第10話

 長の上着を借りて再び外へ。侍女が見送ってくれる。真っ暗な中提灯を僕に渡してくれた。ここからでも見える。果心居士の幻影まではもう迷う事はないかもしれない。一歩を踏み出す。


 幻影もこちらへと向きを変えるのが見えた。くしくも僕とあいつがやろうとしている事が重なる、お互いにお互いを取り込むべく。でも、本当は……。


 足が、体が震える。怖い、けど奈々も怖かったはず。そう思うと立ち止まる事は出来なかった。ともすれば恐怖で止まりそうになる足を騙しだまし前へと。一歩一歩着実に。


 僕があいつの元へと歩いているのが分かったのか、幻影もまたゆっくりこちらへ移動していた。





 里の入口で幻影は僕と対峙した。空洞の目は漆黒の闇に穿たれている。黒色の羽織がその体を包む。その姿が淡い光を放っていた。一瞬止まった様に見えた幻影が僕の方へと動きだす。


「痛っ」


 こんな時に頭痛が。跪き頭を押さえる。目の前の相手を見る事も叶わない。


 何かが、恐らく幻影が僕の上から重なってきた。柔らかい冷たさが背中に広がる。

痛い。頭が。


 記憶が、蘇る。





――

 流れる髪を後ろで束ねて、輪郭が露わになった女性が私へと語り掛ける。艶やかな肌によく笑う顔が可愛かった。


 起き上がろうとする私を制して彼女が食事を運んでくれる。胸の傷が痛む。


 いきなり襲われた私は幻影を盾にして逃げおおせる事が出来た。貫通した刃は私をも傷付け深手を負っていた。宿に向かう途中で力尽き。そこで彼女に拾われたのだ。

ずっと介抱してくれた。幻術と彼女が居てくれたお陰で私は一命を取り留める事が出来た。


 それからはずっと私と共にいてくれた。


 いつしか思い人になっていた。しかし私は外法を操る者だ。彼女に思いを打ち明けられる訳がない。


 時が過ぎる。とうとう私は前とは違う武将に捕まった。磔にされ衆人環視の元処刑される身となった。彼女の見ている前で私は幻影に槍を受けさせ、ネズミに姿を変えて鳶にさらわせた。


 彼女と再会できたのは奇跡だったのだろう。


 何度も。何度も。何度も、私の人生は苦難の連続だった。彼女が隣に居たから頑張れた。彼女と一緒になりたかった。幻術の使い過ぎで上手く体が保てなくなった私は彼女との人生をやり直したかった。


 悔いが生じる。


 彼女の姿が奈々に重なる。生まれ変わる前の彼女。


「居士様。あたし、居士様と出会えて、幸せでした……」


 私の……ああ、今は僕だ。これは夢。過去の夢。


 僕の腕の中で彼女がいまわの際に言った言葉を思い出す。僕は死ねない。幻になりかかっている。もう死ぬ事すら叶わない体になってしまった。狂おしい程の悲しみと悔しさ。誰に分かると言うのだろう。


 奈々は、そんな僕がやり直したいと願う切っ掛けの人だったのだ。


 人生を賭けて外法を極めた。もしかしたら、この方法なら……――





(ふざけるなっ! お前だけが幸せになりたかった訳じゃない)


 僕の頭に幻影の思考が流れ込む。


(どれだけお前のせいで苦しまねばならない。殺される痛み、悲しみ。儂だけが味わう苦痛。どれほど儂に押し付けて安寧に生きている。なぜ儂には幸福がない。憎い。お前も。お前を守る全ても)


 奈々は? 僕の事などどうでもよかった。幻影に取り込まれた奈々だけが気がかりでしかたない。


(奈々は……。彼女を殺す気は毛頭ない。お前には渡さん。今度は儂が共に生きる。お前が消えろ! 儂にその体をよこせ)


「うあっ!」


 激痛、熱が! 熱い、痛い! 胸が割ける! 押しつぶされ、鋭い何かに貫かれる。そのどれもが熱をおびて僕の思考をかき乱す。胸を押さえた手が異常を感じられない。視線を胸に向けようとした。瞬間、目がっ!


「があぁっ! 目がぁ! め、ぇ……」


 声が出ない。痛む胸を片手で押さえ、もう片手を目に当てる。手が伝える。体に傷などどこにも無い。こ、れは幻痛か。焼きごてを押し当てられた様な激痛が脳髄を走っている。


 それでも奈々に会うまでは……。次に会うのはもう僕ではなくなっているかもしれないが。


 お前もそうだろう? 幻影に語り掛ける。腕がっ! ありえない方向へ曲がる感覚に、口から思わず声の無い叫びが漏れる。


 果心居士の、いや僕のした事は確かに酷い事だった。お前に全てを押し付けて僕だけ生まれ変わって、幸せに暮らしていた。


 足がもがれる痛みに失禁しそうになった。


 荒い息を吐きながら、僕は続ける。僕と一緒に! もう一度僕の中に戻って来いっ! 僕が全て受け入れる。お前の悲しみ、苦しみ、痛みを全部。


 首が折れたっ……。息が出来ない。


 痛い、痛い、痛い、痛い。うわ言の様に唇が動く。


 暗闇の中、もう全身を包む痛みしか感じない。死ぬってこう言う事なんだろう、とも思う。


 頭の中がちかちかしている。走馬灯? こんな状態にあってまだ、何か思い出が浮かんで来る。





――

 ざざざざざとわらじの音を響かせて、駆け寄って来た侍達が僕の前で抜刀した。正眼に構えられた刃が持ち上がり、振り下ろされる。刀身が当たる寸前で僕は体の前に追い出された。刃が僕の体を滑って切り裂いていく。痛みより先に強烈な熱さが広がり、血がどくどくと流れ出した。なぜ、こんな……。考える間もなく僕の意識は暗闇に落ちて行った。


 風景が一変した。


 体が動かない。両手両足が十字になるよう縛られていた。磔だった。処刑場に一人、僕だけが。


 再び体の前に押し出される。


 兵士が槍を持って僕を突き刺す。矛先が心臓を貫いた。言葉が出ない激痛に僕の意識は吹っ飛んでいく。


 何度も死んだ。


 あの時も、あの時も、あの時も。痛みに耐え続けなければならなかった。


「居士様。あたし、居士様と出会えて、幸せでした……」


 最愛の人が逝ってしまった。もう僕の体と後ろの奴は同化し始めていた頃に。悲しかった。悔しかった。結局彼女が見ていたのはもう一人の僕でしかない。

そして、最後に僕だけ捨てられ封印されたのだ――





 これは……。もう一人の居士の記憶……。






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