幼馴染と草原と

 魔王が勇者の手によって討伐されてからもう半年が過ぎた。

 人類は魔物に襲われる心配のない暮らしを謳歌し、これから来る未来への期待に胸を躍らせている。

 その生活はどうかと言えば、変化は訪れつつも、全体的に以前と大きくは変わらないと言っても差し支えない。

 もちろん職種にはよるけれども、皆以前とほぼ同じ時間に起床し、同じものを食べて、同じ衣服を身に着けてから仕事に向かうのだ。

 だから俺だって、今日も「仕事」に勤しんでいる。


 クリスがうちを訪ねて来た翌日の昼下がり。

 どこまでも広がる青い空の下、辺り一面を緑で覆われた場所。街を出て、街道から少し外れた所に立っている木の下に俺はいる。

 半年前までは魔物がうろついていたなんて事実が嘘みたいにのどかで、背の高い草木がゆったりと風に揺られている。鼻腔をくすぐる緑の香りが心地よく、胸一杯に息を吸い込めば心身が洗われるようだ。


「ねえ、アルフ」

「ん?」

「またクリス君が会いに来てくれたの?」


 そう尋ねて来た目の前の少女は、近所に住む幼馴染のルナ。

 肩にさらりと流れる薄茶色の髪をハーフアップにしている。背丈は、男子としては平均的な身長の俺より少し低いくらいだ。

 ルナは木陰に生えている薬草を摘むためにしゃがみ込む。その大きな瞳はこちらを捉えておらず、何でもない話題を振って来たと言わんばかりだ。


「まあな」

「それで、また喧嘩しちゃったんでしょ」

「何でそう思うんだよ」


 くすりと笑いながら、ルナがこちらに顔を向けた。


「クリス君と何かあった後のアルフは、少しだけバツが悪そうな顔をしてるから」

「……」


 長い付き合いだからか、それとも俺がわかりやす過ぎるのか。こいつにはいつも心の機微がばれてしまう。

 俺は観念して、俯きながら呟くように言った。


「別に喧嘩をしたわけじゃないんだけど」

「復学はしないのかって聞かれた、みたいな感じ?」

「ああ」

「いい事じゃない。今でも気にかけてくれる人がいるんだから」

「それはわかってる。でも」

「戻る気がないから心苦しいって?」


 ぐうの音も出ずに口を閉じていると、薬草を摘み終わったらしく、ルナが立ち上がってこちらを向く。


「戻ればいいじゃない。卒業するだけでも意味があるんだし」

「ねえよ」

「もう勇者は必要なくなっちゃったかもしれないけど、あそこで勉強することって剣術や魔法だけじゃないでしょ? それに卒業すればお仕事だってもらえるし」


 そんなことはわかってる。そう返事をする代わりに拳を強く握りしめた。


「アルフは鍛冶が出来ないから実家は継げないし、このままだと冒険者をするしかなくなっちゃうけど……不安定だし危険だから、私は学院に戻って欲しいな。もちろん無理にとは言わないけど」


 俺が黙り込んでいても気を悪くした様子はなく、ルナは微笑むと一つ息を吐いてから歩き出した。そして遥か彼方に浮かび上がる山々の稜線を見つめながら言う。


「ま、こうやって毎日アルフに護衛してもらいながら薬草を摘みに行く日々だって悪くはないけどね」

「一生は流石にごめんだけどな」

「そう? お互いがおじいちゃんおばあちゃんになってもこうして過ごせてたら、それはそれで素敵なことだと思わない?」

「どういう意味だよ」


 一生薬草を摘み続けることの何がそんなに素敵なのかよくわからない。

 ルナはこちらを振り向き、悪戯っぽく微笑むと「さあ?」と言った。


「そもそも薬草の需要はこれから減り続けるだろ。完全に無くならないにしても、毎日摘みに行く必要はなくなる」

「そういうことを言ってるんじゃないんだけどなー」

「???」


 わけがわからない。

 首を傾げる俺を見て、ルナは満足げな顔をすると「帰ろっか」と言いながら街へ向かって歩き出した。


 ルナの斜め後ろを歩きながら、俺はぼんやりと考える。

 クリスやルナの言う「学院」とは、俺が一か月前まで通っていた王立騎士学院のこと。

 王立騎士学院は一言で言えば「勇者を育てる為の学校」だ。

 「勇者」は人類を害する邪悪な存在、魔物の頂点に君臨する「魔王」を打ち滅ぼす力を持った希望の光であり英雄、とされている。


 つまるところ、国にとって勇者というのは魔王を打ち滅ぼす力を持っているだけでなく、人類の希望の光足り得る為の人格や素養も備えていなければならない。

 だから王立騎士学院に通う学生たちは、剣術や魔法だけでなく、勉学や一般教養なども幅広く学ぶ。そして、卒業した暁には騎士となって王国に住まう民を守り、特に優秀な者は次の勇者として選ばれ、魔王討伐の旅に出るのだ。


 王立騎士学院には世界各地から様々な人間が集まって来る。

 そのほとんどは人類を救う為、我こそが勇者にならんとする者や、己を磨く為の研鑽の場を求めてやって来る者など様々だったが、共通しているのはいずれも志が高いということだった。

 そう。何年か前までは。


 いつしか、せっかくこれだけの事を学んだ人材を騎士にばかりさせるのはもったいないという話が出る。これによって卒業してからの就業先が騎士団だけでなく、

役所や図書館、そして王城勤めなど、公的な職にも及ぶようになった。


 そうなると、特に勇者を輩出したいわけではないけれど、家格を保ちたいので子供を騎士学院に入学させたい、という貴族たちが現れる。彼らによって学院では金やコネによる裏口入学の不正が多発した。

 そうして貴族の子女が新入生の入学枠を圧迫した結果、平民からは成績上位者の中でも限られた者しか入学出来なくなった。

 もう、今では真に世界を救おうとするような志の高い者は、学園にはほとんどいない。魔王も討伐されて勇者を輩出する必要のなくなった今後は、腐敗もどんどん進んでいくだろう。

 公的な職には一切興味のない俺は、そんな学園に通う意味を、いつしか見出せなくなってしまったのだ。

 今は実家の鍛冶屋で店の手伝いをしながら生きる道を模索している。正直に言って学院に戻ることはあまり考えていない。


 街はもう目の前というところで、ルナが立ち止まってこちらを振り向いた。


「今日もありがと。これ報酬ね」


 こちらに差し出して来たのはパンだ。ルナが自分で焼いたものだろう。


「いらないっていつも言ってるだろ」

「いいから。どんなことでも仕事をしたら対価をもらわなきゃ。ね?」

「わかったよ」


 どうにもルナには逆らえない。大人しくパンを受け取ることにした。

 仕事というのは、今やっていた薬草摘みの護衛のことだ。

 魔物がいなくなったとはいっても、当然ながら動物は普通にいる。そして基本的に武装を許可されていない平民では、街の外で獣に遭遇してしまったら襲われても対処出来ない。そこで護衛が必要となるわけだ。

 ルナの実家は薬屋を営んでいるので、こうして定期的に街の外へ薬草を摘みに行く必要があって、俺はその付き添いを小さい頃からやっていた。


 ちなみに、一応まだ学院に籍を置いている俺は「騎士見習い」として扱われ、武装は許可されているが非常時以外の使用は禁止されている。動物に襲われた場合は非常時に含まれるのだ。


 もらったパンにその場でかじりついていると、ルナがこちらをじっと見ていることに気が付いた。


「何だよ」

「そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」

「何を?」

「勇者になろうと思ったきっかけ」


 この質問をされる度にいつも複雑な気持ちになる。例えルナが相手であっても、俺の返事は毎回決まっていた。


「そんな簡単に人に話せるようなものじゃない」

「いっつもそう言うけど、それがわからないんだよね~」


 ちょっと拗ねたような様子で、そっぽを向いたルナは続ける。


「悪いことをした理由を隠すのならわかるけど、勇者を目指すって別にいいことじゃない? 話すのが恥ずかしい内容なの?」


「いや、恥ずかしいとかじゃないんだよ。ただ」


 空を見上げ、声のトーンを落としてから言った。


「勇者に対する憧れってのは、そんな生半可なものじゃなかったからな。そのきっかけになった出来事もそれなりのもんだ。だから、何ていうかな。静かに胸にしまっておきたいんだよ……」

「……ふ~ん」


 目の前に視線を戻せば、ルナが訝し気な視線をこちらに向けている。


「ま、そういうことにしといてあげる」


 明らかに納得のいっていない心情を隠す気もないまま、ルナは街に向かってもう一度歩き出した。もうその表情は窺えない。

 どうやらこの話は終わりにしてくれたようだ。俺は気付かれないよう、静かにほっと一息を吐いた。


 俺が勇者を目指したきっかけ。理由。それは絶対に誰にも話すわけにはいかなかった。

 たしかに「生半可なものじゃなかった」のも事実だし、「静かに胸にしまっておきたい」のもそうだ。嘘じゃない。


 では、どうして誰にも話すことが出来ないのか?


 何故なら、俺が勇者を目指したそのきっかけとは……。




 モテたかったからだ。

 まじで、めちゃくちゃモテたかったからだ。

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