第7話

  数分が経ち、急に僕の視界がぼやけてきた。額を押さえて息をはく。


「奈々。ごめん。ちょっと具合が」


「爽」


 僕を支え、彼女が僕に顔を寄せる。何か、彼女に思い当たる節があったのかもしれない。さっきよりも険しい顔をして振り返り大声で叫んだ。


「そこに居るのは誰」


 彼女の放った言霊が幻を生み出し、ある方向へ向かって飛翔する。


 詠唱が響き、その幻はその言葉に打ち消された。


「奈々様、そいつを俺達に渡してください」


「何を言って……」


 ぼやけた視界の中、問答無用で人影が呪を唱えるのを聞いた。そうこれは呪だ。具合が悪くなると同時に、僕の頭にぼんやりとそのことが浮かぶ。奈々が気づけなかったのも頷ける。


 膝をつき、流れる汗が顎を伝う。どうやら男は複数いる様だった。違う方向からも同じ呪いの言葉が響き渡る。


「やめてっ!」


 頭の中に火花が散った。奈々を守りたい。その思いが意識の底から記憶を引きずり出す。


「ひふみ、よいむなや、こともちろらね……」


 僕の口から出たのは子供が数を覚える時に使う言葉だった。しかし、これは浄化、祓いの呪でもある。呪いは相手に返せばいい。僕に向かってくる目に見えない何かが数舜迷い、男達へと返っていく。神道のこんな初歩的な言葉にこれだけの力が宿っている。


 思い出せたのは僅かにこれだけ。幻術でもないそれを繰り返し口にした。


 男達が倒れ、木の葉を揺るがす音がする。三人か。


「爽……」


「だ、いじょうぶ」


 ふらつく頭を押さえ、僕はなんとか立ち上がった。


 一人が両手を地面につけ起き上がろうとしていた。震える声で、


「お、お前。記憶が戻ったのか? じゃああの化け物も復活しちまうって事か」


 男が怯え狼狽える。


 何が復活するって言うんだ。まさかあれ……か? あの恐ろしい声が思い出される。ぼそっと呟いた言葉に奈々が答えてくれた。


「果心居士様よ。爽」


「え?」


「あなたたち、誰に言われて爽を襲いに来たの」


 果心居士。幻術の祖。それが僕の敵。


 なにか、なにかが違う様な気がした。


 もう一人が起き上がり逃げ出した。三人目は再び僕に呪いをかけようとして呪文を口にする。


「くそっ、くそぉ」


 そして男も駆けだした。詠唱が止まり、最後に残った一人もそれを見て、後ろを振り向き躓きながらも駆けていった。


「待って!」


 制止も聞かず男達は居なくなっていた。呆然と奈々が暗闇を見つめる。


「なんでこんな事」


「奈々……」


 僕の声にはっとして木の棒を再び奈々は掲げた。


「里に何かあったのかな? いこう爽」


 不安を押し切る様に彼女が先に進む。


 木々の中にひと際大きな老木が立ちふさがる。その幹にそっと奈々が手を触れた。幻の様に木は揺らぎ一つの道を形作る。


 そして境界を越えた。体には何も感じない。だけど感覚で何かがそこに在った事を実感した。結界なのだと思う。


「私達に向かって迎えが来る事になっているの。こちらからも進むからもうちょっとの我慢」


「分かった」


 頷いて奈々の後についていく、時折ぽけっとに入れたポタージュの缶に手を触れて。大分ぬるくなってしまったが、まだ僕を温めてくれる。


 上に行くにつれ木々の高さが低くなっていた。結界内からも星の明かりが見渡せる。


 突然、彼女が足を止めた。開けた場所に出て里を見下ろす。そして行く先の上空を見上げた。視線を追って僕も空に顔を向ける。山の中腹からでもその幻影は良く見る事が出来た。


「なんだ、あれ?」


 目線の先に骸骨の姿が投影されていた、朽ち果てた骨が黒色の羽織から覗く。肌寒くなる様な燐光を纏ったおぞましい姿で。散発的に何かがその幻影に向かって飛翔していた。奈々の腕が少し震えている。


「果心居士様。里を出るまでは封印されていたのに……」


 あれが、果心居士。亡霊と言った方がいいのか? それとも。


 じっと見ていて気が付いた。あれは動いていない。まだ封印とやらがとけてないんじゃないか。僕の記憶が鍵だったはず。


「里の上に現れた居士様があの男達が来た原因かもしれない。爽を殺せばあれも消えるかも、とか。そんな事あるはずないのに」


 僕たちはあの骸骨に一度会っている。子供の頃に襲って来たのが果心居士じゃないのか。頭痛がする。僕の頭にあれと同じ姿の化け物が浮かんでくる。痛みが倍加していく。





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