第4話

 濡れたシャツは冷たかったがそのまま着て帰って来た。疲れた。結局あれ以上思い出せる事はなく。家のドアに手をかけた。


「おう、爽」


 珍しい。親父が帰っている。その脇には奈々がいた。


「奈々」


 奈々が手を振って応えた。短く黒い髪が風に揺れる。柔らかそうな頬。朱色の唇。温かそうなもこもこの服を身に纏ってなんとなく照れ臭そうにしている。さっき別れたばかりだからかもしれない。


 落ち着いて彼女を見るのは初めてだった。心臓がどこどこと主張し始める。年齢はそう違わないはず。なにより可愛い。傷は、とも思ったが言えなかった。


 少しぼーっと見つめていたみたいだ。そんな僕に親父が口を開いた。


「本家から正式に連絡があった。お前しばらく里に行け」


「え?」


 本家? 里? 何を言っているんだ? 親父。


「奈々様がそこまで送ってくださる」


「ここに居たらまずいの。何も聞かないで来て」


 二人の言葉に頷いて僕は決心した。二度? も助けてくれた奈々を信じて。


「いこう。爽」


「ちょ、ちょっと待って」


 二人を押し退けて階段を駆け上がり自室に入る。汗で濡れた服を着替えたい。部屋の外まで付いてきた奈々がドアの外で待っていた。


 学生服とシャツを脱ぐと新たにシャツと服を選び、袖を通していく。


「着替えたら言って。靴をもってきたから。ここから行こう」


 ここから? と、壁に飾った泉の絵を僕は見つめる。ああ、もしかしてここからなのか。そう考えてすぐに思い出した。ここって服見えないんじゃ。


「絶対やだ」


「ここからが一番安全なのに」


 愚痴る声が聞こえるが流石に二度も裸を見られたくない。僕だけなんてずるいぞ。そう思ったが言える訳がなかった。


 着替え終わってドアを開けると、彼女から靴を奪って階下へと急ぐ。


「分かったわよ」


 しぶしぶ奈々が付いてくる。


 家を出るまで頬が熱かったのは悟られなかった様だ。


「で、どこへ行けばいい」


 僕の声に奈々が空を見上げる。ハンカチを咥えて上空へと息を吐きだした。黒い煙が風にのって拡散する。残された破けたハンカチをそっとしまう。


「こっち」


 どこを見ているのか、定まらない目で僕の手を引いて行く。戸惑いながらも僕は彼女に引かれるまま実家を後にしたのだった。






 電車に乗って向かい合わせの椅子に座る。古い座席だ。電車も古く、壁はやや茶色がかっている。元々こう言う色なのかもしれない。田舎へ向かうこの時間の列車内に人はいない。いや、彼女が張った結界でこの車両に乗り込もうと思える人がいなかっただけだと思う。


「その結界ってどう言う物なんだ」


「外敵の侵入を拒む物よ。術その物には影響はないの。ただ、外と内を分かつから直接つながっていない外への攻撃は出来ないから」


 彼女の顔を見つめながら説明を聞く。瞬間、どん! どん! と窓を叩く音がした。びっくりして振り返る。


「うわっ」


 嘘だろ……。鳶達が電車の窓に突っ込んでくる。空を埋め尽くす様な鳥の数だ。そいつらが窓ガラスに体当たりをして来た。その度にどんどんと言う音が響き渡った。ぶつかり砕けた鳶は薄暗い靄となって崩れていく。焦りと恐怖で体が震える。


「大丈夫。結界は大丈夫だから」


 その顔には余裕は感じられなかった。僕を安心させる為に言ったのだろう。


 外界と隔絶しているからかこれ以上の手は打てないのかもしれない。体当たりの頻度が上がっていた。体の芯が小刻みに震えている。


「奈々、何か、おかしい」

 そしてふと気づいたんだ、ぶつかって崩れた靄が後方へと流れ去っていかない事に。どんどん濃くなって窓に張り付いている。まるでこの車両を包む様に広がっていた。靄が侵食していく。






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