その呪いというのは、ここイヴァリース国と隣国ゲルタニア国の間に雄々しくそびえる霊峰「白鴎山(はくおうさん)」に棲む霊獣ゴリラの恩恵を、ただひたすらに受けたものなんですけど。

 そう言ってしまえば、何も知らない人からすれば「恵み」と思われるかもしれません。

 だけど恩恵を受けた者にしかわからないこの力は、やはり私にはとってただの「呪い」でしかないのです。


 カチャーンと、陶器の割れる音が響き渡る。

 今日は午後のお茶会、イヴァリースの令嬢達が侯爵家の中庭で優雅にお茶を楽しんでいた時のこと。

 淹れてもらったお茶を頂こうと、リラが両手を静かに差し伸べた瞬間だった。

 ティーカップはリラが受け取った途端に音を立てて四散してしまい、可愛くて美味しそうな茶菓子が並ぶテーブルは、熱々のお茶と粉々になったティーカップの破片、そしてその場にいた令嬢達の悲鳴と共に台無しになってしまう。


「まぁ、大丈夫? やけどをしてしまったかもしれませんわ! 早く冷やしていらっしゃい」

「ここはいいから、リラ姫の愛らしい手を大切になさってくださいませ」


 そう優しい言葉をかけられては、とても大丈夫だとは言えなかった。


「ごめんなさい。わざとでは……っ、わざとではないんです……っ!」

「わかっているわ。ちょっと力の加減を間違えただけなのよね。ほら、早く行ってらっしゃいな」


 私はお言葉に甘えて、というより。

 その場の空気に耐えられず、そそくさと逃げるようにお茶会を後にした。

 うっすらと聞こえてくる、貴族のご令嬢達の本音の言葉ーー。


「だからお茶会にゴリラ姫を誘いたくなかったのよ」

「そうは言っても、仮にも姫君よ? もし仲間外れにして、私達が罰せられたりしたらたまったものじゃありませんわ」

「ほんと、迷惑よね」

「だから婚約者の一人も出来ないのよ」

「あはは、それ言ったら可哀想でしょ!」

「誰があんな怪力ゴリラ姫を娶るというのかしら」


 これも霊獣ゴリラの恩恵、とでもいうのか。

 そのせいで耳の聞こえがとてもいい私には、彼女達の陰口が全部聞こえていた。

 せめてもの救いは、心の声までは聞こえないこと……だろうか。


 確かに彼女達の言う通り、こんな怪力娘を誰がお嫁にもらってくれるというのだろう。

 自分でもゆっくり、そうっと触れただけで壊れやすいものはあっさりと破壊してしまう。

 いつも力加減に気を付けて、びくびくしながら暮らしていくしかなかった。

 騎士団ですら手こずるような魔物が近くで出現した時には、私が駆り出される。

 普通、一国の姫君がーー小娘が呼ばれるような場面じゃないはずなのに。

 それでも私は、その魔物を一撃に伏してしまうほどの破壊力を持ち合わせていた。

 騎士からは称賛の声が上がるけれど、心のどこかでは彼等が何を考えているのか恐ろしくてたまらない。

 国民達の視線もそうだ。

 目が合えば人々は笑顔で温かく迎えてくれるけど、通り過ぎた時に安堵するようなため息が聞こえてくる時が、たまにある。

 恐ろしくて、きっと緊張していたんだろうと察した。


 そう、私は人々から畏れられている。


 もっと、普通の女の子でありたかった。

 せめてこんな私でも、誰かと恋に落ちて……幸せな結婚というものを、してみたい。


 熱々のお茶がかかった手を見つめる。

 少しピンク色になってはいるけれど、それ以外なんともない手を見て私は一人ごちた。


「こんな私でも……、一度は誰かに心から愛してもらいたかった……」


 ***


 そのまま徒歩で城へ戻ると、なぜだか城内が騒がしい。

 元々活気はあるが、それにしても慌ただしく見えるのはなぜだろう。

 不思議に思っているとメイドの一人が、リラの帰りに気付いて声をかける。


「リラ様! 朗報でございます! 今すぐ国王様の元へ行ってください!」

「えっ? えっ? 急にどうしたの?」

「いいから、とにかく国王様の口から直接聞いてください!」


 そう急かされ、とにかく国王が日中いるところへーー謁見の間へ向かうことにした。

 城内を早足で駆け抜けていくと、すれ違う使用人や見回りの騎士から次々と嬉しそうに声をかけられて、戸惑うリラ。


(普段はかしこまって挨拶される程度なのに、みんなどうしてこんなに機嫌がいいのかしら? これもさっき聞いた朗報と何か関係が? お父様と話せばわかることって、一体何かしら)


 謁見の間の扉前に到着するなり、護衛騎士が出迎えて早々に両開きの扉を開けて中へと招く。

 リラが姿を現すと、国王が声高々に嬉しそうな第一声をリラに浴びせた。


「喜べ、我が娘リラよ! お前に結婚の申し込みがあった! しかも相手は隣国の第一王子と来たものだ! 今夜は盛大に祝おうではないか! あっはっはっはっ!」


 両手を広げて喜ぶ国王を見て、リラは一瞬何か聞き間違えてしまったのかしらと思って固まっていた。するとそばにいた護衛の騎士が、国王の言葉を繰り返すようにもう一度教えてくれる。


「リラ姫、あなたの嫁ぎ先が決まったのですよ。おめでとうございます」


(わた、わた……私に求婚の申し出!? しかもお相手は、隣の国の王子様!?)


 脳内で情報処理が追い付かず、リラはしばらく硬直したままだった。


 ***


 あまりに突然の出来事に、リラは国王の鶴の一声で行われた祝いの席でも呆けていて、ほとんど記憶に残っていなかった。

 覚えていることと言えば、あらゆる人々からお祝いの言葉をもらったことだけ。

 年頃の令嬢達からは、遠目に睨まれているような、陰口を叩かれているような気はしていたが、リラの心には全くダメージを与えることはなかった。

 そんなことよりも自分の結婚が決まったことの方が、何よりも衝撃的で仕方ない。

 美味しいはずの料理もほとんど手を付けずにいると、両親が話しかけてくる。

 父親は喜び一色の表情であったが、母親はどこか浮かない顔をしていた。


「リラよ、イヴァリースの慣わしは覚えているな?」

「……慣わし?」


 ぼうっとしたままオウム返しすると、母親はリラの手を握って心配そうに声をかける。

 

「イヴァリースの娘が嫁ぐ時、お相手へこちらから贈呈品を送ることになっているでしょう?」

「あぁ、そういえばそうだったわね。……それが何か?」

「お父様はこの通り。頭ばっかりで、戦闘能力なんてうちの一般兵以下じゃない?」

「はっはっはっ! ひどい言い草だな、我が愛するワイフよ」


 貶める言葉にも全くめげることなく、父親は高笑いをしている。

 そんな夫を横目で見るが、構わず話を続けた。相手をする気にもならないらしい。


「嫁ぐ側の父親は、強いとされる魔物を狩って、それを贈呈品として贈ることになっているの。しかもお相手が一国の王子ともなれば、その魔物はこの辺りでも強くて獰猛だと有名なベヒーモスレベルでないと釣り合わない。ーーそれをお父様の代わりに、あなたが狩って来ることになったの」


 そう言いながら母親は心配そうに泣き崩れる。

 しかしリラは「結婚」という衝撃からまだ抜け切れず、二つ返事で承諾した。


「わかりました。そういうことでしたら、明日にでも私一人で狩って来ますね……」

「リラ! そんな、ちょっとそこまで買い物にでも行くような感覚でっ!」

「はっはっはっ! さすが霊獣ゴリラの恩恵を受ける姫は、言うことが違うな! それでこそ我が愛する娘だ!」


 翌日、腕利きの騎士複数人でも苦労してやっと打ち倒すはずのベヒーモスを、リラはたった一人で。

 しかも、ものの数分で狩ることに成功した。


 ***


「問題が発生しました……」


 困り果てたように、騎士と運び屋が国王にそう進言する。

 結婚相手となるゲルタニア国の王子への贈呈品となるベヒーモスが、あまりに大きく重たい為、運ぶ手段がないというのだ。

 解体すれば運べるとのことだが、贈呈品はあくまで「ありのままの姿」であることが重要視されている。そうしなければ「これだけの魔物を狩り取れる」という、こちらの力を誇示することが出来なくなる為だ。

 贈呈品とは、嫁ぐ娘の家が力を持っていることを示しつつ「娘を丁重に扱わなければ、次にこうなるのはお前だ」という意味合いも併せ持っている。

 だからこそ、狩った魔物は出来る限りその姿を保っていた方が良しとされていた。

 しかし運ぶ手段がないとどうしようもない、と頭をもたげていると、すでに出立の準備が整っていたリラはあっけらかんと提案する。


「だったらそのベヒーモスを、私が運べばいいんじゃない?」


 純白のドレスに身を包んだ貞淑ある姿のリラは、ベヒーモスを両手で抱えるとそのまま肩に担いでにっこりと微笑んだ。


「さすがにちょっと重いけど、これなら隣国まで徒歩でも行けます。道行く人を驚かせないように、付き添ってくれる騎士の方が先導してくれるかしら?」

「あぁ、はい……、承知しました」

「それではお父様、お母様、行って参ります」


 周囲の人間は呆気に取られながら、この国のたった一人の姫君を黙って見送った。

 二度と会えないわけではないが、感傷に浸っている両親が涙で頬を濡らしているところに、誰かがぼそりと呟く。


「さすがゴリラ姫だ……」


 ***


 一定の距離を保って付き添いの騎士に先導してもらいながら、リラはようやく隣国ゲルタニアへと到着した。

 その間も巨体であるベヒーモスを背負う姿はやはり異様なのか、人々の視線は恐怖の色で満たされている。少しでも恐怖心を和らげようとリラが声をかけるも、それがさらに恐怖心を煽ってしまったせいもあり、以降は騎士が代わりに人々に説明して回っていた。


 そのままどしん、どしんと歩き続ける中ーー。

 人々の視線と悲鳴、おののく声に耐えながらようやくリラは気付く。


(これは悪手だったわ。これからこの国の王子様に嫁ぐ娘が、こんな醜態を晒しながらやって来たとなると評判はもちろん下がる一方。私なんかをお嫁にもらってくれる王子様にも、迷惑をかけることになってしまう。なんて考えが浅かったのかしら!)


 後悔しながらも、ようやくゲルタニア国の城へと辿り着いた。

 そして案の定、城中の人間がリラを奇異な目で見つめる。そんな視線に耐えられなくなったリラは、いつものように声を張り上げて自分に害がないことを告げた。


「この度は縁談のお話をくださいまして、ありがとうございまーーす! 私、イヴァリース国より参りましたゴル・リラ・イヴァリースと申します! これ、戦利品……じゃなくて。つまらないものですが、贈呈品? えっと……素材にもなるし、お肉も締まっててとても美味しいので! どうぞよろしくお願いしまーーす!」


 大声を出すと少しばかり緊張が解れる。

 それでも恥ずかしさはまだあるのか、ゲルタニアの騎士が遠巻きにしながらもリラを案内した。

 当然、贈呈品となるベヒーモスはその場に置いて。


 ゲルタニア側でもすでにリラを迎える準備が出来ていたようで、国王にこのまま挨拶しに行くと思いきや、リラはひとつの部屋をあてがわれた。


「こちらがリラ様の私室となります。ごゆっくり休んでください」

「あ、ありがとうございます。えっと……、あの……国王陛下にご挨拶をしたいのですが」

「国王陛下はすでにお休みになられています。明日、改めてご紹介の場を設けさせてもらいます。失礼ですが、それまで旅の疲れを癒してください」


 そう言われ、強引に自分の意思を伝える勇気のないリラ。

 メイドに言われるままに、この日は用意された素敵な部屋で休むことにした。


 ***


 翌日、ほぼ単身で来た為に身の回りのことは自分で済ませる。

 身だしなみを整え、ゲルタニアの王族と会う時間が迫ってきた。


「大丈夫、ゆっくりと丁寧に。優しく扱うように気を付ければ、力加減を間違えるなんてことにはならないはず!」


 そう心に決めたのもつかの間。

 特別応接室で国王や王妃、そして第二王子イーサンとの面会は滞りなく進んだにも関わらず、いざ自分の婚約者となる第一王子リチャードが車椅子で入室したと同時に、緊張のあまり力んでしまったリラ。

 リラの紹介は国王付きの執事がしてくれたが、まずは贈呈品によって驚かせてしまったことへの謝罪をしなければと思い、会釈に勢いをつけてしまったのがいけなかった。

 振りかぶるように頭を下げた衝撃で、リチャードが座るはずだった椅子が吹き飛んで壊れてしまう。

 そしてその衝撃が、車椅子に座って登場したリチャードまで襲った。

 婚約者が被害を被る寸前、リラは慌てて車椅子を支えて体勢を整える。

 すると目の前には少し顔色の悪い、儚げだがとても端正で美しい顔がそこにあった……。


(なんて綺麗な男の人なの。男性に綺麗って表現はおかしいかしら? この方の儚い雰囲気がそう見せているのかしら。こ、この方が私の婚約者? 私に求婚してくれた王子様? 嘘みたい!)

 

「あの、すみません。お怪我はありませんか?」

「あぁ……、大丈夫ですよ。どうもありがとう、助けていただいて……」


 恐縮するようにお礼を言うリチャードに対し、リラは罪悪感と共にある感情が芽生えた。

 彼の繊細で優し気な声、話し方や仕草。

 何より自分の奇行に対して何も言わず、感謝の言葉を述べる寛大な心。

 顔が赤くなっていくのが自分でもはっきりとわかった。

 それを隠すように、リラは慌てて言い訳をする。


「あの、私……いつも力の加減を間違えてしまって……。こんなはずではなかったのですが」

「いいえ、とても元気があって素晴らしいことだと思います」

「えっ」


 そんな風に言われたのは初めてだった。

 またしても目と目が合う二人。

 互いに顔を真っ赤にさせてドキドキしながらも、リラはリチャードが座っている車椅子を指定の場所へと移動させていく。

 本来リチャードが座るはずだった椅子は、さっきの会釈でリラが破壊してしまっている。

 もう一度謝罪してから、リラは口元を真一文字に引き締めながら、自分の席に座り直した。

 凍り付いた場を和ませる為に気を使ったリチャードの弟イーサンが、贈呈品であるベヒーモスの話を持ち出す。リラはそれに対して出来るだけ丁寧に、失礼のないように説明した。

 説明すればするほど、自分が普通ではないことを自ら言っているような気持ちになってしまう。


「なんとも、豪胆な姫君がいたものだな。それではなかなか縁談の話が舞い込んだりはしなかっただろうに」

「あなた、失礼ですよ」


 そう言い放ったのは他の誰でもない、ゲルタニア国王だった。

 王妃がそれを制するが、聞く耳はないようだ。

 イーサンは周囲を気遣いつつ、表情が曇っていく。

 言われても仕方ない、本当のことだもの……とリラが思った時だ。


「それは違う。彼女は父親思いの……、とても心の優しい女性だ!」


 国王の暴言に対して激高したリチャードが、握り拳でドンとテーブルを叩きつけた。

 するとその瞬間、彼は表情を歪めて握り拳を作った右手をさすりだす。

 痛めた右手をかばいながら、それでもリラを非難した父親を睨みつけるリチャード。


「あぁ、リチャード! だからあれほど言ったのに!」

「兄さん、大丈夫!? セバス、今すぐドクターを!」


 何が起きたのかわかっていないリラをよそに、セバスと呼ばれた執事が急いで出て行くと、すぐにメイドが駆けつけて「医務室へ」という言葉と共に、リチャードは退席してしまった。

 国王は不満そうに鼻を鳴らすと、応接室を出て行こうとしてから振り向きざまにこう告げる。


「あんな脆弱な愚息でもいいと言うのなら、くれてやる。だが残念なことに、この国の次期国王はそこにいる次男イーサンに決定していてな。お前がこの国の王妃になることはない。それが嫌ならさっさと自分の国に帰るがいい」


 吐き捨てるようにそう言うと、最後にこう付け加えた。


「最も……、あの愚息以外にお前みたいな怪力自慢のゴリラ姫を相手にする男が、他にいるかどうかすら怪しいところだがな」


 反論する間もなく、ドアは閉められた。

 嵐のように起こった出来事に対して、リラは国王の侮辱の言葉が全く耳に入っていなかった。

 それどころかリラはすっかりリチャードに心を奪われていて、心臓の高鳴りを抑えられないでいる。


(もしかして、私のことを庇ってくれた? なんて心の優しいお方なの……!? 今まで力の使い方がなっていない私のことを、こんな風に一人の女性として扱ってくれたお方なんていなかったのに! あぁ、それにあのなんともいえないか弱さときたら……。ふっと私が息を吹きかけただけで、全身の骨が粉砕してしまいそうな程に繊細なお方が、とても素敵で……、守ってあげたくなっちゃう!)


 これまで男性経験どころか、恋愛経験すら乏しかったリラ。

 一人の女性として扱ってくれたリチャードに対する感情が「好き」の一言で溢れかえる。

 国王も言っていた。

 リチャードでいいなら、結婚を承諾してくれると。

 当然ながらリラは結婚する相手はリチャードで申し分ない、願ってもないことだ。

 あとは当人であるリチャード次第だが。

 嫌われないように、好いてもらえるように努力しようと思った矢先。

 応接室に残っていた王妃とイーサンから、衝撃的な事実を聞かされた。


「ごめんなさい、リラ姫。夫の言うことは当然許しがたいことではあるけれど、でも……実際にあなたがリチャードと無理に結婚する必要はないのよ」

「え……? それは一体どういうことですか?」


 悲しそうに頬を濡らす王妃に代わり、イーサンが重い口を開く。


「リチャード兄様は、もうあと数か月の命なのです……」

「な……、なんですって? そんなこと、婚姻の申し出があったお手紙には一言も……」

「言えば誰もが承諾しないとわかっていたからです。騙すような形になって申し訳ありません。でも僕達も、少なくとも母上や僕は兄様の幸せを心から願っています」


 あのお優しいリチャード様が……もうすぐ、死……?


「リチャードは生まれつき体が弱くて、とても病弱だった。少しの衝撃で簡単に骨折してしまうし、体力もほとんどないから、生まれてこのかた一度も外で走り回ったことがないの。医者から余命宣告を受けたリチャードは、最期の願いとして……結婚を望んだのよ」

「だけど病弱で、余命いくばくもない兄様の元へ嫁ごうと思う女性がいるかどうか。そしたら父上は何を思ったのか、イヴァリース国の姫君を……つまりリラ姫に婚姻の申し出をしたんです。僕達に一言の相談もなく」

「そう、だったのですか」


 結婚相手が、あと数か月の命……。

 加えて病弱で、体が弱く、体力もほとんどない虚弱体質。

 彼が儚げに見えたのはそのせいだったのかと、リラは合点がいった。


「もしこの国の王妃となる為に、それはもちろん隣国同士で親睦を深める為……という意味合いですが。兄様との結婚では、僕も不本意ではありますが……それが叶うことはありません。ですが少しでも兄様の為に、ぜひともお願いしたいのです。人生が残りわずかな兄様の幸せの為にーー」

「お受けいたします」

『えっ?』


 リラの至極当然という言葉に、二人は驚きを隠せなかった。

 もうすぐ寿命が尽きようとしている人間の、残り少ない人生を彩る為に犠牲になってくれと言っているようなものだと、二人は思っていたにも関わらず。

 リラはそんな風に捉えていない。

 むしろ自分しかいないと思っていた。

 リラは一目見た時から、リチャードに惹かれていたのだから。


「私はリチャード様との結婚を望んでいます。あとはリチャード様のお心がどうなのか、というところですが……。リチャード様のお体のことも、良ければ私にお任せしてほしいのですが」


 結婚を了承するリラに対し、二人は目をぱちくりさせながら不思議に思っていた。

 しかしリチャードの願いが叶う、という点においてこれ以上ない返答なのだと二人は喜びのあまり微笑んだまま涙を流している。


「ありがとう、ありがとう……リラ姫っ! 息子もこれで幸せに、思い残すことなく過ごせると思うと母は嬉しいわ」

「僕からもお礼を言わせてください、リラ姫。兄様はとても優しくて、穏やかな方です。短期間になると思いますが、どうか兄様をよろしいくお願いします」


 リチャードの残りの人生を、リラが伴侶として過ごしてくれる。

 そう受け取った二人はそれぞれリラの手を取って、お礼を言った。

 しかしリラには別の思惑があったことなど、二人は全く気付いていない。

 リラも今この場で、わざわざ言う必要もないかなと、笑顔で二人に応えた。


 ***


 リチャードの体調を慮って、結婚式は挙げないことになった。

 それはいい、むしろリチャードに余計な負担をかけたくないと思っていたリラは、早速リチャードのいる私室へと向かう。

 メイドに案内されて、リチャードの部屋のドアをノックしようとした時だ。

 ほんの少し、ドアを叩いて音を出すだけのつもりだったが、リラのノックはまるで大男がドアを蹴り飛ばしたのかと思うような勢いで、大きな音を立てて吹き飛んでいった。


「あぁっ! あの……、違うんです。ごめんなさい! ドアをノックしようとしただけで決して、破壊するつもりは……っ! わざとではないんです!」


 やらかした直後の謝罪の早さは慣れたもので、リラは咄嗟に謝り倒した。


「はは……、噂には聞いていたけど本当に元気ですね」


(噂って、どんな噂でしょう!?)


 嫌な予感しかしないリラは、笑顔を取り繕ったままリチャードと対面した。

 色素の薄いアーモンド色をした、線の細い髪の毛。

 顔色は相変わらず青白く、唇の色も真っ青とはいかずともほとんど色がない。

 瞳はエメラルド色で優しい目元をしている。

 笑顔ひとつ、まばたきひとつ、どれを取っても美しい容姿をしたリチャードに、リラは再び緊張が増していく。

 しかしここで緊張している場合じゃない。

 彼には何より、時間がないのだ。


「リチャード様に申し上げます。私、ゴル・リラ・イヴァリースはあなた様との結婚を了承いたします。もし、この申し出がゲルタニア国王陛下による一方的なものであった場合、リチャード様にその成否を委ねますが、よろしいでしょうか」


 ドレスを両手で広げ、レディらしく会釈する。

 しかし慣れない所作に手足が震えた。

 リチャードに拒絶されれば、元も子もないからだ。しかしーー。


「自分の妻に……? 自分のことを、受け入れてくれるんですか? 自分はこの通りとても貧弱で、情けない男です。あなたのような生命力に満ち溢れている女性を、満足させる自信が自分にはありませんが……」

「そんなことは関係ありません! 私のことを一人の女性として扱ってくれた、心の優しいリチャード様だから、私はあなたの元に嫁ぎたいと思っているのです。あの、でも……ゴリラ姫と言われてるような私と結婚するのがお嫌だとおっしゃるのなら、無理にとは言いませんけれど……」


 少しばかりひるんでしまった。

 リラは評判の良い令嬢とは言い難い。

 自国の貴族令嬢からは、いつもお茶会やダンスパーティーを台無しにすると煙たがられている。

 男性からも、自分達より力の強いリラに引いていて、誰一人としてリラをか弱いレディとして扱ったことがなかった。

 民衆からも霊獣ゴリラの名を冠した「ゴリラ姫」と揶揄し、畏怖している。

 そんなリラが「花嫁になってもいい」などと、リチャードに対して失礼に当たらないか。それが不安で仕方なかったのだ。しかしそんな心配も、すぐ杞憂に終わる。

 リチャードは心から嬉しそうな笑顔になり、リラのことを温かく迎えてくれたのだ。


「父が何と言ってあなたに結婚の申し出をしたのかと、内心ひやひやしていたものですが。よかった、本当に心から嬉しいです。あなたがゴリラ姫と呼ばれているのは知っていますが、それが何だと言うのか。自分はあなたのその輝くような笑顔、そして健康的で元気な姿に心を打たれました。あなたが、いえ……他の者が何と言おうと、リラ姫以外に私の花嫁は考えられない。こちらこそ、よろしくお願いします」


 包み隠さず、照れるようなことを口にしたリチャードに、リラは嬉しさのあまり泣き出しそうになっていた。しかし自分の笑顔を好きになってくれたのだと言ってくれたのなら、泣き顔なんて見せられない。そう思ったリラは元気いっぱいに振る舞う。

 人前で無理に笑顔を作ることは多々あったけれど、心から嬉しいという気持ちで笑顔になったのは身内以外で初めてだったかもしれない。


「これから、よろしくお願いします」


 結婚式を挙げない二人の誓いは、リチャードの私室で静かに行われた。


 ***


 二人の婚姻が正式なものとなった時、国王から直々に命令が下された。

 表面的には体の弱い第一王子リチャードの療養の為に、自然の多い静かな場所に居を構えて二人で結婚生活を送るように、などと聞こえはいいが。

 実際には国の柱にすらならない役立たずの息子夫婦を追い出す為に、国の政治に一切関わることが出来ないように厄介払いをする、というものだった。

 これを聞いてリラは心を痛めるが、最終的にはこういう決断を下されるだろうとわかっていたリチャードによって、二人は首都から少し離れた領地へと引っ越すこととなる。

 確かに周囲は自然に溢れていた。ここゲルタニア国と、リラの祖国でもあるイヴァリース国との間にそびえる白鷗山も、城から見るよりずっと近くに感じられた。

 必要な物は過不足なく頂くことが出来たこと、そして何かあった時の為に主治医も一緒に住むことになっている。

 世話係のメイドや使用人も2~3人ほど、城から派遣してもらえた。

 一応、何不自由なく過ごせるように配慮されているが、やはり根底にある「厄介払い」という言葉が頭から離れないリラ。

 車椅子に座ったまま、遠くに見える城を寂しそうなまなざしで見つめるリチャードの姿に気が付いた。生まれた時から城住まいだったのだから、懐かしむのも無理はない。

 あの城には母親と弟がいるのだから、きっと心細いのかもしれない。そう思ったリラは、不安にさせないように笑顔になって話しかける。


「リチャード様。もし元気になったとしたら、最初に何がしたいですか?」


 何気ない質問だった。

 生まれた時から病弱で、思い切り体を動かすことが出来なかったリチャードが、一体何を望むのか。リラは興味があったのだ。

 それに、もしリチャードが元気になったらそれを最初に出来るようにしてあげたかったから。

 リチャードはふいに訊ねられ、う~んと虚空を見つめながら考えると、諦念(ていねん)したような微笑みを浮かべながら答えた。


「そうだな、子供の頃からの夢だったんだが。自然豊かな、緑溢れる草原を一度でいい。思い切り駆け回ってみたい……。そんなことを夢見た時期もあったよ」


 今なら目の前に、緑いっぱいの草原が広がっている。

 舞台は目の前にあるが実現は不可能、とでも言うようにリチャードが夢を語った。

 するとリラは何を思ったのか、ぐいっと顔を近付けて提案する。


「それじゃあ、自分の足ではまだ無理ですけれど。駆け回りましょう! この草原を!」

「え? リラ、何を言って……って、うわぁ!」


 最後まで口にすることなく、リチャードを両手で抱えるリラ。

 それはまるで王子様がお姫様を両腕に抱えるように、男女の役割が真逆になった構図が出来上がっていた。

 突然抱えられて、驚き戸惑うリチャード。


「リラ? 君は一体何をするつもりなんだい?」

「リチャード様はベヒーモスに比べると、とても軽いですね! だから大丈夫です、しっかりつかまっていてくださいね!」

「いや、そうではなくて! うわぁ!」


 リラはリチャードをお姫様抱っこしたまま、まるで馬が駆けるように草原を走り出した。

 体の弱いリチャードの負担にならないように、極力振動を与えないように、強い衝撃を与えないように気を付けながら。

 しっかりと両腕で抱えられ、踏み出す際には膝などを使って衝撃を和らげたので、リチャードに負荷がかかることはなかった。

 最初は駆ける衝撃で、体のどこかを壊してしまうのではないかと思ったリチャードだったが、ふとリラの顔を窺うと、そこには自分を喜ばせようと一生懸命になっている一人の少女がいた。

 またしてもその眩しい笑顔に心を奪われる。

 リラの笑顔は、どんな疲れも吹き飛びそうな、エネルギーに満ち溢れた輝きを放っていた。

 そんなリラのオーラに、リチャードは惹かれたのかもしれない。

 やがて彼女の笑顔を信じて、リチャードもまた笑顔になる。


(自分は今、野原を駆け回っている……っ! こんなにも力強く、こんなにも早く……っ! 太陽の光が、駆け抜けた時の風が、全てがこんなにも心地いい!)


 生まれて初めてリチャードは、自分が生きているということを強く実感していた。


 ***


 二人の結婚生活は静かに、慎ましやかに過ぎていった。

 しかしリチャードに残された時間は、確実に刻一刻と迫ってきている。

 医療技術が発展しているイヴァリース国に手紙を出して、父親に相談したリラ。

 イヴァリースから腕利きの名医であり、回復魔法の使い手でもある治癒術士がある日訪ねてきた。

 イヴァリース国王からの使者と共に訪れた高名な治癒術士は、リチャードの状態を事細かに診察し、そしてあるひとつの結論に達した。


「これは一種の呪いなのかもしれません。誰かがかけた呪いというわけではありません。ごく稀にいるのです。この世のあらゆる不運を全て背負っているのではないかという、そんな不幸に見舞われた状態で生まれてくる者が。リチャード様がまさしくそれに該当いたします。現にどんな医療技術や治癒術を以てしても、リチャード様の虚弱状態を健康状態に治療することは適いません」


 それはゲルタニアの主治医から、余命宣告を受けた時と同じような答えだった。

 リチャードにとっては命の期限を二度、宣言されたようなものだ。

 またしても自嘲気味に微笑むリチャードの様子を見て、リラはゲルタニアの主治医とイヴァリースの治癒術士に向かって、ある可能性を訊ねてみた。


「あの、白鴎山に棲んでいる霊獣ゴリラと対を成す存在ーードラゴンのことはご存知でしょうか」

「え? えぇ、まぁ。霊獣ゴリラが力の象徴であるなら、聖獣ドラゴンは智慧の象徴……と言われていますね。それがどうかしたのですか?」


 リラは手に汗をかきながら、きゅっとドレスを握る。

 緊張した面持ちのリラの様子に気付いた治癒術士が、顔色を変えて思わず立ち上がった。


「まさかリラ姫、あのお伽話を信じているのですか? おやめください! いくらゴリラ姫と称されるほどの、力の持ち主であるリラ姫とて……それだけはなりません!」


 説得するように声を荒らげる治癒術士の様子に、リチャードはリラが何をしようとしているのか訊ねた。自分の為に、愛する妻に危険な真似だけはしてほしくない、という一心で。


「イヴァリースのお伽話にこういったものがあります。ーーどんな治癒魔法も効かない病気にかかってしまった我が子を救う為、猟師である父親は狩りに出た。相手はドラゴン、彼の者の心臓は万病に効く特効薬となる。聖獣ドラゴンを打ち倒し、心臓を手に入れた父親は、我が子にドラゴンの心臓を食べさせると、たちまち子供はどんな病も打ち負かす健康な肉体を手に入れた……と」


 室内が静まり返る。

 やがてぽつりと呟いた。


「お伽話だろう? 仮に、本当に特効薬なのだとしても。ドラゴンの心臓を取りに行くなんて、無謀過ぎるにもほどがある。自分の妻にそんな危険なことはさせられない」


 当然だとでも言うように、リチャードはこの話を終わりにしようと目配せした。

 しかしリラは颯爽と立ち上がると、その勢いで座っていた椅子が粉々に壊れてしまう。


「あぁ……っ! ここに来て8脚目の椅子が……っ! すみません、すみません!」

「そんなことより、リラ。自分は絶対に許さないからね? 君が自分の為に、色々と働きかけてくれてるのはわかっている。自分もそんな君の優しさに甘えていたのかもしれない。だけど、ドラゴン相手はさすがに……、ダメだ。君に何かあったら自分は、自分の弱さを呪って今度こそ……死にたくなってしまう」


 縋るように、まるで自分の命乞いをするかのように、リチャードはリラに懇願した。

 しかし今のリチャードは、初めて会った時よりもずっと顔色が悪くなっている。

 これまで数日に一度、高熱を出して寝込むことが常であったが、ここ最近では熱が下がることがなかった。良くて微熱、起き上がろうにもすっかり体の筋肉が衰えてしまって、いよいよ車椅子無くして移動することがままならなくなってしまっているのだ。

 そんなリチャードの看病をすることが辛いというわけではない。

 リラは、夫が病に苦しんでいる姿をこれ以上見ていたくなかったのだ。

 無理して笑顔を作ってくれるリチャード。

 いつもリラのことを第一に大切にしてくれる、そんな心優しいリチャードのことをリラは心の底から愛していた。

 余命わずかであることは、結婚を了承する以前から承知していたことだが、今ここに来て初めてそれを受け入れられなくなっている。


ーー喪いたくない。


 日に日に元気を無くしていくリチャードだけど、それでもただただ愛しくて、これからももっとずっと一緒にいたくてたまらない。

 お互いにしわくちゃのおじいちゃんおばあちゃんになっても、手を取り合って仲良く暮らしている姿を想像するのが、とても心苦しかった。

 最初から、会った時から、会う前から、その未来は叶うわけがないと告げられていたのだから。

 でも今はそれを捻じ曲げてでも、愛する夫リチャードと同じ時間を過ごしたいとリラは思った。

 だから一縷の望みを託して手紙を出した。

 聖獣ドラゴンの棲みかを知っているのは、この治癒術士だけなのだから。


「治癒術士マウリ、いいえーーイヴァリースの大賢者マウリ様。お願いします。聖獣ドラゴンの居場所を、私に教えてください」

「リラ!」


 リラは世話係に、リチャードを寝室へ連れていくようにお願いした。

 ただでさえベッドの上ではなく、無理を押して車椅子でここまで来たのだ。

 これ以上体に負担をかけてはいけないと思って、リチャードを退席させる。


「リラ! 自分は君を……っ、心から愛しているんだ。君に会えて、僕は今まで生きてきて一番幸せだった……。お願いだ、君を……君だけは……失いたくないんだよ……っ!」


 出来るなら自分の手で、力ずくででもリラを止めたかったろう。

 か細い腕ではリラを引き留めることなど不可能だ。

 悲痛な叫びが室内に響き渡る。

 リラはいつものように、リチャードを安心させるよう笑顔に徹した。


「ありがとうございます、リチャード様。私も、恥ずかしくてこれまではっきりと口にすることはありませんでしたが、私もリチャード様のことを心の底から愛しております。だから私は、あなたと一生を共にしたいと思ったのです。大丈夫、私はイヴァリースで有名なゴリラ姫ですよ? ゴリラ姫は何物にも負けません。しっかりと食べて、寝て、……そして私の帰りを待っていてください!」

「リラ……っ!」


 大丈夫、これが最後の別れになんて、きっとならない。


 ***


 大賢者マウリに言われた通りの場所まで、リラはイヴァリースとゲルタニアの騎士や魔術士を連れてやって来た。

 そこは白鴎山と対を成す、もう一つの霊峰ウイヴル山が聖獣ドラゴンの棲みかとなっているそうだ。

 白鷗山は頂上へ行くほど雪深くなる為、万年雪の山として知られている。

 霊峰ウイヴル山は草木も生えないような、まるでがれきのような山だった。

 ドラゴンは不老不死である。

 がれきの山に草木が生えないということは、すなわち食料となりえる動植物も存在しない。

 空腹を満たす為に山を下りるなら目撃情報はあるはずだが、これまで誰一人としてドラゴンの姿を見た者はいない。

 よってドラゴンは幻の生物として、お伽話の中でしか見られないものだとされていた。


「だがドラゴンは、鉱物を食べて生きている……という話を聞いたことがある。この山はそういう意味では、資源が豊富な山とも言えよう。ほら、噂をすれば、だ」


 大賢者マウリの指さした方向に、目指していたドラゴンがいた。

 白銀の鱗に、黄金色の瞳、大きな両翼を広げて威嚇している様子だ。


「伝説上の生き物だって言われているのに、どうしてこんなにあっさりと遭遇出来るんだ!?」


 恐れおののく騎士達に、マウリは額に汗を滲ませながら答えた。


「それはきっとリラ姫が原因だろう。霊獣ゴリラと聖獣ドラゴンは、因縁の仲。いや、犬猿の仲とでも言ったらいいか。リラ姫には生まれつきゴリラの加護が宿っている。その加護につられて、こうして姿を現したのだろうさ」


 ならば目当ては自分だろうと、付いて来てくれた騎士達に危険が及ばないように、リラが前に出る。

 するとリラの存在に気付いたドラゴンが、驚くことに人語を操って話しかけてきた。


『お前は何者だ、人間の娘よ。なぜゴリラと同じ魔力を発しているのだ……。答えなければ、ここにいる者全て、私の炎の吐息で焼き殺してしまうぞ』

「待ってください! 他のみんなは関係ありません! 私の名前はゴル・リラ・イヴァリース。イヴァリース国の王族でしたが、今はゲルタニア国の第一王子リチャード様の妻です! 聖獣ドラゴンにお願いがあってここまで来ました!」


 会話が出来る、ということはかえって厄介なことになったと、リラは思う。

 これまでリラが討伐してきた魔物はみな、人間の言葉を話せないものばかりだった。

 言葉が通じないから、力でねじ伏せるしかなかったし、力で解決してきたに過ぎない。

 しかし言葉が通じるとなると、互いの主張がぶつかり合うことになる。

 狡猾にもなれるし、取引を持ち掛けることも出来る。

 人語を操れるということは、それだけ知能が高い証拠なのだ。


「私の夫であるリチャード様は、生まれた時から虚弱となる呪いにかかっています! 彼の寿命はもうすぐそこまで来ているんです! どうか私の夫を助けてください! リチャード様が健康な体になれるよう、お力をお貸しください!」


 まさかドラゴン相手に「だからあなたの心臓をください」とは、口が裂けても言えそうになかった。

 そんなことを言えばドラゴンとの死闘は、きっと避けられないだろう。

 戦闘が始まるのなら、せめてここにいる普通の人達を逃がしてからでないと……。

 そう思った時だった。


「リラ……っ!」

「えっ、リチャード様っ!? どうして!」


 振り向くと、そこには人力で運べるように改造された荷車と、荷台には夫リチャードが乗っていてリラの名を呼んでいた。

 ただでさえ熱がひどく、体力も限界のはずだ。

 こんな無理をさせてしまったら、定められた寿命が来る前に死んでしまう。

 そう思ったリラはなりふり構っていられなくなった。


「……リチャード様。しばし目を閉じていてください」

「えっ?」


 言われて目を閉じようとした瞬間、リチャードの目に映ったのは山の岩壁に張り付いている白銀のドラゴンめがけて、リラが勢いよくジャンプして向かっていく光景だった。


「リチャード様の為に、ごめんなさいっ! あなたの心臓をいただきます!」

『待て! 待て待て! その前にまず話を聞け、ゴリラの恩恵を受けし娘よ!』


 慌ててそう叫ぶドラゴンが少し滑稽に思えてしまったリラは、ドラゴンの心臓をえぐり取る寸前で手を止めた。本当に寸止めだった為、ドラゴンもさすがに生きた心地がしなかったらしく、深くため息をついている様子だった。


 ***


 とても奇妙な光景ではあるが、今リラ達は聖獣ドラゴンと共に一服していた。

 ドラゴンを目の前に正常でいられない騎士達は、その恐怖心を取り払う為にわざとお酒をがぶ飲みして無理やり酔っ払い、ようやく正常な判断力が取り払われた様子である。

 伝説上の生物とも等しいドラゴンを目の前に、大賢者マウリはどこかそわそわしていた。


「して、本当にあなたの心臓をリチャード殿に与えてくれると。そうおっしゃるのですかな?」

『元よりドラゴンの心臓は、二つ存在する。事情が事情だ。守秘義務を全うしてくれると言うのならば、私の片方の心臓をその者に与えてやると約束しよう』


 あまりにドラゴンの話が分かりすぎる展開に、マウリは疑わしい目でドラゴンを探っている。

 しかしリラは、リチャードさえ無事であるならそれでいいとでもいうように、また体調を悪くしてしまったリチャードに膝枕をして看病していた。


「私はリチャード様が元気になれるなら、なんでもいいです」


 にこやかにそう話すリラであったが、ドラゴンが腹に一物抱えたような含み笑いを浮かべると、やはり取引を持ち掛けてきた。


『タダでやるとは一言も言っていない。交換条件だ。私の心臓と、リラ……といったか。お前の持っている恩恵を、この私に差し出すがいい。そうすれば』

「いいんですか!?」

『え?』


 瞳を輝かせて食い気味に乗って来るリラに、ドラゴンは自分史上最高に間抜けな声を出していた。

 慌ててリラを制しようとするマウリであったが、リラは身を乗り出すようにドラゴンに詰め寄っていく。


「私が生まれた時からの呪い……じゃなくて、この霊獣ゴリラの恩恵をあなたに渡せば、あなたの心臓を頂けるだけじゃなく、私もゴリラの恩恵から解放されるということでしょうか!?」

『ん? まぁ、そうだな。私が見たところ、本来のお前はごくごく普通の娘に戻るだけだ。そこの病弱な男のように不健康の呪いに苛まれるわけでもなく、何かしら生きるに不便となるようなことはなくなるだろう。しかし良いのか? ゴリラの恩恵はその者が望めば、世界の全てを手に入れられる力を持っている。生命力に溢れ、あらゆる恩恵が降り注ぐのだ。お前はそれを私にくれてやろうとしているのだぞ?』


 ゴリラの恩恵を、このドラゴンが何に使おうとしているのか知らないリラ。

 しかし恩恵を手放せば自分は、これまでずっと望んできた普通の女性になれると信じている。

 力によって物を破壊することもなければ、誰かをその手で傷つけることもない。

 守る力は失われるかもしれないけれど、愛する人と手をつなぐ時、同じように握り返したかった。

 リラにとって、それが何より「全て」だったのだ。


「私にゴリラの恩恵は、荷が重すぎました。だけど、この恩恵を使って何かを破壊したり、誰かを傷つけることに使おうと考えているのなら、私は今この場で、この恩恵の力であなたの心臓を二つとも手に入れることが可能ですけど。その辺りはどうなのですか?」


 握り拳を突き出してにっこり微笑むリラの姿に、誰もが背筋を凍らせた。

 地上最強のドラゴンと名高い当人ですら、リラの迫力にたじろいでいる。


『あ、安心しろ。私はゴリラの恩恵を手に入れて、その……ゴリラに力づくで告白する、だけだから』

「え?」

「ん?」


 時が止まる。

 全員の頭に「?」が浮かんでいたので、ドラゴンは恥ずかしそうに咳払いをしながら早口で本心を告げた。


『だから! 私とゴリラは勝負をしているんだ! 私がゴリラに力で勝ったら、私と付き合ってくれるって、そういう約束をしている! 恩恵の力を使えば、もはやゴリラなど恐るるに足らずだからな!』


 まさかのドラゴンがメスと聞いて、なぜだかその場が一気に和んでしまう。

 ほわんとした空気の中、ドラゴンは早く立ち去りたいと思ったのか。

 自らの心臓がある場所から光が放たれ、一滴の血も流れることなく心臓を取り出した。

 どくんどくんと未だ脈打つ心臓を見て誰もが目を背けていたが、これがリチャードの特効薬になるのだという気持ちで、リラは恐怖する心を押し殺してそれを受け取る。


「温かい……」

『生食はおすすめしない。文字通り、煮るなり焼くなりして食べるがいい。それでその男の不健康を取り除くことが出来よう。あとついでに少しばかり寿命が延びるが、ゴリラの恩恵を長く受け続けていたお前なら同じ年数を共に生きることが出来るだろう』


 ドラゴンにそう告げられ、リラは目頭が熱くなってきた。

 本来なら、そう……。

 本来ならばリチャードとは、あと数か月の生活となるはずだったのだ。

 それがどうだろう、リラが望んでいた未来が今、叶おうとしている。


「おじいちゃんおばあちゃんになるまで、ずっと一緒に生きられる……?」


 今だからこそ思う。

 これまで呪いと思ってきた力が、愛する人と共に過ごす為の力となってくれたこと。

 呪いなんかじゃなかった。

 これはまさに、恩恵だ。


 ドラゴンの心臓を受け取ったマウリが調理を始めている間、リラはリチャードを介抱する。

 ようやく呼吸も落ち着いて、うっすらと目を開けるリチャードに、おはようと挨拶した。


「リラ……、無事でよかった」

「まさかこんな所まで追いかけてくれるなんて、思ってもいませんでした。お体に障ったらどうするんですか。とっても心配したんですからね」


 そう言って、内心ハラハラしながらもコツンと。

 リチャードの額に優しくげんこつをする。

 いつもならきっと、軽く小突いただけでぱっくりと頭が割れてしまっていることだろう。

 想像するだけで恐ろしいが、今のリラにゴリラの恩恵は、もうない。

 リチャードは苦笑いしながら、小突いたリラの手を握って自分の頬に当てた。


「子供じゃないんだから、おでこにげんこつはひどいな」

「……わかってます」


 安心し過ぎて、また泣きそうになる。

 だがリチャードは自分のことを案じて泣いてくれているものと思って、握った手にキスをした。


「ごめん。自分がもっとしっかりしなくちゃいけないのに、君に迷惑ばかりで……、心配かけてばかりのダメな夫だな」

「私はリチャード様の、その優しさに惹かれたんですよ。それにこれからは、リチャード様に守ってもらいますから、安心してください」


 リラの力は、もう誰も傷つけない。

 力加減を誤って壊すことがなくなったのだ。

 それが霊獣ゴリラの恩恵から解き放たれた、その証拠だった。


「お取込み中申し訳ないが、ドラゴンの心臓をイヴァリース産の調味料で煮込んだものだ。一応塩を振って臭みを取っているが、煮込みに使った調味料自体の味が濃いから生臭さは消えているだろう」

「あ、ありがとう……ございます……」


 ドラゴンの心臓が煮込まれた料理を器に盛られ、それを受け取ったリチャードは息を飲む。

 それもそのはず。

 未だかつてドラゴンの心臓を食べた人間など、お伽話以外に聞いたことがないからだ。

 これはなかなか覚悟がいるなと思ったが、自分の為に頑張ってくれたリラの笑顔を見たら、不思議と勇気が湧いてくる。

 何より、こんなことで怖気づいているわけにはいかない。

 これは自分の命と、リラと一生を共にする為の儀式のようなものだ。

 

「リラ……」

「はい、なんでしょう? やっぱり味が気になりますか? 私が毒味してみましょうか?」


 どこまでも自分の為に尽くしてくれる。

 こんな女性、後にも先にもきっとリラ以外に現れることはないだろうと、リチャードは確信した。


「いや、大丈夫だよ」


 リチャードは、自分がとても果報者だと思った。

 今でこそ、父親に感謝しなければいけない。

 父親の、自分に対する嫌がらせのつもりでリラを紹介されたのだから。

 リチャードは全ての巡り合わせに感謝をしながら、一思いに煮込まれた心臓を口にする。

 しっかりと煮た心臓はとても柔らかかったが、勢いよく咀嚼して、飲み込める状態になってから一気に飲み込んだ。

 もうすぐ死ぬ身であるリチャードだが、それこそ死ぬ気で食してから水を含む。

 食べた……、ドラゴンの心臓を……。

 最後に、もう一度リラに言っておきたくなった。


「リラ、自分は一生この命を懸けて君一人だけを愛し続ける。君は僕の全てだよ、リラ……」


 まっすぐに瞳を見つめ、リチャードは愛の告白を何度もした。

 リラもまた、差し伸べられた夫の手を握り返す。

 力強く握っても、必要以上に痛めつけることがなければ、リチャード自身抱えていた異常なまでの体の弱さを気にする必要もない。


「私も同じ気持ちです、リチャード様。これまでの辛い出来事は、この日の為にあったように感じられます。これからもずっと、お互いしわくちゃになっても、リチャード様だけを愛しています」


 ***


 お伽話の通りの効能を発揮させたドラゴンの心臓煮込みのおかげで、リチャードはみるみる健康を取り戻していった。

 すっかり顔色も良くなり、衰えた筋肉を少しずつ鍛える為、リラと共にリハビリに励むリチャード。その姿を見たゲルタニア王妃は泣き崩れ、弟のイーサンは喜びのあまり男泣きしていた。

 リチャードのことを愚息と蔑んでいたゲルタニア国王はというと、やはりすぐに手の平返しすることはなかった。

 しかし自分の足で挨拶に来たリチャードに向かって、視線は逸らしていたがただ一言……。


「息災で何よりだ……」


 そう言葉をかけられ、リチャードはその言葉を噛みしめながら、深々と父親に向かって頭を下げた。


 王妃から城に戻る気はないかと聞かれたが、二人は声を揃えて丁重に断る。

 自然に囲まれた場所で、夫婦静かに暮らしたいという達(たっ)ての願いの為だ。

 当然、ゲルタニアの次の王になるのは弟のイーサンだ。

 二人とも当然異論はなく、兄弟は初めて力強く抱きしめ合った。


「兄様、お幸せに」

「国の責務をお前一人に背負わせて、すまない」


 こうしてリラとリチャードは、必要な物資を荷馬車に詰め込むと、我が家へと帰っていった。


 リチャードは、もう病気や怪我を必要以上に恐れる必要がなくなった。

 リラもまた、何も壊すことのなくなった手で、愛する夫の手を握る。

 

 ゴリラ姫と薄幸な王子は子宝にも恵まれ、末永く幸せに暮らしました。

 二人ともしわくちゃになっても……ずっとずっと、一生分の愛を永遠にーー。

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【短編】生命力とあらゆるパワーに満ち溢れたゴリラ姫は、余命幾ばくもない薄幸な王子の元へ嫁ぐことになりました~貧乏くじとかそういうのはどうでもいいから、今すぐ万病に効くドラゴンの心臓を取ってきますね!~ 遠堂 沙弥 @zanaha

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