第二十七話「灰鼠と病鴉」

                 ◇


「……おい。おい! ああ、くそ。駄目だなこりゃ。……全く世話の焼ける」


 真っ赤に霞む視界の中、聞き覚えのある声が鼓膜に響く。

 右腕を引っ張られ、引きずられるような感覚があった。

 木製の扉の開く音がして、一度そこで意識が途切れる。


「――、」


 カグラギが眼を覚ますと、天井に張り付く火蜥蜴の姿がまず眼に映った。

 雨漏りしそうなボロ屋根の下、簡素なベッドの上で、彼は何とか上体を起こす。


「ようやくお目覚めか」


 声がした方を向くと、壁を背に腕を組む灰髪の男の姿があった。


「……シオン」


 何故お前がここに。何故俺を。

 彼がそんな問いを吐き出すよりも先に、シオンは答えた。


「勘違いすんじゃねえ。おめーを助けたのは、ただの仕事だ」

「……仕事? 依頼主は」


 ぼりぼり頭を掻きながら、シオンは大きく溜息を吐く。


「……あの赤毛のバカガキに決まってんだろ。もしお前が公開処刑の日に現れたら、見張って手を貸せとかなんとかよ」

「……受けたのか。お前が。そんな依頼を」

「は。まさか。いくら大金積まれたって、お前らみたいなバカの手助けなんざ割に合わねえよ。だから前金だけ貰って、後はとんずらぶっこく気でいたんだが――」


 そこで言葉を切って、シオンはついと視線を逸らす。


「――どうにも急に、残りの金が惜しくなってな。職にありつくのもおぼつかねえこのご時世だ。金払いがいいバカに、媚び売っとくのも悪くねえと思ってよ。……。ところで、あの馬鹿ガキはどこ行ったんだ? 仕事は済ませたんだ。さっさと残りの金貰っておさらばしたいんだが」


 苦々しく、カグラギは呟く。


「……死んだ。俺を庇って」

「は? ……マジ、かよ。じゃあ、あん時傍に居た……ああ、クソ」


 舌を打ち、シオンは髪をぼさぼさと掻きむしる。


「……悪いな、シオン。残りの金は俺には払えない」

「んなこと分かってるっつの。で、……どうすんだ、お前。これから」

「……状況次第だ。あれから、どれくらい時間が経った?」

「半日、ってとこだな。処刑は明日まで持ち越しだってよ」

「……なら、その前に囚人を助け出す」

「おいおい。まだ治ってねえだろ馬鹿。ちょっと大人しくしとけ。内臓はみ出んぞ」


 よろよろと起き上がろうとするカグラギに、シオンは薬草水の入った瓶を投げ渡す。探索者の間で古くから用いられる、鎮痛と治癒促進の効果がある高級品だった。


「大体、助けるって、どうやって助ける気だ? 言っとくが、囚人どもが捕らえられてんのはこの街の真ん中、でっけえ川の上にある聖堂島だ。橋の上にゃ当然厳重な警備が敷かれてる。結界が貼られてる以上、川から泳いで行こうったって無駄だぜ」


 結界。地下迷宮から汲み上げた膨大な魔力によって顕現するそれは、あらゆる侵入者や攻撃を拒む魔法の壁であり、迷宮都市の最大の利点でもある。


「……シオン」

「あ?」

「いくつか確認したいことがある。……この街の地下には、迷宮があるな?」

「そりゃあるに決まってんだろ。ヴァン・ディ・エールほどじゃねえが、クソでけえのがな」

「囚人が捕らえられているその島は、教会の中枢なんだろう。だとしたら」

「……ま、いくらお前でもそれくらいは気づくか。ご名答。聖堂島は地下迷宮と繋がってる。地下の結界は魔物避けだけってのが最近のセオリーだが、実際どうかは」

「……それだけ分かれば十分だ。ありがとう」


 カグラギは今度こそ起き上がり、無造作に床に放られた装備を身に着けていく。

 外套を羽織り、部屋を出ていこうとしたところで、シオンが呼び止めた。


「おい。一つ、聞きてえんだがよ。……昼間の化け物。ありゃ一体何だ? 見間違いだと思いてえんだが、あいつは、確か」


 大崩壊のあの日。大穴が空いた海上都市、崩れゆくヴァン・ディ・エールの上空に。アレによく似た怪物が空に浮かんでいたのを、彼ははっきりと覚えている。


「……似ているが、関係性は分からない」

「勝算はあんのか。連中はどうせ、迷宮の中にも警備を強いてる。そこに駒を置くとしたら、あの化け物だろ。……昼間みてえなザマで、お前アレに勝てんのかよ」

「……分からない。だが、やるしかない」


 言った途端、シオンはカグラギの胸倉を掴み、思い切り壁に叩きつけた。 


「……テメェ、死にに行こうってんじゃねえだろうな。あのガキが死んだっつう、糞くだらねえ感傷で。勝算がねえ、だ? 馬鹿も休み休み言えよ。アイツがなんでお前を庇ったのか、」

「シオン」


 覇気のないその表情は、微かな命にしがみつく病人のようだった。


「分かってる。……だがあそこには、アガタが居る」


 だから今行かないと。今度こそ、俺は。

 怒りに歪んだシオンの口元から、表情が消える。掴んでいた胸倉を、静かに離す。


「……クロト」


 そしてシオンは、不意に彼の古い名前を呼んだ。名を持たない孤児たちのグループの中で、彼が”灰ねずみシオン”と呼ばれていたように、”病み鴉クロト”と呼ばれていた彼の名を。


「あの街を覚えてるか。あのクソみてえな、ヴァン・ディ・エールの貧民街を」

「……」


 覚えている。忘れるはずがなかった。昨日の事のように思い出せる。まだあどけなかった目の前の男も。なぜか自分のことを好いていた彼の妹も。地獄から抜け出そうと藻掻いていた、少年達の事を。


「俺はな、お前の事が大ッ嫌いだ。馬鹿で、間抜けで、クソがつくほどのお人好しで。力だけが取り柄のくせに、肝心な所で役に立たねえ。だがな、それでも」


 大嫌いなはずの感傷の言葉。言いたくもない臭い台詞。

 喉元までせり上がったそれを、彼は飲み込みかけて、――結局は吐き出した。


「……それでもお前は、俺達の誇りだった。掃き溜めみてえな場所で育って、ボロ雑巾みたいに使い捨てられる糞餓鬼共の、――希望の光だった」


 強欲な女衒。腐った聖職者。傲慢な探索者。子供を食い物としか思わない、下衆な大人共。そんなモノが支配する街を、定められていた理を、物知らぬ狂獣が如くに、彼は蹂躙し尽くした。力のない少年達にとってそれは何と胸糞が悪く、同時に、溜飲の下がる光景だっただろうか。


「分かるか。妖刀使い。お前がどう生きようが知ったこっちゃねえ。だがテメェが死んだら、何もなくなんだよ。あいつらの思いも、何もかも」


 嫉妬する者も居れば、羨望する者も居た。みな、あの日に消えてしまった生命。

 だが誰もが、あの日。独り戦う彼の姿を見て、誇りに思っていた。

 あいつは確かに、俺達のすぐ傍に居た――俺達の街の男なのだと。


「だから、いつまでもそんな、情けねえツラ晒してんじゃねえ。……やるなら絶対に勝て。世の中のクソ共に、思い知らせてやれ」


 言うとシオンは、壁の隅に置いた背嚢から、包帯でくるんだ物体を投げ渡す。

 短剣ほどの大きさ。受け取ったモノの正体を、カグラギは直ぐに理解した。


「……まさか。これは」

「どう使うかのかは知らねえ。考えたくもねえ。だが俺はあの時はっきり見た。あの化け物を殺したのは誰なのか。あの街で一番の化け物は、誰だったのか」


 ぶっきらぼうに、シオンは言う。


「お前だろ。ヴァン・ディ・エールの妖刀使い」


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