美術室の影

「何でお前がこんなところにいるんだよ」


 木剣を鞘にしまい、ランタンを持ち直してから尋ねる。

 ムルムトは服を手で払い、眼鏡を押し上げながら答えた。


「一昨日話していた七不思議を調査しようと思いまして。灯りなども一切持たず、ここに隠れて完全に息を潜めて夜を待ったのですが、やがて一つの大きな問題があることに気付きました」

「問題?」

「物凄く怖かったのです」

「知らねえよ」

「暗いしお腹は空いたし、一人で寂しいし。おまけに警備員に見付かる恐怖もあって、まさかこういった人々の心の闇が『七不思議』を生んでしまったのではないかと考えていたところでした」

「何言ってんだこいつ」

「それで、君たちは何故ここに?」


 しまった。質問されると困るやつなのにいい回答を用意していなかった。


「俺たちも七不思議の調査に来たんだよ」

「おお、やはりアルフレッド君もこれを話題の種にして友達作りをしようと?」

「いや、そんな考えは全くなかった。興味本位かな」


 何でそんなに友達作りに必死なんだ。新学年になってうまく輪に入り込めなかったのだろうか。

 今度からもうちょっと優しくしてやろう、と決意しながら話を続ける。


「それにしても、お互いに今日鉢合わせるってのは妙な偶然だな」


 俺たちはグレイシアの都合があったが、こいつには関係ない。


「僕は家の用事があって中々手が空かなかったので。そちらは?」

「俺たちもそんなところだ」


 貴族ってのは中々大変そうだな。クリスもいつも暇そうに見えて本当に暇なんだろうけど、実は家で忙しくしているのかもしれない。

 そこでムルムトがルナの存在に気が付いた。


「ところで、そちらにいらっしゃるご令嬢は?」

「俺の幼馴染のルナだ」

「初めまして、ルナと言います。よろしくお願いします」


 外行きの笑みを浮かべながらルナが一礼をする。

 表情があまり変わらないのでわかりづらいが、それを見たムルムトはどうも驚いているように見えた。


「このような麗しいご令嬢がいらっしゃったとは。学院もまだまだ広い」

「ああ、こいつは学院生じゃないぞ」

「おや、そうでしたか。それでは僕が覚えていないのも無理はありませんね」


 納得したようにうなずくと、ムルムトも気品溢れる所作で腰を折る。


「王立騎士学院七つの大罪『暴食』のムルムトです。以後お見知りおきを」

「ムル、ムトさんですね。よろしくお願いします」


 初対面のやつにもその自己紹介をするのかよ。

 ルナは戸惑っているというよりは、少し引いているようだ。無理もない。


「さて。時間もありませんし、それでは行きましょうか」


 そして突然仕切り出した上について来るらしい。この状況だと仕方ないけど何かモヤっとするな。

 移動を再開し、教室を出たところでクリスがムルムトに問いかけた。


「あの机の下に隠れていた、ということはまだ一つも回っていないのか?」

「ええ、そうです」

「そうか。ではまずは『夜になると一段増える階段』からの調査となるが、異論はないな?」

「ありません。ですが、一つ聞いておきたいことが」

「何だ」

「警備の方々はどうしたのですか? まさかバレずに入って来るなどということは不可能でしょう」


 このまま聞かれずにいけるかと思ったが、やはりそんなに甘くはなかったか。

 これをどう切り抜けるべきかとこちらでも思案しつつ視線をやると、クリスは間髪入れずに口を開いた。


「今は秘密だ。また機会が来れば教える」

「ほう」


 するとムルムトは眼鏡を押し上げ、口の端を吊り上げる。


「それはまさか、『やつ』絡みの案件ですか?」

「そういうことだ」

「やはりそうでしたか……ふっふっふ」


 『やつ』が何を指しているのかはわからんが、都合よく勘違いしてくれたみたいでよかったぜ。


 三階から屋上へと続く階段前に到着した。一つ目の階段を登り、踊り場から目的の階段を見上げつつ口を開く。


「何もないな」


 踊り場にも階段にも見事に何もなく、視界の奥には屋上へと続く扉がただ待ち受けていた。

 静寂と暗闇だけが周りを覆い、ランタンと月明かりの灯、そして俺たちの足音がそこにささやかな賑わいを与えている。

 横に並んで立つ、クリスとムルムトに向けて言った。


「ていうか、お前ら元が何段だったか覚えてるか?」

「覚えてるわけがないだろう」

「自信満々に言うな。じゃあ何しに来たんだよ」

「僕は覚えてますよ。十二段です」


 そう答えながらムルムトが階段をゆっくり登りつつ段数を数えていく。

 自分で聞いておいて何だが、普段誰も使わない階段の段数を覚えてるやつがいるとは思わなかった。


「一、二、三」


 他の三人でその様子を見守っていると、何やら後ろから軽く引っ張られていることに気付いた。

 振り向けばルナが俺の服の裾を指先で摘まんでいる。


「どうした、怖いのか?」

「うん。ちょっとだけ」

「そうか」


 暗くて不気味だし、さっきみたいなこともあったから無理もない。

 返事をして前に視線を戻すと、階段の真ん中くらいでムルムトが静かにこちらを見つめていた。かなりびびった。


「『色欲』のアルフレッド……」

「は?」

「今日から君は『色欲』のアルフレッドということでいいですか?」

「いいわけねえだろ。勝手に変な二つ名つけんな」


 ていうか『色欲』って何だっけ。


「そういえば聞くのを忘れていましたが、アルフレッド君とルナさんはお付き合いをされているんですか?」

「それ今この状況で聞くの?」

「むしろ今でなければなりません。『色欲』は『暴食』の敵ですので」

「何その設定。じゃあ俺はお前の敵ってことか」

「返答次第です」


 別にこいつが敵になっても大した影響はないので普通に答えよう。


「付き合ってない」

「ほう、そうですか。では君は私の敵ではありませんね」

「はあ」

「ちなみに『憤怒』は『色欲』の敵だぞ」


 クリスが割り込んで来た。『憤怒』と名乗るのをまだ諦めていなかったらしい。

 敵対宣言を受けたムルムトはしかし怪しく微笑んだ。


「クックック、遂に袂を分かつ時が来ましたか」

「どうやらそのようだな」

「盛り上がってるとこ悪いけど、階段はもう数えたのか? 朝になっちまうぞ」

「これは失礼を致しました」


 俺の一言でムルムトが作業を再開する。

 やがて階段を登り切ったところで身体を起こし、こちらを向いて告げた。


「普通に十二段でした」

「ってことは『夜になると一段増える階段』はガセだな」

「そうとも限りませんよ。私が今から一段増やせばいいだけのこと」

「どうやってやるんだよ」


 階段を降りて来たムルムトと合流し、四人で歩き出す。


「でもよかったな。ちゃんと十二段で」


 左隣を歩くルナにそう声をかけると、首を傾げた。


「どうして?」

「お前怖がってただろ。十三段目があったら泣いてたんじゃないかって」

「やめてよ、もう」


 ルナがたまに弱みを見せた時くらい、からかってみるのも悪くない。もちろん傷つけない程度にだが。

 楽しんでいると後ろでぼそりと誰かが呟いた。


「やはり『色欲』のアルフレッド」

「ん?」


 後ろを振り向けば、そこにはムルムトの姿が。


「いえ、何でもありません」

「? そうか。で、次はどこにする?」


 俺の右隣にいたクリスに声をかけた。


「ここからだと次は美術室が近いな」

「『動き出す絵画』か」

「そうだ。それを検証しよう」

「了解」


 名前の通りだが、美術室には夜になるとそこに描かれている人物が動き出す絵画が存在するらしい。

 本当なら階段が一段増えるよりもよっぽど怖い気がするが。


 校舎から出て三階の渡り廊下を歩く。

 宵闇に沈む学院の敷地内には、あちらこちらにぽつりぽつりとほのかな光が見えた。おっちゃんたちは今でも、俺たち以外の侵入者を許さないよう頑張ってくれているのだと思い出す。

 校舎の中に誰も来ないのは、俺たちだけで自由に活動をさせてやりたいという、グレイシアの配慮なのだろうか。


「あのランタンの灯りを見るとちょっと安心するね」


 同じように風景を眺めていたらしいルナが話しかけてきた。


「そうだな。思ったより警備の数も多いし」

「警備もそうだけど、ほら、校舎の中は真っ暗で人もいないから」


 夜の学院は慣れている俺たちでもちょっと怖い。ならばルナは尚更だろう。


「小さい頃みたいに手でも繋ぐか?」

「えっ」


 緊張をほぐそうと冗談で軽く言ってみたが、ルナが固まってしまった。

 だがそれも一瞬のこと。すぐに笑みを浮かべると、ルナは淀みなくこちらに手を差し出す。


「いいよ」

「えっ」


 今度はこちらが固まる。


「手、繋ぐんでしょ? ほら」


 ルナは笑顔のままこちらを見据えて離さない。

 その瞳は俺の動揺を見逃さないと言わんばかりで、何だか挑発されているような気もする。

 確かに大きくなってからルナとこういうことするのって何だか恥ずかしいけど、ここで引いたら負けだ。行け! 戦え!

 自分に対する謎の叱咤激励を心の中で発しながらそろそろと手を伸ばすと、背後から何者かがぼそりと呟いた。


「我こそは『暴食』と『嫉妬』の化身……」

「おわぁ!」

「ぐぼぉっ」


 しまった。驚きのあまり振り返りざまに一発いいのを入れてしまった。

 ムルムトが膝から崩れ落ちて腹を抑えている。


「いいパンチですねっ、さす、がはっ、ごほおっ!」

「いや、本当にごめん。でもいきなり後ろで呟くなよ」

「そうですね、今のは、僕も、悪かったです。ふう」


 立ち上がってズボンを手で払うムルムト。


「怪我とかはないか?」

「僕には『暴食』によって蓄えられた脂肪がありますからね。これくらいの攻撃ならまだ耐えられます」

「お、おう。そうか。お前が『暴食』で良かったよ」

「そうでしょうそうでしょう。ぬふふ」


 あまり気にしていないようだと、安堵の息を吐く。その時背後からくすくすと笑い声が聞こえてきた。

 見ればルナが口元を隠しつつ、耐え切れないといった様子で静かに笑っている。


「今のアルフ、おわぁ! って」

「うるせー」

「アルフがびっくりした時の反応って本当に面白いよね。今度は私も驚かせてみようかな」

「そんなことしたら盛大にお返ししてやるからな」

「おいお前ら、何をしてる。早く行くぞ」


 一人で実技棟に足を踏み入れたクリスがこちらに向かって声をかけていた。


「おう」「はーい」


 気付けばルナの足取りはとても軽くなっていた。


 実技棟にはその名の通り実技を必要とする講義で使われる教室、例えば美術室に音楽室、歴史資料室などがある。

 目的の美術室は三階の渡り廊下から棟に入ってすぐのところにあった。


 普段なら鍵がかかってることもある場所だが、七不思議に関係している場所の入り口は開けてくれてあるらしい。

 扉の前で一旦四人で並び、クリスが確認をする。


「いいか、行くぞ」

「おう」


 返事と共に扉を開けて突入した。

 クリスを先頭にムルムト、俺、ルナの順で入っていく。

 美術室は生徒たちが講義を受ける部屋と、先生が準備をする準備室で別になっている。

 講義を受ける部屋は正方形になっていて、入り口とは反対方向の奥に準備室の出入り口がある。


 部屋の中心まで来たところで、俺たちは円になって周囲を見渡した。

 古びた木の香りが漂う美術室は、動けばぎしぎしと音がする。散在するイーゼルと壁に飾られた絵画が独特の雰囲気を出しているが、心許ない光源に映し出された今のそれらは不気味なものでしかない。

 少しの間があってからムルムトが口を開いた。


「今のところ特に怪しい所はありませんね」

「そうだな。では一つ一つ絵を調べていくか」


 クリスの提案に乗ってばらばらになり、適当に絵画を調べていく。だが、ルナが無言で俺について来ていた。

 まあ教室の時みたいに何が起きるかわからないし、俺としても近くにいてくれた方が心配の種が少なくて済む。


 特に何を言うでもなく、自然と二人で一つの絵画を眺めてみる。


「う~ん、特に何もないな」

「そうだね」

「ていうかこのおっさん誰なんだろうな」


 俺たちが今見ているのは、高そうな服を来て、無駄に立派な髭を顎に鼻の下にと縦横無尽に生やしたおっさんの絵だ。


「壁にかけてある人物画は全て歴代国王様のものだ」


 慣れた声に振り向くと、ランタンを腕にぶら下げたクリスが、愛用の杖を防御態勢に構えて立っていた。


「何してんの? お前」

「さっきムルムトがお前を驚かせて逆襲を受けたところを見ているからな」

「なるほど」


 つまり振り向きざまのパンチや蹴りを警戒しての構えってわけか。


「そう言えばクリス君って魔法使いなんだっけ」

「そうだ。だから剣は使わない」


 世の中には剣術等の武器よりも、魔法を主体とした戦闘の方が得意と言う人もいる。そのような人を魔法使いと呼び、彼らはより魔法の効果を高める為に、剣ではなく杖を武器として持つことが多い。

 何らかの形で魔力の込められた樹を素材として作った杖を身に着けて魔法を使用すると、効果が大きく違うからだ。


 その為、魔法使いは、近接戦闘において剣を扱う騎士に後れを取るのが一般的なのだが、杖を扱う杖術という戦闘技術に長けていると話は変わって来る。

 クリスを親指で示しながら、ルナに向かって言った。


「こいつの杖術は結構すごいぞ。その辺の剣を使う学院生より全然強いからな」

「へ~それってどんな感じなの?」

「例えば……こうっ!」


 不意打ちでクリスに向かって蹴りを放った。

 空を切ってはいないが、決して「当たった」とも言えない妙な感触。俺の攻撃が杖で綺麗に受け流されたのだ。


「おい、いきなりはやめろ。危ないだろうが」


 お互いに構えをとく。


「な?」

「すご~い! ねえ、それ私にも出来る?」

「練習すれば誰にでも出来るし、他の近接武器よりは女性向きと言えるだろうな」

「じゃあ今度教えて。それでアルフを懲らしめるから」

「それはいいな。是非とも教授したい」

「おい、動機がちょっとおかしいだろ」


 寒々とした空間に流れる焚火のような温かい空気。それにつられるようにムルムトが俺たちの背後から現れた。


「その話、僕も混ぜてくださいよ」


 しかし何というか、いつもより表情がない気がする。元から表情豊かなやつではなかったが、怒っているのだろうか。談笑している間作業はしてなかったしな。

 俺はさっきルナと二人で眺めていた絵画を指差した。


「悪い、ちょっとあの絵のことをクリスから聞いててさ。昔の国王様なんだな」

「そうですよ。このお方は勇者制度を創始なされた方です」

「勇者制度を? ってことはアルディン王か」


 勇者制度。騎士の中で最も優秀な者を勇者として指名し、国を挙げて支援する制度のことだ。

 指名された者は「勇者」と呼ばれ、この国の歴史に残る。俺が目指した「勇者」もこれのことだ。


「そうです。アルディン王。勇者制度を作った王。勇者、勇者、勇者勇者勇者」


 何だ?


「そうですよ。勇者、勇者。あいつさえいなければ。勇者制度さえなければ! 勇者制度さえなければぁ!」

「おい、クリス! こいつ様子がおかしいぞ!」

「ああ」


 俺は木剣を鞘から抜いて構え、クリスも戦闘態勢に入った。互いにランタンは手頃な場所に置いてある。


「ルナ、俺の後ろに隠れろ! 離れるなよ!」

「う、うん」


 ルナが俺の服の裾を強めに掴むが、その腕はわかりやすく震えていた。


「我らが、魔王様を失うこともなかったのにいいいいぃぃぃぃぃぃ!!!!」


 ムルムトが怒りに任せて頭をがしがしと掻きむしったかと思うと、その背中から何かが飛び出した。

 それは言うなれば「影」だ。

 頭に二本の角を生やし、コウモリのような翼を生やしたシルエットが、明かりに照らされたムルムトの影を不自然に切り取っている。

 しかしそのシルエットに本体はない。

 その何かは縦に細長くなっていき、一旦天井方向に突き抜けて姿が見えなくなったかと思うと、俺たちよりやや小さめのサイズになって床に降りて来た。


 姿は先程とおよそ変わりなく、角と翼が生えているが足はない。身体は下に行くにつれて細くなっていき、やがて地面に至る寸前で尖って切れている。つまり浮いている状態だ。

 間違いない。どこからどう見ても、もうこの世にいるはずのない、ゴースト系の……『魔物』。

 警戒する俺たちにも構わず、魔物はマイペースに喋り出した。


「ああ、しまった。憑依がとけてしまった。冷静さを失ってしまうとは、我もまだまだだな」


 そして俺たちの方に一歩踏み出して名乗りをあげる。


「初めまして、人間の子供たちよ。我が名は『影』のシュトゥルム。栄誉ある魔王軍幹部の一角にして最も多くの人間を葬ってきた絶望の権化」

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