第八話 カヨコさん

 冒険者ギルドで受付を担当している、Eさんという女性から、こんな話を聞いた。

 ある女騎士の身に起きた出来事だという。その騎士の名を、仮にAさんとする。

 Aさんは冒険者の中でも、非常に優れた剣の腕を持っていた。

 レベルも相応に高く、大抵の敵はレベル差で圧倒してしまう。そのため、攻略難易度の低いダンジョンなら、特にパーティーを組む必要もなく、大抵は一人で潜っていたそうだ。


 ある夏の日のことだ。

 Aさんがいつものように一人で遺跡型のダンジョンに入ると、少し進んだ先にある三叉路で、誰かが佇んでいるのに気づいた。

 大人ではない。見ればまだ幼い、十歳かそこらの女の子だ。

 長い黒髪を背中まで伸ばし、肌は青白い。

 身にまとっているのは、薄汚れた赤いワンピース一枚のみだ。足は裸足で、持ち物は見当たらない。

 全身が、ぼんやりと薄明かりを帯びている。明らかに普通の人間ではない。

 Aさんは警戒し、両手で持った聖剣を油断なく構えた。

 同時に女の子が、まっすぐにこちらを見た。

 青白い顔の上に、血走った目がギョロリと見開かれる。瞳孔がすぼまって、黒い粒のようになっている。

 あまりの形相に、さすがのAさんも少したじろぐ。

 女の子は、にぃ、と口元を歪め、笑うように言った。

「こんにちは。わたし、カヨコさん」

 聞き慣れない名前を名乗り、カヨコさんは、こちらにすぅっと両手を差し出してきた。

 枯れ枝に似た骨ばった指が、何かを求めるように、Aさんの胸元に伸びる。

 カヨコさんは続けて、こう告げた。

「わたし、ブキをもってないの。あなたのブキをちょうだい?」

 馬鹿げている――とAさんは思った。

 ここはダンジョン。冒険者にとっては戦場だ。その戦場で武器を譲るなど、たとえ相手が何者であっても許されることではない。

 Aさんは、カヨコさんに聖剣の切っ先を向け、鋭く言い返した。

「あなたにあげる武器なんてないわ。今すぐに、私の前から立ち去りなさい」

 今まで様々なモンスターと渡り合ってきたAさんだからこそ口に出せる、まったく恐れのない言葉だった。

 カヨコさんはそれを聞くと、また、にぃ、と口元を歪め、笑った。

「ブキならあるじゃない。それを、ちょうだい?」

 同時に――Aさんの両腕に、鋭い痛みが走った。

 ミリミリミリッ! と、骨と筋が引き千切れるような音が響いた。

 Aさんの口から、声にならない悲鳴がほとばしった。

 腕が、もぎ取られる。

 腕ごと、剣を持っていかれる。

 はっきりと、それを感じたところで――。


 ……気がつくとAさんは、町に戻っていた。

 ハッとして、自分の両腕を見る。

 無事だ。傷一つないし、聖剣もしっかり携えている。

 いったい何が起きたのか。少し考えて、気づいた。

 HPがゼロになったのだ。だからこうして、強制的に町に帰還させられた、ということだろう。

 とは言え――通常、冒険者がダンジョンで受けるダメージは、痛みも含めたすべてが「HPの減少」という形に変換される。本来なら、実際に両腕を引き千切られるような感覚を覚えるはずがない。

 なのに今回は、凄まじい激痛を、はっきりと感じた。

 それだけ、あの「カヨコさん」が特別な存在だった、ということだろうか。

 あれはモンスターなのか。それとも、もっと次元の異なる「何か」なのか。正体は分からない。ただはっきりしているのは、自分が為すすべもなく一瞬で敗れた、という事実だ。

 ……そう、相手の要求を、ただ一つ無視しただけで。

 戦慄と同時に、激しい屈辱が、胸の底から溢れてくる。

 Aさんは苦々しく思いながら、宿へ引き上げていった。


 翌日のことだ。

 宿でHPを回復させたAさんは、準備を万全に整えて、再び昨日のダンジョンを訪れた。

 一度のミスで攻略を諦めるなど、冒険者の名が廃る。受けた屈辱は、しっかり返すつもりだった。

 例の三叉路に差しかかると、今日もカヨコさんが待っていた。

「こんにちは。わたし、カヨコさん」

 カヨコさんは、にぃ、と口元を歪め、昨日とまったく同じ台詞を吐いた。

「わたし、ブキをもってないの。あなたのブキをちょうだい?」

 続く言葉も、まったく同じだった。

 ――昨日はこの要求を断ったことで、自分は敗れた。

 ――ならば、何でもいいから武器を渡すのが正解のはず。

 Aさんはそう考え、不敵に微笑んだ。

「いいわよ。ほら、これをあげるわ」

 そう言ってAさんは、所持していたアイテムバッグから、一本のダガーナイフを取り出した。

 何の変哲もない、武具屋で売っている安物の品だ。もちろん、カヨコさんに渡すために用意したものである。

 自分の愛用している聖剣を譲ることはできない。しかし相手の要求は、「あなたのブキをちょうだい」だ。つまり、所持しているものの中から差し出しさえすれば、何でもいい――というのが正解だろう。

 Aさんは用心深く、ダガーを床に置くと、カヨコさんの方に向かって蹴った。

 石の通路の上をザザザッと、ダガーが硬い音を立てて滑る。カヨコさんはそれを拾い上げると、にぃ、とまた口元を歪めた。

「ありがとう」

 そう言って――。

 拾ったダガーを手に詰め寄り、Aさんの喉を突いた。

 まったく瞬時のことだった。

 ……Aさんは、何かを言い返す余裕もないまま、あっという間にHPをゼロにされて、町に帰還した。

 相変わらず傷はなかった。しかし、喉が裂けて血が噴き出した感覚だけは、はっきりと記憶に残っていた。


 翌日――。Aさんはまたも、同じダンジョンを訪れた。

 三叉路には、またカヨコさんがいた。

「こんにちは。わたし、カヨコさん。わたし、ブキをもってないの。あなたのブキをちょうだい?」

 今日も同じ台詞だ。Aさんは緊張で乾いた笑顔で、アイテムバッグから新たな武器を取り出した。

「これをあげるわ。でも、あなたに使いこなせるかしら?」

 それは、並の剣士なら両手で扱うのも困難な、巨大なバトルアックスだった。

 本来ならドワーフなどが振り回す品である。人間の、それも小さな女の子ともなれば、持ち上げることすら不可能だろう。

 Aさんはバトルアックスの刃を床に下ろし、そこから伸びた柄を、カヨコさんに向かって放り出した。

 刃を起点に、柄がグルンと弧を描いて、カヨコさんの手に渡る。

 カヨコさんは、にぃ、と口元を歪めた。

「うん、わたし、つかいこなせるよ?」

 ……次の瞬間、Aさんは脳天から巨大な刃を叩きつけられて、この日も町に帰還した。


 それからAさんは、酒場へ行って、他の冒険者達にカヨコさんについて尋ねて回ってみた。

 だが誰も、そのような不気味な女の子には遭ったことはない、という。

 ちなみに、話をした冒険者はいずれも、一人でダンジョンに潜った経験がないようだった。もしかしたらそれが、カヨコさんに遭わない理由かもしれない。

 つまり――一人で潜った時だけ、カヨコさんは現れるのではないか。

 その可能性は高い。……ただ、これが唯一の解決策というのも、納得できない。

 Aさんは、そう思った。

 自分はカヨコさんに敗北し続けている。確かに、素直に誰かとパーティーを組めば安全かもしれないが、それは結局「敗北のまま終わる」ということだ。

 悔しい。何としても、カヨコさんを負かしたい。

 カヨコさんの特徴は、こうだ。

 ――出会った冒険者に、何かを要求してくる。

 ――こちらが対応を間違えた場合、即死させられる。

 つまり、真にカヨコさんを打ち負かすには、向こうからの要求に対して、隙のない「正解」を叩きつけるしかないわけだ。

 幸い、HPのシステムがある限り、こちらは不死身だ。どうせ失敗したところで、また街に戻されるだけで済む。だから、何度でも試すことができる――。

 すでにAさんの闘争心は、前例のない難敵を前に、燃え上がっていた。

 ところで――Aさんは、このような話も耳にした。

 最近冒険者達から、各地のダンジョンで、ゴーストのようなものに遭ったという報告が相次いでいるらしい。

 このゴーストは通常と違って、物理攻撃はもちろんだが、魔法の類も一切効かないという。ただ、やはり一般的なゴーストと違って、向こうから魔法で攻撃してくるようなこともないそうだ。

 ……これを聞いてAさんは、あることを思いついた。


 翌日。Aさんはやはり同じダンジョンで、カヨコさんに遭った。

「こんにちは。わたし、カヨコさん」

 にぃ、と口元を歪め、カヨコさんが言う。今日も同じだ。

「わたし、ブキをもってないの。あなたのブキをちょうだい?」

 その言葉にAさんは頷き、アイテムバッグに手を差し入れた。

 ――おそらく自分の考えが正しければ、でカヨコさんを完封できるはずだ。

「あげるわ。持っていきなさい」

 そう言ってAさんは、このために用意した、とっておきの「武器」を取り出した。

 ……同時に、カヨコさんの血走った目が、戸惑いを帯びたのが分かった。

「持っていきなさい」

 もう一度繰り返し、Aさんは「武器」を、カヨコさんの手に押しつけた。

 カヨコさんが受け取る。だが――彼女はそれを、Aさんに向かって振るうことはなかった。

「…………」

 カヨコさんは、無言のまま立ち尽くしている。それを見て、Aさんは勝利を確信した。

 そう、カヨコさんにこの「武器」は使えない。これを武器として装備し扱えるのは、冒険者の中でも限られた職業クラスの者だけだ。

 魔術文字によって書き記された、一冊の本。

 ――魔導書。

 これが、カヨコさんの要求に答えつつ、彼女の害から逃れるための、真の「正解」だったのだ。

 満足げに微笑むAさんを、カヨコさんが恨みがましい目で睨む。しかし、彼女がこの場でさらに何かを要求してくることはなかった。

 骨ばった両腕で本を抱えたまま、カヨコさんは、ダンジョンの薄闇の中にすぅっ……と消えていった。


   *


「……以上が、Aさんという騎士から受けた、一つ目の報告になります」

 ここまでの話を終え、受付のEさんはそう言って、一息ついた。

 一つ目、ということは、さらにまだ何かあるのだろうか。

 Eさんは微笑み、さらにこんな話をしてくれた。

「後日、ダンジョンの中で、Aさんのメモが見つかったんです。……ああ、前とはまったく別のダンジョンなんですけど」

 ――カヨコさんに、また遭った。

 ――こんにちは。わたし、カヨコさん。

 ――わたし、なかまがいないの。わたしとパーティーをくんでちょうだい。

 メモには、その三言だけが書かれていたそうだ。

 つまりAさんは、前とは違うダンジョンに潜ったにもかかわらず、またカヨコさんに遭遇してしまった――ということだろうか。

 ……しかし、カヨコさんからの要求は、まったく変わっている。

 果たしてAさんは、この要求に、どう応えたのだろう。

 それを知る者は、いない。

 ただ――もしかしたら、彼女は、カヨコさんとパーティーを組んでみたのかもしれない。


 Aさんは、このメモだけを残して、行方が知れなくなっている。


   *


 追記。

 Eさん曰く――この話を聞いた冒険者は、一週間以内に、必ずダンジョンでカヨコさんに遭うそうだ。

 だからその一週間は、絶対に他の冒険者とパーティーを組むこと。それ以外に、カヨコさんを回避する方法はない、という。

 ……これを読んだ皆様が、孤高の冒険者でないことを祈りつつ、筆を置く。

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