これぞ青春

 ボロ雑巾と化したクリスは街の外へと捨てられた。

 せめて意識が戻るまで見守ってやろうかと思ったが、夜になってもそのままだったので一度家に帰ることにする。獣が嫌う香草をばら撒いておいたので、襲われる心配もないだろう。


 そして翌日。


「くっさ」


 クリスの様子を見に街の外にやってきたが、とにかく臭い。

 獣が嫌う香草「ケモノキライグサ」は効果は抜群なのだが、とにかく臭いがすごいので基本的には誰も使わない。止むを得ない事情があったとはいえ悪いことをしたとは思っている。


 久々に使ったがまじで臭いな。しかもクリスの意識はまだ回復していない。遠慮なくボコボコにし過ぎだろ。

 まあ乙女心を弄んだ代償としては妥当か……。


 幸い今日は学院も休みだ。考えごとをするのにも丁度いいし、あいつが起きるのを待っておこう。

 クリスをぎりぎり視認出来る程度の距離を置き、手頃な樹を見付けてその下に座り込んだ。そよ風がゆっくりと頬を撫で、草花に歌を催促する。

 さらさら、さらさら。こちらまで流れて来る香草の臭いがたまに瑕だが、基本的には心地が良い。


 正直に言えば戸惑っている。

 学院に行く理由を与えられたとはいえ、あれは姫様とグレイシアに会う為の手段になるというだけで、目的にはなっていない。もう一度通うのなら、通うことを通じて得られる何かが欲しいのだ。

 とはいえどちらにしろ行くことに変わりはない。王女命令だし拒否権はないわけだからな。


 ただ、嫌ってわけじゃない。

 騎士団の活動は、言ってしまえば王女様の気まぐれだけれども、陰ながら民を守るという目的があって、それには共感出来る。

 騎士や衛兵にばれないようこそこそ悪を働く人間が本当に存在するのなら捕まえてやりたい。勇者を目指す道の途中で培った、人々を守りたいという気持ちが、まだ心の奥で確かに燻っているのを感じるのだ。

 その活動の為に学院に通うというのは悪い気はしない。


 それに、俺が復学すると言えばルナも、あっちで悪臭を放ちながら気絶してるやつも喜んでくれそうだしな。


 自分の気持ちの整理がついたところで、遠く離れたクリスを確認する。ところがまだ起きる気配がない。

 半日は余裕で経過し、一日も近付いてきている。流石にまずくないか?


 立ち上がりズボンをはたいてからクリスとの距離を縮め、若干臭いがしてきたところで止まる。だがまだこの位置だと生死が確認出来ない。

 腹を括って更に接近すべきどうか悩んでいると、クリスの身体が大きく動き、遂には身体を起こした。

 良かった、とりあえず生きてはいたようだ。


 周囲を見渡して状況を確認しているらしいクリスに向かって、この場から声をかけてみる。


「おーい、身体は何ともないかー!?」

「~~~~」


 こちらに気付き、何かを言っているのはわかるが遠すぎて聞こえない。


「声張らないと何言ってるか全然わかんねーぞー!」

「何故お前はそんなに遠くにいるんだー!」


 こいつ自分がめちゃくちゃ臭いことに気付いてないな。寝てる間も臭いは嗅ぎ続けてるわけだし、鼻がおかしくなっているのかもしれない。香草の詰まった袋はどれも草木に埋もれているしな。

 さて、どうするか。真実をすぐに教えるのが正しいとも言い切れない。香草をばら撒いたと言えば、あいつは復讐もしくはいたずらの為にこちらに猛烈な勢いで走ってくる可能性が高いからだ。少なくとも俺ならそうする。

 こうなった経緯を説明したとして、頭が納得しても心が納得しないだろう。人間は理屈だけで生きる動物ではないのだ。


 しかし、俺があれこれ考えている内に状況が一変する。


「お前が来ないならこちらから行くぞー!」


 どこかで聞いたような台詞を口にしながら、クリスがこちらに向かって歩き出してしまったのだ。


「ちょっと待てー! そこから動くなー!」


 まだ距離はある。どうにか止めようと試みた。


「何故だ!」


 だが、あいつの足は動き続けている。


「事情は後で説明するー! 今は動くなー!」

「今説明しろ!」

「わかったからとりあえず落ち着けー!」

「俺は落ち着いているぞ!」


 やばい。クリスとの距離が縮まり、どんどん臭いが強くなってきた。

 これ以上近付かれると臭いが移ってしまい、俺もすぐには街に入れなくなってしまう。どちらかが無事なら着替えを持ってくる等の対策が出来るが、そうでなければ終わりだ。

 というかそもそも本能的に、この絶望的な臭さと、それが自分に近付いてくることの恐怖に耐えられない。


 もはや俺に走り出す以外の選択肢は残されていなかった。


「おい! どうして逃げるんだ!」

「いいからこっち来んな!」

「だから状況を説明しろと言っている!」

「わかったからまずは止まれ!」

「お前が止まるのが先だ!」

「いいや、お前が先だ!」


 くそっ、こいつ足速い上に体力もあるんだよな。貴族出身の学院生のくせにしっかり鍛えてやがる。まあそういう気骨のあるところに共感して仲良くなったわけだが、今だけはそれを厄介に感じてしまう。

 あ、そうか。それだ!


「おいクリス!」

「何だ!」

「これは走り込みをしてるだけだからついて来なくていいぞ!」

「いきなりわけのわからないことを言うな!」


 まあそうなるよな。流石に苦しかったか。


「しかし、しばらく学院に通っていなかったのにこれだけ走れるとは流石だな!」

「そういうのはいいから、そろそろ休憩しないか!?」

「お前が止まれば止まると言っているだろう!」

「わかった、じゃあせーので止まろう! それでいいか!」

「いいぞ!」

「せーの!」


 足を止めずに後ろを振り返ってみる。しかし、クリスは変わらず俺に向かって走り続けていた。


「止まれよ!」

「お前こそ約束が違うだろうが!」


 くそっこれじゃ埒が明かない。

 結局何も状況が変わらないまま、気付けばルナが良く薬草を摘みに来ている場所まで来てしまった。

 ここにもしルナがいたら最悪だな、なんて考えつつ周囲を確認する。


 ……いた。


 俺が外出していたせいか一人で来ている。

 恐らく、ルナはこちらに気付いていないしクリスもルナに気付いていない。今のうちに薬草が生えている場所から距離を取ろう。

 そう思い、進路を変更しようとした瞬間だった。


「お~い」


 ルナがこちらに気付いてしまったようだ。元気よく笑顔で手を振っている。

 後ろを振り返ればクリスもルナに気付いてしまった。それに続いて、ルナもクリスの異変を察知したらしく、鼻を手で押さえている。

 もはやこれまで。あいつにルナの方へ近付かれてしまってはどうしようもない。そうなる前に観念して立ち止まった。


 俺もそうだが、クリスも体力が切れる寸前だったらしい。

 お互いに立ち止まって膝に手をつき、まずは息を整える。ルナがこちらに寄って来る気配はないので一安心だ。


「よ、ようやく止まったか!」

「ああ!」

「さあ、状況を説明してもらおうか!」

「今のお前は臭い!」

「何だと!?」


 しまった。説明が簡潔過ぎた。

 俺はその場で何故こんなことになっているのかを詳しく述べる。

 昨日、グレイシアにボコボコにされてあそこに捨てられたこと。夜になって俺が家に帰る際、獣に襲われないように香草を使ったこと。

 話を聞き終えたクリスが眼鏡をくいっと押し上げた。


「なるほど、話はわかった」

「おう」

「だが他にもっとやり方はなかったのか?」


 そう思う気持ちはわからないでもないが。


「ない」

「そうか。お前にもグレイシアにも悪いことをしたな。反省している」


 意外に冷静だな。もっと怒るかと思っていた。


「だがお前は後で一発殴る」


 やっぱり怒ってた。


 ここに来る前にあいつの家に寄ってもらって来た着替えと、臭いを消す為の別の香草を渡す。ちなみに、クリスの家にはグレイシアから連絡が行っているので、特に心配しているような様子はなかった。

 本来なら家の人を誰か送っても良さそうなものだが、反省させる為とかそういう感じなのだろう。

 あいつが着替えるまでの間、ルナの薬草摘みを見守ることにした。


「そう言えばお前、何で一人で来たんだよ」

「アルフが家にいなかったから」

「一人じゃ危ないだろ。誰かについて来てもらえよ」

「誰かって誰に?」


 親父さんは薬屋の仕事があるだろうし、おばさんはその手伝いをしている。ルナは一人っ子なので兄妹などもいない。

 そうなると友達か冒険者ギルドに頼むことになるが、そこまでの手間やお金をかけるべきかと言えば疑問が残る。

 ルナの言うことはある程度筋が通っているものの、そういう問題じゃない。


「それに、薬草摘みに来て危ない目に会ったことなんてほとんどないし」

「万が一ってこともあるだろ」


 普段、俺に小言を言われ慣れてないからか、ルナは少し面白くなさそうだ。機嫌が悪いというほどではないが、言葉にやや棘がある。


「私のこと心配してるの?」

「そりゃそうだろ」

「えっ」


 ルナの動きがぴたりと止まる。顔だけでこちらを振り向くが、目線は合わせようとしない。


「そ、それはどうして?」

「俺たちは家族みたいなもんだろ。お前だっていつも俺の心配してくれてるし、それと一緒だよ」

「……………………ふ~ん」


 そう呟いてさっさと薬草摘みの作業に戻ってしまった。

 一瞬機嫌を戻せるかもと思ったが、微妙な反応だな。何か甘いものでも渡せれば楽なのだが今は手元に何も……。


 あ、そうだ。

 渡せるものがあったことを思い出してポケットを探り、そこから出したものをルナに向かって差し出した。

 敢えて名付けるなら「よくわからん石像」といったところか。


「おい、ルナ」

「何?」

「これ、やるよ」

「何これ?」

「俺もよくわからん」

「え?」


 ルナが困惑するのも無理はない。

 小さな石像は何かの生物を再現しようとしたのだと思われるが、あまりにも先進的なデザインをし過ぎていてその「何か」が特定出来ない。まるで小さな子供が作ったみたいだ。


「どういうこと? 何でよくわからないものを渡そうとするの?」

「一応、昨日王城へ行ってきた時のお土産なんだよ」


 ルナへのお土産が欲しい、と俺が言っていたのを完全に忘れていたハンクに代わって、実は昨日、クリスが気絶した後に自分でグレイシアに聞いてみたのだ。

 何かお土産になるものはないか、と。

 幼馴染に心配をかけたという事情に頷いた彼女は、それならばとすぐにこれを取り出して渡してくれた。


 そしてどこか自慢げな顔で「これは非常に良いものだ」と言う。

 ちなみに、これが何なのかは尋ねてみたものの「詳細は話せない」の一点張りだった。


「昨日、お前に心配かけたからな。そのお詫びみたいなもんだ」

「そうなんだ」

「まあ必要なかったら捨ててくれ」

「ううん。もらう。ありがとう」

「え?」


 自分で渡しておいてなんだけど、受け取ってもらえるとは思わなかった。今度は俺が困惑してしまう。

 訝し気な視線を俺に寄越すルナ。


「何その表情。アルフがくれるって言ったんでしょ?」

「うん。ごめん、何でもない」


 さっきより雰囲気は和らいだが、これはこれで妙な雰囲気になってしまった。

 さてどうしたものかと思索を巡らせていると、着替えを終えたクリスが後ろからやってきた。


「喧嘩でもしてるのか?」

「してない」

「そうか。いつもと雰囲気が違った気がしたのでな」


 不気味な石像を大事そうにかごにしまっているルナの方を一瞥してから、クリスは続ける。


「ルナには学院に戻ることを伝えたのか?」

「まだだけど」

「えっ、そうなの?」


 ものすごい勢いでこっちを振り向くルナ。


「ああ。色々あってな、明日から早速だ」

「色々って、昨日王女様に呼ばれた時?」

「おう」


 そこで昨日の出来事を一通りルナに説明した。


「てなわけだ」

「そうなんだ。良かった……」


 心から安心した様子で微笑むルナ。機嫌もなおったみたいで何よりだ。


「おい」

「ん?」

「今の話にはアイヤー! の件が含まれていなかったが、それはいいのか?」

「うるせえよ! あれはどうでもいいだろ」

「そうか」

「アイヤーって何?」

「ルナも興味を持たなくていいから」

「えー。教えてよ」

「その内な」


 ルナが頬を膨らませて不服の意を示すが、こればかりはそう簡単に話すわけにはいかない。


「ていうか、その話を何で知ってるんだよ」

「一昨日に学院でフィリア様から聞いた。他の生徒から俺とお前が仲が良かったことを聞きつけたらしくてな。割とすぐに俺のところに来たぞ」


 で、そのまま洗いざらい俺のことを教えたと。

 素性だけならともかく、実家の場所がばれるまでが早過ぎるとは思っていたがそういうことか。

 少し間を空けてから、クリスが続ける。


「とにかく。騎士団にせよ復学にせよ、やることが出来たのならいいことだ。お前の力は埋もれさせておくにはもったいないからな」

「うんうん。応援するから、頑張ってね」


 この二人に正面からこういう言葉をかけられるとむずむずする。でも、自分のことを気にかけてくれる人たちがいるってのはいいもんだな。


 それからしばらく雑談を交わしていると、ルナの仕事も終わったので、そろそろ街に帰ろうかという話になった。

 立ち上がったルナがそういえば、と前置きをして聞いて来る。


「学院は明日から通うとして、騎士団の活動っていうのはいつから始まるの?」

「それがわからないんだよな。また連絡があるらしいけど、そもそもどうやって連絡をして来るのかも不明だし。クリスは何か聞いてるか?」

「いや。明日学院で直接フィリア様やグレイシアから話があるということではないのか?」


 この場では誰にも答えが出せず、一瞬の沈黙が訪れる。


「ま、いっか。明日になればわかるだろ」


 そう言って、三人で街へ向かって歩き出す。


「でも、いいな~二人共。私もフィリア様やグレイシア様にお会いしてみたい」

「お前も騎士団に入れてもらえばいいじゃん」

「どうやってお願いするのよ。それに私、戦えないし」


 するとクリスが、俺たちが追いかけっこをする前にいた方向を見ながら言った。


「その機会がやってきたかもしれんぞ」

「え?」


 ルナと一緒にクリスの視線の先を追うと、ローブを纏い、そのフードを深く被った二人組がこちらに歩いて来るところだった。

 ハルバートの住人でも薬草を摘みに来る人間はある程度限られているが、あんな奴らは見たことがない。だが、クリスの言葉でその正体には察しがつく。

 万が一不審者だった時の為に、前方二人とルナの間にさり気なく身体を寄せながら待った。

 やがて、ローブ二人組は俺たちの前まで来るとフードを取り払う。


「アルフレッド君、クリス君、こんにちは!」


 そこにいたのは、王女フィリア様と騎士グレイシアだった。

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