第五話 仲間

 かつてN村の住人だった、Pさんという三十代の男性が体験した話だ。

 Pさんは、いわゆる「村人」だった。

 日頃は農業に従事しているが、たまに冒険者が村を訪れると、その案内役を買って出る。

 もちろん相応の案内料はいただくものの、それ以上のことはしない。だから冒険者にとっては、欠かせない存在であるにもかかわらず、その印象自体はだいぶ地味だった。

 もっとも、そんな評価は過去の話である。

 Pさんが村人を辞めたのは、今から数箇月ほど前のことだ。

 他界したのだ。死因は、冬場に冷たい川に落ちたことによるショック死だった。

 そんなわけで、不慮の事故によって魂だけになってしまったPさんだが、その後の身の振り方については、だいぶ悩んだという。

 この世界では、死者の魂は早めに冥界へ渡らなければならない、というルールがある。

 冥界の位置は、生者にこそ知られていないが、死ぬと自動的に分かるようになっているらしい。

 冥界に着くと、生前の行いによって、天国行きか地獄行きかが決まる。

 Pさんの場合、悪事とも善行とも無縁だったから、果たしてどちらに行くことになるのかは分からない。ただ――実はそれ以前に、もう一つの選択肢を選ぶことも出来るのだ。

 ……アンデッドになる、という道である。

 この場合、冥界に行くというルールを破り、現世に留まることになる。天国にも地獄にも行かず、死後もこの世界での暮らしを存分に謳歌できるというわけだ。

 もっとも、ルールに背くわけだから、デメリットも大きい。

 アンデッドになると心が闇に染まり、生前の記憶は薄れてしまう。そうなると、生前親しかった相手に、うっかり危害を加えてしまう可能性がある。

 それに、強制的に魔王の配下にされてしまうため、いざとなれば自分の意志に関係なく、冒険者と戦わなければならない。

 要は、モンスターになってまで現世に留まりたいか、という問題だ。

 Pさんは、大いに迷った。

 死後の進路など考えてもいなかった。ただ――三十代という若さで亡くなった以上、この世への未練はたっぷりある。

 ……冥界に行くか。アンデッドになるか。

 仮にアンデッドになるならば、魔王の配下である悪魔に会って、闇への忠誠を誓う必要がある。悪魔は魔王城にいるはずだ。

 Pさんは迷いながらも、とりあえず魔王城へ向かって歩いていったそうだ。

 自分の埋葬が済んだ、その夜のことだったという。

 満月が輝いていた。

 薄明かりが差す森の道を、Pさんは生前と変わらない――ただし魂だけの体で、一人とぼとぼと歩いた。

 ――本当に、アンデッドなんかになってもいいのか。

 ――自分がモンスターになれば、きっと村の皆に迷惑をかけてしまうに違いない。

 ――ただそれでも、死ぬのは嫌だ。

 ――この世から消えてなくなるのは、嫌だ。

 罪悪感と未練から来る葛藤が、延々と胸の中で渦巻く。

 やがて、一人で悩むのに限界を覚えた。

 仲間が欲しかった。

 冥界に行くにしろ、現世に留まるにしろ、一人では心細い。誰か他の死者が率先して選んでくれれば、安心して同行できるのに、と思った。

 ……そんな時だ。Pさんが、ふと背後に気配を覚えたのは。

 誰かが、ついてきている。

 振り向いてみると、月明かりの下に、見知らぬ男が一人佇んでいた。

 全身が、ぐっしょりと濡れていた。

 薄い布の服一枚を身に張りつかせ、すっかり青白く染まった肌を浮かび上がらせている。両腕はかんしたかのようにブラブラと揺れ、靴は履いていない。

 顔はうなれていて、よく見えない。しかし、生きた人間ではない、とすぐに分かった。

 Pさんは、ホッと安堵の息を漏らした。

 仲間だ。

「よお、あんたも死んだのかい?」

 気軽に声をかけてみた。

 男は、答えない。

 ただし、黙りこくっているわけでもない。はっきりとは聞き取れないが、何か小声でぶつぶつ言っているのが分かる。

「俺はN村のPだ。あんたは?」

「…………」

 Pさんは名乗った上で今一度尋ねたが、男の様子は変わらなかった。

 やはりぶつぶつ呟くばかりで、Pさんの問いには答えようとしない。

「俺は今、魔王城に行くべきかどうか悩んでるんだが――」

「…………」

「あんたはどうするつもりだ?」

「…………」

 何を言っても同じである。

 しかし、Pさんが肩をすくめて歩き出すと、男も後からふらふらとついてきた。

 どうやら、同行する意志はあるらしい。

 だったらちょうどいい。こんなやつでも死者同士、一緒にアンデッドになってくれれば、自分の罪悪感も和らぐだろう。

 Pさんはそんなことを考えながら、先へ進んでいった。

 そして、ちょうど小さな川の辺りに差しかかったところで、何気なく足を止め、振り向いた。

 ……

 後ろにいる男のすぐ隣に、これまた見知らぬ老人が、すぅっと立っている。

 土気色のしわがれた老人で、やはりすでに死んでいるのが分かる。

 着ている上下の薄い服は、寝間着か何かだろうか。あまり見ない形の服だ。

「よ、よお、あんたいつの間に現れたんだ?」

 Pさんは少し驚きながらも、老人に尋ねた。

 返事はなかった。

 ただ項垂れて、何かぶつぶつ呟くばかりである。男とまったく一緒だ。

「ここを歩いているということは、魔王城へ行くんだよな?」

「…………」

「よかったら、一緒に――」

「…………」

 何を言っても反応がない。Pさんは次第に声を弱め、ついに話すのをやめた。

 それでも再び歩き出すと、老人は男と並んで、後からふらふらとついてきた。

「…………」

 ぶつぶつ呟く声が、背中越しに聞こえている。いったい何を言っているのかまでは、聞き取れないが。

 ――どうしてこの二人は、俺と違うんだ?

 Pさんは足を動かしながら、そんな疑問に駆られた。

 自分は死んだとは言え、意識はしっかりしているし、会話することもできる。しかし後ろの二人は、まるで違う。

 何だか、すでにような――。

 ついそんな想像をしてから、嫌なたとえだ、とPさんはすぐに思い直した。

 そもそも他の死者に会うこと自体初めてなのだ。もしかしたら自分のようなやつが例外で、大抵の死者は、後ろの連中みたいな感じなのかもしれない。

 ――心配するな。同じ死者同士だ。仲間だ、仲間……。

 心の中でそう思いながら、さらに足を進める。

 やがて森に枯れ木が交じり始めたのが分かった。魔王城は近い。

「……もうすぐだな」

 自分がアンデッドになるまで、あと少しだ。Pさんは身構えるような気持ちになりながら、今一度後ろを振り返った。

 ……また、

 小さな女の子が二人、そっくり同じ服装で、老人の後ろに佇んでいる。

 項垂れて、やはり何かぶつぶつと呟いているのも変わらない。

 もっとも、死因は異なるのだろう。二人とも体のあちこちが折れ曲がり、真っ赤な血にまみれている。きっと痛々しい死に方をしたに違いない。

 Pさんは――もう声はかけなかった。

 こちらが黙って歩き始めると、女の子二人も、後からふらふらとついてきた。

「…………」

 ぶつぶつ、ぶつぶつ、と背後から声が聞こえる。

 全員が同じ言葉を呟いているのだろうか。人数が増えたおかげで、何を言っているのか、微かに聞こえるようになってきている。

「……か……」

 本当に、微かに。

「……か……な……」

 声が、また少しだけ鮮明になった気がした。

 Pさんがそっと振り返ると、やはり

 頭がぱっくり割れた青年がいた。

 首の折れ曲がった女がいた。

 骨と皮ばかりの男の子がいた。

 胸の辺りが潰れて肉塊のようになった老婆がいた。

 それが一様に項垂れ、ぶつぶつと呟きながら、Pさんの後からついてきていた。

 ――逃げ出したい。

 思わずそんな衝動に駆られた。

 ――こいつらは明らかに、俺とは

 理屈ではないが、直感がそう告げている。

 だが、その時だ。不意に「おーい」と、耳に覚えのある声が、どこかから響いてきた。

 Pさんが振り向く。と、ちょうど森道の向こうから、誰かが走って追いかけてくるところだった。

 その姿を見て、Pさんは「あっ!」と叫んだ。なぜなら、よく見知った顔だったからだ。

「E! Eじゃないか!」

 それはE君という、隣村に住む青年だった。Pさんとは親交があり、会うたびに一緒に酒を飲んでいた仲だ。

 そのE君が、笑顔でこちらに近づいてくる。どうやら、死者である自分の姿が見えているらしい。

 もっとも、それが何を意味するのか――。Pさんはハッとして、表情を曇らせた。

 E君の見た目は、普段と変わらない。しかしおそらく、すでに肉体は失われているのではないか。

「おいE、お前まさか……」

「いや、それがね、ちょっと酒のトラブルで、やらかしちまって――」

 Pさんがすべてを言う前に、E君は事情を説明し始めた。

 何でも酒場で飲んでいた時に、酔った勢いで他の客と喧嘩になったのだという。

 そして、そのまま勢いで殴り合い、勢いで張り倒され、勢いで蹴られ続け――。

 ……気がついたら、雪の積もった路上で、自分一人が冷たくなっていたそうだ。

 その後埋葬されて魂だけになったE君は、冥界へ行こうかアンデッドになろうかと悩みながら、森を歩いていた。そこへ偶然にも、同じ死者になったPさんが通りかかったため、思わず声をかけた――と、こういう流れらしい。

 それを聞いて、Pさんは安堵した。

 同じ境遇の仲間に会えたことが、とても心強かった。

「これも何かの縁だ。二人でアンデッドになろう」

 Pさんが誘うと、E君も頷いてくれた。もっとも――すぐに彼の視線は、後ろにいる奇妙な連中に向けられたが。

「ところでPさん、この人達は?」

「ああ、こいつらは……いや、気にするな。早く行こう」

 実際のところ、説明のしようがない。PさんはE君を促して、先に立って歩き始めた。

 E君が後に続く。

 さらにその後ろから、あの奇妙な死者達が、ふらふらとついてくる。

「……か……な……」

「……か……な……」

 何かをぶつぶつと呟きながら。

 耳を傾けるな、とPさんは己に言い聞かせた。

 すでに自分には仲間がいる。E君という気心の知れた仲間が。

「Pさん、この人達は何て言ってるんだ?」

 背中越しにE君が尋ねてくる。Pさんは振り向かず、答える代わりに、首を横に振ってみせた。

「ねえPさん、この人達も一緒に来るんだよね?」

 その問いにも、Pさんは首を横に振る。

 もはや、そいつらの同行は必要ない。

「ああPさん、ちょっと待って。この人達が、なんか俺に――」

 ……そこでE君の言葉が途切れた。

「おい、どうしたんだ?」

 Pさんはそう言いながら、後ろを振り返った。

 E君が足を止め、佇んでいた。

 ……だらりと項垂れた姿で。

 ……全身を雪で凍りつかせた、痛々しい死に様で。

 そして、後ろに続く死者達とともに、いっせいに口を開いた。

 ぶつぶつと、声が漏れた。

 しかし今度は、はっきりと聞き取れた。

「……な……か……ま……に……な……れ……」

 全員がそう囁いて、Pさんの方に手を伸ばしてきた。

 E君の指先が真っ先に、Pさんの頬に触れた。

 冷たく、硬い指だった。

 Pさんは悲鳴を上げ、そして逃げ出した。

 森の中を無我夢中で走った。

 気がつけば、魔王城へ向かう道とは逆を辿っていた。

 しかし、戻るつもりはなかった。

 もはやこの世に未練などない。がいる地に留まるなど、まっぴらだ。

 ようやく冥界への門を潜り抜けた時、Pさんは心の底から安堵した――ということだ。

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