第9話 凪の過去と本当の思い

一歩一歩、階段の登る足が重い。

それは天体観測と言う慣れないことをしたことによる疲労からか、それとも色々あったことによる心の疲れからか。


「はぁ…」

このため息は本日何回目だろう。


最後の一段を登りきり、踊り場に足をのせる。

ずっと下を向いていた目線を前に移すとそこにはもう佐倉はいた。


「おせぇよ。」


「ごめん。」


2人の間に少しの沈黙が流れる。

それをはじめに断ち切ったのは佐倉だった。


「…なんで、そんなかっこしてたんだよ。」

佐倉が真剣なことは分かっている。

分かっている…でも、誤魔化したかった。


「えっと…それは…」


佐倉の目がまっすぐ見れない。

顔が上げられない。


「ぁ゛ー空気重っ!気まず過ぎだろ!?…まぁいんだけどさ、無理に理由なんか言わなくて。なんか…ごめんな、」


なんで謝るんだろう。

ずっと話さずうじうじしている私が悪いのに。

自分でも心拍数が上がっていくのがよく分かる。

じっとりと冷や汗が服を吸いつけていて気持ち悪い。


ふと思った。

この人なら理由を説明しても大丈夫かもしれない。

根拠は特に無い。

でも…

「無理に理由なんて言わなくていい。」


その言葉だけで充分だ。

私は覚悟を決めて口を開いた。


_______________

私の父方の家は由緒正しい血筋の家でその当主は男の子だと決まっていた。

でもお父さんはひとりっ子。

そしてお父さんとお母さんの間に生まれたのは誰にも望まれていない女の子の私だった。

幼いころ、そんな血筋とか家系とか全然分からなくて私はみんなと同じ愛されて、みんなに望まれて生まれてきたと本気で信じてきた。


『あなたは男の子なの。』


お母さんは毎日毎日、同じように私にいい聞かせた。

男の子を産めなかったお母さんは姑にいじめ抜かれた。

「なぜ男子が産めなかった」

「この役立たず、この一族の面汚しが」

って。

これが私のせいだと気づいたのは小学生の2年生の時だった。

でも本当は私だって、かわいい物が欲しい。ピンクやレースの服を着たい。

でも、


『ねぇ、どうしてそんな物もっているの?』


『お母さん…あのね、このハンカチ、ピンクでかわいいから…お小遣いで買ったの…』



友達と初めて行った雑貨屋。


「お揃いにしよう!」

そう言って一緒に買ったピンク色で小さな花のワンポイントが入ったかわいいハンカチ。

明日一緒に学校に持って行こうと約束していたのに。


「今すぐ捨てなさい!あなたは男の子でしょ!そんなもの持ってちゃいけないの!」


「…でも、」


「捨てなさい!」


「…うん。」


お母さんは心身共に疲弊仕切っていた。

それを私は察していた。

【凪ちゃん】としての私の居場所はどこにも無い。

【凪君】になって初めて私に価値が生まれる。



【私は女の子だよ】

喉元まで上がってきた言葉。

でも…


自分の欲望、感情、興味を無理矢理押し殺した。


中学、少し伸びてきた髪をお母さんに切れと言われた。

でも、これだけは譲れない。

もしこれさえも受け入れてしまったら、自分が分からなくなりそうだから。


学校は男装で行った。

中学校に上がった頃、私の行動しだいで家族がバラバラになることを知ったからだ。

本当はみんなと同じようにスカートの制服を着たい。

でも、もうこれ以上、逆らえない。


中学3年の夏、クラスメイトに正体がバレた。

学生の情報ツールは恐ろしい。

あっという間に私の噂は広まって私の居場所はなくなった。


『2組の黒瀬さん、男装してたらしいよ。ヤバくない?』


『なにそれ、男装とかキモっ…』


廊下を歩くとクスクスと聞こえてくる笑い声。

それは、少しずつ、少しずつ私の心に蓄積していって、やがて蝕んでいく。


欲望、感情、興味を押し殺して、ずっと自分の居場所が欲しくて、の私を私を必要として欲しくて…


でも頼れる友人も、優しい家族も、私を愛してくれる存在も、私にはもう何もない。

______________


「私には…もう…居場所はどこにもないのっ!」


叫び出していた。

ずっと感じていたこと。

ずっと訴えたかったこと。


「…俺がいるじゃん。」


「え?」

しっかりと聞こえた彼の声。

しかし、思わず私は聞き返す。


「俺は凪にどんな事情があろうが、どんな格好をしていようが、ぶっちゃけどうでもいい。凪は凪だ。凪がその思い出すだけで心蝕んでいくその苦い中学の思い出もいつか未来では笑い話にしてやる。だから、別に俺の前では、凪は凪のままでいい。」


…初めて、自分自身を認められた気がする。


その時、不意に目頭が熱くなる。

佐倉はきっと私を見てくれる。


「うん。」


これ以上喋ったら涙が溢れそうになるからこれ以上は喋らなかった。





「ま、まぁまぁ…あれだ。とりあえず、LINE交換しない?」


「え?」


「これから、凪がやってみたかったことを一緒にやっていこうかなぁと…思ってるわけですよ…」


佐倉が照れながら言った。

思わず私は笑ってしまう。

数十分前の自分が馬鹿みたいだ。


「…ありがとう。佐倉。」


「はいはい。」 

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