愛とは
「『影』のシュトゥルムだって?」
俺は驚愕に身を強張らせていた。
ようやく『暴食』のムルムトというややこしい名前を覚えたばかりなのに、まさかの『影』のなんたら。早くもあやふやだ。
それに魔王軍幹部だとか言っていた。目の前に、魔王討伐と同時に消滅したはずの魔物がいることも含めてとにかく理解が追いつかない。
「クックック、どうした。恐怖で動くことすら出来ぬか」
魔物自体は小さい頃から見慣れているので恐怖という感情はあまりない。いや、正確に言えば正体がわからなかったさっきまでは少しあったが、今は気になることがいくつもあってそれどころではない。
まず、一番大事なところから尋ねた。
「どうして魔物がまだ生きているんだ?」
「冥土の土産に教えてやろう」
「気が早いな」
「我々魔王軍幹部は魔王様の支配とは別に存在している。つまり、魔王様がお亡くなりになったとしても、直接倒されない限りは生き続けることが出来るのだ」
「何だと? じゃあ魔王が滅びたことには変わりがないんだな?」
「それは貴様には関係のないことだ」
「これも冥土の土産ってやつだろ」
「土産は一つまでだ。欲張りなやつめ」
「それを先に言ってくれよ」
だったらどの質問にするか吟味したのに。
「お前、魔王軍幹部だと言ったな?」
臨戦態勢のまま、次に発言したのはクリスだ。
「おい、土産は一つまでらしいぞ」
クリスは俺を手で制した。何か考えがあるということか。
「名前は『ハゲ』のトゥルトゥルだったか」
「『影』のシュトゥルムだ」
「そんな名前は聞いたことがないな」
魔王シャディと、その右腕であり魔王軍幹部たちのリーダー、デルハイツの名前はその強さもあって有名なので大体の人間は知っている。
つまるところ、魔王軍の中でも強さや実績によって人類内での知名度には差があるわけで、聞いたこともない=弱いと考えてもいいと思う。
「何だと? 『ハゲ』のトゥルトゥルではなく、『影』のシュトゥルムだぞ?」
「どちらにしろ知らないが」
「くっ。貴様、我を愚弄する気か!」
「そもそも、何故魔王軍幹部だからと言って知られていると思ったんだ」
「それは我が最も多くの人間を葬ってきた絶望の権化だからであって……」
「そう、それだ」
クリスがシュトゥルムを指差す。
「さっきから『最も多くの人間を葬ってきた』とか言っているが、それは具体的に何人くらいなんだ?」
「何人だと……? えっと、それは」
相手が固まった。少しの間静寂が流れる。
それは俺も気になっていた点の一つだ。もしそれが事実なら、強さと実績を兼ね備えているわけだし、俺たちが知らないだけで有名なのだろう。
「ひゃ、百万人くらいだ」
クリスと目線を合わせ、一つうなずく。
いくら何でも多すぎるのでこれは確実に嘘だ。魔王ですら、単体ではそこまでの数の命を奪ってはいないはず。
容赦なく畳みかけていくクリス。
「では次の質問だ」
「人間の子供よ。中々やるようだが、お遊びはここまでだ」
「まだ何もしていないのだが」
こいつ、これ以上質問されるとまずいと感じて逃げやがったな。
「我の力を見てもまだその減らず口が叩けるか、試してやる!」
場の空気が一気に張り詰め、いよいよ戦闘が始まるかというその時だった。
「うぅ」
魔物の憑依が解けて以来、それまで気を失って倒れていたムルムトが唸り声をあげながら起き上がった。
「ここは? 僕は一体」
「ムルムト、気を付けろ。お前の目の前にいるのは魔物だ」
「魔物、ですか。確かに人間ではありませんが、魔物は滅びたはずでは?」
「我が名は『影』のシュトゥルム。この姿に恐れ慄くがいい」
もう一回名乗ってくれるなんて親切だな。
ムルムトは衣服を整えると、眼鏡の位置を調整しながら言った。
「なるほど。あなたが『影』なら僕はさしずめ『闇』といったところですか」
「何だと? まさか貴様、同志か?」
「おい、話がややこしくなるからやめろ」
「失礼しました。僕は王立騎士学院七つの大罪『暴食』のムルムト。以後お見知りおきを」
魔物を相手にきちんとした礼を見せるムルムト。
「ふん、小賢しい真似をしおって。だがそれもここまでだ!」
「来るぞ!」
「次はお前だ!」
その言葉と共に、シュトゥルムの姿がランタンの灯りの外に消えて見えなくなった。暗闇ではこいつの独壇場だ。
クリスが左右に首を振りながら口を開く。
「まさか、ムルムトのように誰かに憑依するつもりか?」
「そうなると厄介だな」
そもそも暗闇に溶け込むと姿が見えなくなる上に、どうやって憑依をしているのかもわからない。とにかく敵の情報が圧倒的に足りないのだ。
だが、そんな中でもやらなければいけないことというのは明確だった。
背後のルナに顔だけで振り向きながら声をかける。
「ルナ、なるべく俺から離れずに明るいところにいろよ」
「うん」
魔物に慣れていないルナの身体は今もわずかに震えていた。
何があってもルナだけは守る。守らなければいけない。どうしてなのかはわからないけど、そう強く感じている。
俺はちらりと腰に帯びたもう一本の剣を見やった。
『その剣は戦う為ではなく、守る為に抜け』
俺の為に打ってくれた一振り。それを渡す時に親父の言った台詞が、頭の中によぎっている。
あれ以来、つまりこの剣を受け取って以来、俺はこの剣を鞘から抜いたことがない。魔物と戦う時は他の剣を持ち出していたし、魔王が討伐されてからは木剣で事足りていた。
木剣なのは、人に余計な傷を負わせたくないからだ。
ルナを『守る為』に、今ならこの剣を抜いても許されるのだろうか。
そんなことを考えていると、ルナが自分の周囲を明かるく照らす為にランタンの位置を調整した。
明かりの形が、この部屋を包む暗闇の形が変わる。
「うおっ」
すると、俺たちの右方向から少しばかり間の抜けた声が響いた。
「そこか!」
そう言って踏み込み、声のした方向を目掛けて大きく剣を振りかぶる。しかし、それは虚しく空を切ってしまった。
「ここにいるわけじゃないのか、おいクリス、気をつけろよ」
「わかっている」
返事をしつつ、クリスが杖に魔力を込めて魔法を使う準備を始めた。
しかしその身体は突然脱力し、肩がだらりと垂れ下がる。
「クリス?」
様子がおかしいと思って声をかけると、まるで何事もなかったかのように、魔法の詠唱を再開した。
クリスの不自然な挙動に、頭の隅で警鐘がけたたましく鳴り、悪寒が背中を駆け巡った。俺は瞬時にルナを抱きかかえる。
「『ル・フィオル』」
その言葉と共に炎の球体が、クリスから俺たちを目掛けて発射された。
俺はその少し前から横に飛び、何とか自分とルナを守ることが出来たが、判断が遅ければどうなっていたかはわからない。
さっきまで俺たちのいた場所からは煙があがり、木の焦げる臭いが鼻を突く。近くにあったものは全て吹き飛んでしまっていて、火が燃え移っていないのが不幸中の幸いだと言えた。
「ルナ、大丈夫か?」
「う、うん。ありがとう」
腕の中にいるルナに声をかけた後に解放し、クリスに向かって叫ぶ。
「おい、クリス! しっかりしろ!」
「ふはは、無駄だ。我の憑依から逃れることは出来ん」
「クリスの声でそういうの言われると何かむかつくな」
やはり既に憑依されていた。
しかし、どういう風に憑依しているのかがわからないと対策のしようもない。さっきのクリスみたいにうまいこと情報を引き出すしかないか?
いや、待てよ。
そう言えば最初、こいつはムルムトに憑依していたのに、割とすぐに解けてたよな。あれって何でそうなったんだっけ。
「アルフレッド君、ルナさん、大丈夫ですか!」
ムルムトが珍しく声を荒げている。
「おう。ムルムトは何ともないか?」
「はい、この通りピンピンしてます!」
両腕で大袈裟にガッツポーズを取ったり、足を屈伸させたり、あいつにとっての「ピンピン」を披露してくれた。
だが全員に怪我がない状況とはいえ、クリスが憑依されている以上、苦しいことに変わりはなく早急に何かしらの手を打つ必要がある。
声量を抑えて話しかけた。
「おい、ルナ」
「なに?」
「さっきこいつの憑依が解けた時、どういう状況だったか覚えてるか?」
「うん。確か勇者様に対してすごく怒ってて、それで憑依が解けた後に冷静さを失ってしまったとか言ってたと思うけど」
「さすがだな、ありがとう」
つまり怒らせると解けるのか?
確定とは言えないが、他に方法もない以上やってみるしかない。
「おい、シュタットントン」
「シュトゥルムだ」
「お前、何で憑依ばっかりして本体では戦わないんだ? まさかとは思うが、魔王軍幹部なのに俺たちに勝てないぐらい弱いからじゃないのか?」
「ふっ、やはり人間とは浅はかな生き物よ」
怒らせるのに失敗してしまった。さすがにこれだけわかりやすい挑発には乗ってくれないか。
しかしクリスに憑依したシュトゥルムは、気分が良さそうに語り出す。
「我が憑依をして戦うのは弱いからではない。憑依をした対象の記憶を覗くことが出来るからだ」
「記憶を?」
「そうだ。例えば先ほどの『フィオル』は、本来ならば我が使うことは出来ない。このクリスとやらの記憶を覗き、身体を利用することで成せることだ」
作戦には失敗したが、思わぬ方向で情報を引き出せそうだ。
「最初は人間共を操る為に覗いていた記憶だが、次第に我はその興味深さに気付いた。お前たちは我にないものを数多く持っている」
魔王軍幹部を始めとした一部の魔物は、人間と意思の疎通を図ることが出来る。それ故にそう言った魔物は人間と似た部分があると言われてきたが、具体的な生態などはあまり知られていない。
だから、俺もこの話には少し興味が湧いた。
「それはどんなものなんだ?」
「そうだな。例えば、お前たちが『愛』と呼んでいるものだ。あれは我にはない」
「『愛』がないって、何だかちょっと寂しいな」
「我と対峙した人間は、我に『愛』がないと知れば必ずそう言う。しかし我には理解出来ぬ。それは何故だ?」
「何故って……」
「食物や水等と違い、人間の生命維持活動に本来『愛』が不要なことはわかっている。しかし、お前たちはあたかも『愛』がなければ生きていけないような物言いをする。その理由は記憶を覗いただけではわからぬのだ」
俺も『愛』がないと寂しいとは言ったが、理由を聞かれると厄介だ。
何故人間には『愛』が必要なのか。そもそも『愛』とは何なのか。
多くの学者や吟遊詩人、果ては恋に悩む若者やクリスまで、人間はこれまでに散々『愛』の正体について考え続けて来た。
それでも答えがまだ出ていないというのに、俺がここでシュトゥルムに言葉で説明出来るわけがない。
情報を引き出す為に会話は続けたいが、どうしたものか。
悩んでいると、ムルムトが突然口を開いた。
「『愛』とは子孫を繁栄させる為の副産物なんですよ」
「ほう。それは今までに聞いたことがない話だ」
「人間も生物である以上、子孫は残さなければなりません。そしてその為には異性に興味を持つ必要がある。だから『愛』が生まれたんです」
「なるほど、ではオスとメスが存在する生物には『愛』の概念があるわけか」
「そうです。ですが、そこは重要ではない」
「貴様は一体何が言いたいのだ」
「逆を言えば、子孫を残そうと思わなければ『愛』は必要ない。つまり、そう言ったことに興味のない僕に生まれてこの方彼女がいないのは当然であり、『愛』を知らないし必要ともしない僕は新人類だと解釈することも出来る」
「急に何の話かわからなくなったのだが」
彼女がいないやつの言い訳にも聞こえるけどいいぞ。
うまいこと会話を繋いでくれている。このまま是非ともより多くの情報を引き出してもらいたい。
そう思っていたのだが。
「それは違うと思う」
突然、俺の後ろにいたルナが喋り出した。
「だって、『愛』ってそんな風に言葉で説明出来るようなものじゃないから」
「ルナ、お前」
何か思うところがあるのだろう。こんな風に自分の気持ちを強く主張するルナは今までに見たことがない。
ルナは俺と一度目を合わせ、再びシュトゥルムとムルムトに戻してから続ける。
「私はお父さんやお母さんと話す時、安心するような、心が暖かくなるような、そういう気持ちになる。エミリーちゃんやフィリアちゃんと話す時もそうだし、後はまあ、アルフもならなくはないけど」
「俺はついでかよ」
「そういう大切な人たちと触れ合う時の、大切な気持ちを全部ひっくるめて『愛』って言うんじゃないかなって思うの」
「ルナ……」
何かルナがすごくいいことを言っている気がする。そして、この話にシュトゥルムも反応した。
「ほう。こちらも中々に興味深い。小娘よ、貴様は『愛』に詳しいようだな」
「え? いやそういうわけじゃ」
「人間の記憶の中で見た、『愛』を知る者の顔をしている」
『愛』を知る者?
全員が『愛』について語り過ぎたせいで、『愛』を知るっていうのがどういうことなのかがもはやわからない。
後ろを振り返ってみると、何故か俯き、頬を朱に染めたルナが返事をすることもなく立っていた。
「『愛』を知っているんですか?」
何故かムルムトがルナに尋ねる。どことなく眼鏡が光った気がした。
「知ってんの? ふごっ」
俺も勢いで聞いてみると、鞄アタックがわき腹に飛んで来た。いい所に入ったので思わず木剣を手放し、わき腹を抑えつつ膝から崩れ落ちてしまう。
「ちょっ、おまっ、敵っ……」
「ちょっとお前、敵がいるんだからやめろよ」と言おうとしたが、呼吸すらままならず言葉に出来るはずもない。
ていうか、何で殴られたの? 俺。
「今度は仲間割れか? 貴様らは本当に面白いな」
「俺は面白くないんだけど」
「ふむ。しかしもう有意義な情報も得られそうにないな。そろそろ終わりにするとしようか」
まじか。くそっ、結局憑依のことも何もわからないままだ。
立ち上がって木剣を構え、戦闘態勢に戻った。だが、既にシュトゥルムの憑依したクリスは魔法の詠唱を始めている。
あいつの魔法は強力だ。このままでは全滅する未来しか見えない。
「最悪の選択肢」を取るべきかどうか悩んでいると、ムルムトが意を決したように駆け出した。
「とうりゃ!」
「ぬおっ」
そして、クリスの右手を手刀で叩き、杖を地面に落とさせることに成功した。
集中が途切れたのか、魔法の詠唱も合わせて中断される。
「何をする人間よ」
「邪魔をしたんですよ。当然でしょう」
「鬱陶しい。貴様から排除してやる! 光栄に思え!」
「ありがとうございます!」
すぐに杖を拾ったクリスがもう一度戦闘態勢を取るが、今度は魔法の詠唱ではなく杖術での近接戦闘の構えだ。
対してムルムトは武器を何も持っていない。あいつがどういう風に戦うのかは知らないが、完全に不利に見える。
加勢してやりたいが、俺の後ろにはルナがいる。どうするべきか。
悩んだ一瞬の間に戦闘が開始されてしまった。
「ほああっ!」
正直それ必要あるのか、と思う奇声をあげながら、シュトゥルムの憑依したクリスが杖を振りかぶる。
一方でムルムトは両手を掲げた。まさか受け止める気か? と思っていると。
「『シエル』」
ムルムトの両手が淡く輝き、身体を包み込むようにして薄い光の膜が発生する。簡易な防御結界を張る魔法だ。
強度は十分なようで、それは見事にクリスの杖を弾き返した。
「くっ、防御魔法か!」
相手が一歩後退したのを見て、ムルムトは防御魔法を解いた後に眼鏡を押し上げながら怪しく微笑む。
「ふっふっふ、防御魔法において僕の右に出る者はこの学院に数えきれない程いるんですよ」
「全然だめじゃねえか」
思わず言ってしまいつつも、ムルムトが防御魔法を使えることに安堵する。あれなら自分の身は自分で守れるだろう。
そう思った矢先のことだった。
「『フィオル』」
「うわっ!」
今度はクリスが詠唱を短縮して炎魔法を撃って来た。
発動までの時間が短いのと余裕をぶっこいていたので、ムルムトは防御魔法を使う暇もなくまともに喰らってしまう。
少し横に広い身体が後ろに吹き飛んだ。
「ムルムト!」
離れたところから声をかけると、ムルムトは倒れたまま首だけをこちらに向けて細々と喋り出した。
「アルフレッド君、僕はどうやらここまでのようです。君にこれからの七つの大罪を、任せまし、たよ……」
がくっと脱力する。まあ冗談が言えるなら大丈夫だろう。ちなみにだが俺は七つの大罪に加わる気は全くない。
クリスがこちらに振り向いてから口を開いた。
「さあ、残るのはお前たちだけだ」
「くっ」
俺は木剣を握りなおしながら、密かに「最悪の選択肢」を採る決断をしていた。
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