第8話

「爽っ!」


 蹲った僕の背中に手を当てて以前してくれた様に何か口ずさんでくれた。だけど僕の意識はそこで途切れた。


 暗転する世界。





――おぞましい姿の居士が僕に語り掛ける。


「なぜ儂を切り離す。なぜ儂だけ葬られねばならぬ。絶対に許さぬ、絶対に取り戻す、お前を……」


 奈々を後ろ手で庇い、僕の呪が居士を縛る。周囲に来てくれた里の人間達によって術で縛られた骸骨はあっさり封印された。まだこの時は力が戻っていなかったんだと後で知った。全盛期の果心居士だったなら恐らく今の僕は取り込まれていたかもしれない。僕が成長していけば、僕の記憶の底にあるあいつと互いに補完して、いつか。


「憎いぃ。お前が憎いぃ」


 最後にその言葉を残すと骸骨の姿は封印した石の中へと消えていった。


「記憶を封じます、爽様」


 僕は頷く、僕が大人に近づく頃、きっと記憶の封印は解ける。その事を伝えて。


「奈々、また会おうね」


 笑顔で幼い彼女に語り掛けた。


「驚いたな。いや流石と言うべきか。だが、爽様の記憶が戻った時、封印が解けるかもしれん。奈々、それまでは爽様に近づいてはならん。どんな事があろうともだ」


 泣きじゃくる奈々が僕の袖をつかみ続ける。僕はそっと彼女の手に掌を重ねた。何時までも離さないその手を長は優しくほどいたのだ――





「切り離した? 僕があいつを……。僕は幻術を使えないのか」


 驚いた顔をして奈々が僕の顔を覗き込んだ。


「記憶が戻ったの?」


 その言葉に頷く。でも全部じゃない。あの骸骨との関係がまだ思い出せなかった。

時間の猶予はもうあまり残されていないかもしれない。僕に何ができると言うんだろう。幻術も使えないのに。


 膝に土がこびり付いていた。手でよく払って立ち上がる。下を向きながら、それでも奈々の足を見て前に進む。そしてもう一度骸骨に視線を向けた。少しでも記憶を取り戻したせいかもしれない、心なしかあの髑髏が向きを変えた気がする。


「うごいてる」


 気のせいじゃない、あいつ動いている。こちらに向かってゆっくりと。向かう先に里があるって言うのに。


 奈々もそれに気づいて方向を変えた。このまま里へは行けない。真っ直ぐに進むとあいつがいる。嫌でもどこかでぶつかるだろう。


 里の方も動きが激しくなっていく。上空にいるあいつに向かって光る何かが集中していた。もしかして攻撃してくれているのか? だが、悠然と骸骨は何事も無かった様にこちらへと進んで来ていた。


「爽」


 奈々が立ち止まる。何を言おうとしているか、なんとなく分かった。結界を出れば電車であった様に幻影に囲まれる。里への道にはあいつがいる。その上段々と接近する速度が上がっていた。もう接触するのは時間の問題だった。


 僕達は山をまだ下りきっていない。


「ここでなんとかするしか」


 か細い呟き。


「ねえ、爽」


「ん?」


「なぜあたしが迎えに来たか分かる?」


 少し考えて直に答えが出た。これしか思い当たらない。


「それは会いたかったからじゃ?」


 ちょっとだけ誇らしげな顔をして一瞬奈々が下を向く。


「それもある。あるんだけど、あたしが一番幻術を上手く扱えるから。最初はもう少し見守ろうと思っていたの。急に予定が変更になったのは、爽が襲われる寸前だったから」


 それは奈々と出会う前だろうか?


 空が星の光を通さなくなっていた。果心居士に浴びせていた光も途絶える。あいつの幻術が結界の外を覆っているんだろう。あの鳶のおびただしい数を思い出す。結界を侵食し始めているのかもしれない。


「爽、あたしが里への道を開くから、爽は逃げて」


 何を言っているのか分からなかった。僕は奈々を犠牲にしてまで逃げたくない。直ぐに首を振った。それを見ずに彼女が居士へと向き直った。


「あたしじゃ居士様に勝てない。里も救えない。だから、後で、後で助けに来てね」


 言うなり彼女の姿がぼやけ巨大な狼が現れる。既に凄い速さでこちらへと飛んで来ていた果心居士が一瞬止まった。僕と狼を見比べて、狼と対峙する事を優先したのだ。狼が疾駆する。彼女の前に飛び出す唯一の機会を見失ってしまった。もうどうにも出来ない。


 翻弄する様に動く狼をまるで優しく包む様に居士が動く。その合間を縫って僕は里へと疾走する。そうするしか選択肢がなかったから。今の僕は何の役にも立たない。それが分かったから。


「きっと戻ってくる」


 そう呟き、僕は駆けた。






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