かつて勇者を目指した少年が「勇者」になるまでの物語

偽モスコ先生

プロローグ:魔王が討伐された日

 その日、人類の新たな歴史が幕を開けた。

 あるいは、人類の一つの歴史が終わった、と言うべきなのかもしれない。


「ちゃんとお弁当は持った?」

「大丈夫だよ。ありがとう母さん」


 その日は学院で授業があるいつも通りの、何てことのない一日の始まりだった。


「行ってらっしゃい」

「ありがとうエミリー。兄ちゃんがいない間いい子にしてるんだぞ」

「兄ちゃんがいない方がいい子にしてる」

「そうか。ははは」


 渇いた笑いが漏れてしまった。

 今日も玄関まで見送りに来てくれた妹のエミリーは、まだまだやんちゃ盛りの年頃だ。最近は兄に対する扱いが雑になって来て泣ける。


「それじゃあ行って来る」

「「行ってらっしゃい」」


 昔は兄ちゃん大好きっ子だったのにな、と思いながら家を後にした。


 うららかな陽射しに照らされながら通い慣れた道を歩き、街の北側にある王立騎士学院を目指した。早朝にも関わらず街はそこそこに活気で溢れ、あちらこちらで笑顔が咲いているのを見かける。

 道中、特に家の付近では見知った顔に声をかけられたりもした。


「ようアルフ、今日も学院か?」

「うん」

「頑張れよ、早く勇者になって魔王をぶっ飛ばしくれ」

「任せろ。おっちゃんも仕事頑張ってな」

「言うようになったじゃねえか。またな」


 手を振ってお互いの道を行く。

 今のおっちゃんのように街の人たちは、勇者を目指して日々研鑽を積む俺を応援してくれる。

 さすがに俺が勇者に選ばれるとは思っていないだろうが、それでも背中を押してくれるその気持ちが嬉しかった。


 だが、そんな明るく陽気な人たちは今も、この世界を牛耳る魔王の手下、魔物たちに苦しめられている。

 農家の人たちは畑を荒らされたり、そもそも護衛がいないと農作業もろくに出来なかったり。護衛に払う費用も馬鹿にならないので自衛し、その辺の騎士や冒険者よりも強くなった農家だっていたりする。

 商人だって護衛がいなければ馬車が襲われた時に困るし、大工は魔物に壊された近隣の村の家屋やこの街の壁を修繕するのに忙しい。


 早く勇者になって人類の脅威を排除してあげたい。

 俺はそんな決意を新たに拳をぐっと握り、歩みを速めた。


 街のある地点を通りかかったところで、人だかりが出来ているのを見かける。その中心には掲示板と衛兵が数人。

 これは只事ではなさそうだ。何があったのかを知りたいし、もし有事なら何か自分にも出来ることがあるかもしれない。そう思ってそちらに足を向けた。


 しかし、ある程度人だかりに近付いたところで、信じられない言葉が耳に飛び込んで来た。


「あの、この貼り紙って本当なんですか? 魔王が討伐されたって」

「本当だ。私たちも今朝通達があって半信半疑だったのだが、魔物がいなくなっていることを考えても間違いないだろう」

「魔物が!?」


 笑顔になる者、疑念を払拭しきれない者、明日からの仕事に不安を抱く者、魔物がいなくなったことを確かめる為に街の外に移動を始める者など、反応は様々だ。


 だが、そんな人々の中にあって俺は頭の中が真っ白になっていた。

 「一応」掲示板を確認する。そこには確かに「魔王討伐の報せ」の文字。衛兵たちはこの貼り紙を持ってきて、それを目撃した住民たちにそのまま囲まれたのだろうことは想像に難くない。


 衛兵の一人が俺に気付いて声をかけてきた。


「そこの君。その制服、学院生だよね? 良ければちょっと手伝って……」


 しかし俺はそれに反応することなく駆け出した。


「ちょっと君!」


 街の外へ向かって全力で、足を止めることなく。


「うおっ」

「きゃっ」

「気を付けろ!」

「すいません!」


 途中何人かにぶつかり、その度に謝りつつも走り続けた。


 そして遂に一番近い門へと到達し、外へと歩み出る。

 そこには広大な青の下に広がる大地。そよ風に草花たちの踊る草原。ぽつりぽつりとそびえたつ樹々が人々を見守る、いつもと変わらない風景が広がっていた。


 しかし、そこにあるものは大きく違う。


「魔物が、いない……」


 ありのままの思いがぽつりと口からこぼれ落ちる。

 武装もしていない多くの住民たちが街の外を笑顔で走り回っている。緑のベッドで不用心に寝そべる者や、抱き合って喜びを分かち合う者たちもいた。


 本当に魔王が討伐されたのだ。

 俺がやらなくても、恐らくは勇者が人類の脅威を消し去ってくれた。明日からの俺たちには魔物の恐怖に怯えることのない、より自由な日々が待っている。


 歴史的な一日。歓喜に踊る民衆。


 なのに何故だろう。


 俺の心には、まるで強力な魔法で撃ち抜かれたかのように、ぽっかりと大きな穴が空いてしまっている。


 その日、新たな人類の歴史が幕を開けた。

 あるいは、人類の一つの歴史が終わった、と言うべきなのかもしれない。


 〇 〇 〇


 それからしばらく経ったある日、俺は実家の店先にいた。

 実家は鍛冶屋で、店では親父が造った武具を売ったり、製作や修理の依頼を請け負ったりしている。

 ゴツい商品で彩られてしまった店内に女の子が足を踏み入れることはほとんどなく、客はおよそ男性ばかりだ。


「暇だな~」


 つい欠伸が出てしまった。

 平日のこの時間帯に店を開けていても客はほとんど来ない。商品を必要とする層のほとんどは働きに出てしまっている。


「暇なら働け! エミリーハンマー!」

「こらやめなさい」


 妹はちょこちょこ店に来ては俺を攻撃して遊ぶので将来が心配だ。

 これに関しては、何か遊び道具を、という理由で何故か小さいハンマーを作って渡した親父が悪い。

 ちなみにそのハンマーは全て木で出来ているので、地味に痛いと言うのも問題点の一つだ。


「魔物を倒すのが私の使命」


 騎士にでもなりたいのだろうか。


「魔物はもういないし、兄ちゃんは魔物じゃないだろ」

「家の中の魔物」

「家の中の魔物!?」


 何てこった。妹の中での俺は魔物だったらしい。道理で最近扱いがひどくなっていくばかりのはずだ。

 しょうがない、兄としての威厳を保つ為にもここは一つ、怖がらせてやろう。


「魔物ならエミリーを喰っても問題ないわけだよな?」


 立ち上がり、口角を上げて威圧感を出しながらにじり寄る。


「遂に正体を現したな! エミリースラッシュ!」


 しかし、我が家の騎士は思いの外勇敢だった。

 エミリーなりの全力でハンマーを横に振るだけの超大技は、的確に無警戒な俺の脛を捉えた。


「あっつ」


 さすがにこれは痛い。

 間抜けな声を漏らしながらその場に片膝をついてしまった。


 俺がそうしている隙にエミリーは反撃を警戒したのか、カウンターを出て武具の林へと紛れ込む。

 もちろん怒るつもりはないが、商品に下手に触ると怪我をする恐れがある。注意しようと立ち上がると、店の出入り口に備え付けた鈴が鳴った。


「いらっしゃい」


 エミリーが声をかけると、入って来た人物は優しく微笑んだ。


「こんにちは。アルフはいるかな?」

「今倒したところ」

「相変わらず元気なようで何よりだ」


 黒髪で眼鏡をかけている。すっきりとした目鼻立ちで、背は少し高めだが全体的に線が細い。

 黙っていればそこそこの美少年に見えなくもないこのクリスという男は、友人と言ってもいい関係だとは思う。


「元気過ぎて困ってるくらいだよ」


 カウンターに座りなおしながらそう言うと、クリスはこちらに歩みを進めながら口を開いた。


「お前もな」

「俺は元気に決まってるだろ。毎日ここにいるだけなんだから」

「そうか」


 返事をしながらクリスも腰かける。エミリーは飽きたのか、店から出て行ってしまった。


「学院帰りみたいだな」

「ああ」


 黒いローブの下に覗く、白を基調として控えめに赤のラインが入った制服は、俺が数ヶ月前まで通っていた学院のものだ。


「まあ、色々見て行ってくれよ。新しいのもいくつかある」


 こいつに用事がないのはわかっている。

 とはいえせっかく来てくれたのに冷やかしなら帰れ、とか言うのも気が引けるのでそう案内しておいた。

 しかし、それに対する言葉はいつもとは違うものだった。


「お前、俺が冷やかしで来たと思っているな?」

「まあ……。てか実際そうだろ」

「今日は探し物があって来た」

「お。何だ? ここにあるものだったら親父に言ってまけてもらうぜ」


 クリスがここで探し物なんて珍しい。興味が湧き、わずかばかりに心を躍らせながら尋ねた。


「『愛』だ」

「やっぱり冷やかしじゃねえか」


 少しでもわくわくした俺が馬鹿だった。


「ここに『愛』はないのか?」

「んなもんどこにあるんだよ。仮に商品として存在したとしても鍛冶屋にあるわけねえだろうが」

「俺は別に商品としての『愛』を求めているわけではない。金で買える『愛』など『愛』ではないからな」

「面倒くさいこと言い出したな。なら、俺に聞くのは余計に違うだろ」

「お前は知らないかもしれないが、ご両親は知っているだろう」

「そうだとしても親から『愛』の話なんて聞きたくねえよ! 若い頃のイチャイチャ話とか聞かされたらどうすんだよ」

「俺としては非常に興味深いが」

「ならお前一人で聞きにいってくれ。母さんは家、親父は工房だ」


 俺が親指で家と工房の方向を示すと、クリスは「ふむ」と呟いてから問い掛けてきた。


「お前は興味ないのか?」

「ない」

「そうか。有りそうだと思ったんだが」


 正直彼女の一人くらいは欲しいと思っているが、ここでそれを話すとややこしくなりそうなのでやめておく。

 それに、こいつが興味のある「愛」と俺のそれじゃ意味合いが少し違う気もしている。


「逆にお前は何で興味あるんだよ」

「金と『愛』は人生を狂わせると聞く。好きなものに金をつぎ込み過ぎて借金まみれになったり、好きな異性に対して盲目になり過ぎたあまり人格が変わってしまうこともあるだろう」

「それはちょっと大袈裟じゃないのか?」

「そんなことはない。友情が壊れるのは金や女がきっかけであることが多いという話をよく耳にする。それに、夜も更けたころに街を出歩けば、大人のお店に必死な形相で通う輩がいるだろう」

「余計なお世話だろ。放っといてやれ」


 大人のお店ってのは女の子と一緒にお酒を飲むあれか?

 まあ、確かにお金はかかると聞くが、自分が働いで稼いだお金を何に使おうと自由だと思う。

 友情云々はまあ、ある話かもしれないが。


「とにかく、俺はその強い影響力の根源を知りたいのだ」


 話が一段落したところで、カウンター裏の方にある扉ががたっと音を立てる。誰かが入って来たらしい。


「お母さんにクリス君が来たって教えてきた」

「エミリーか。母さんは何て言ってた?」

「クリス君はお金持ちの家の子だから今の内に仲良くしておきなさいって」

「小さい子供に何てこと教えてやがるんだ」

「まあうちは家名も高いし資産もそこそこあるからな」

「お前も冷静に分析すんな」

 

 エミリーはクリスの言葉を聞いて、何のためらいもなく言い放った。


「じゃあ私と結婚してください」

「えぇ……」

「いいだろう。これで俺は義兄となり、毎日アルフをこき使う権利が与えられるわけだな」

「話の展開がぶっ飛びすぎてついていけん」


 というか、義兄だから俺をこき使えるとかいう理論がよくわからん。まあ真剣に考えるだけ無駄か。


「時にエミリーよ、お前は『愛』を知っているか?」

「エミリーにも聞くのかよ」


 妹は首を元気よく左右に振る。


「ううん、知らない」


 純粋無垢で汚れの一切ない瞳。この子にはこのままでいて欲しい。


「でも、ルナお姉ちゃんなら知ってると思う」

「いや、それはやめておこう」


 何故か俺を見てやや気まずそうに応じるクリス。


「何でだよ。知ってるならルナに聞けばいいだろ」

「お前、まじか」

「兄ちゃんは魔物」

「だから何で!?」


 今の会話のどこに魔物要素があったのか。

 エミリーは飽きたのか店の商品を眺め始め、クリスは考えごとでもしているのか口をきかなくなってしまった。

 学院が終わったということは、そろそろ客も増え始める時間帯だ。お開きにするにはいいタイミングだな。

 二度手を叩いてから、二人に向けて言った。


「さあ、そろそろ店が混む時間だぞ。二人共帰った帰った」

「はーい」

「そうさせてもらおう」


 エミリーは大人しく退店し、クリスは立ち上がる。

 しかし、クリスは踵を返したと思いきや、またこちらを振り返った。


「アルフ」

「ん?」

「お前、まだ復学する気はないのか?」

「……まだ無理だ」

「もう学年も変わって後輩も入って来た。そろそろ学院側もお前の処分を考えるかもしれない」

「規定ならとっくに退学になってるはずなんだがな」

「そこは成績優秀者の特権と言うべきだろう」

「そうなのかもな」

「それで、無理というのはどういうことだ」

「まだ、あそこに戻る理由を見付けられない」

「お前も分かっているとは思うが」

「学院は勇者候補だけを育てているわけじゃない、だろ?」


 言い返すことはせず、静かに俺へと視線を注ぐクリス。

 

「それでもだ。俺が成りたかったのはきっと、」


 こんなこと本当は言いたくない。でも、これ以外に学院に通えない理由の説明がつかないのだ。


「勇者だったんだよ」


 学院で研鑽を積んでいたのは勇者になりたかったから。この国のことを真剣に考えているクリスからは軽蔑されても仕方のないような言葉だ。

 しかし、クリスは意外な反応を見せた。


「俺はそうは思わんがな」

「どういうことだ?」

「……また来る」


 そう言い残してクリスは去って行く。

 俺はその背中を、ただ静かに見送っていた。

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