第二十六話「妖刀と魔剣」
◇
正午の鐘が鳴り響くと広場で歓声が上がった。シャルマーニュの首都パルティア、その中州にある《聖堂島》の鐘の音は罪人の護送が始まる合図。行商達はいそいそと店を畳み、子供達は罪人に投げつけるのに手ごろな石を拾い集めだす。群衆はみな待ち切れないといった様子で広場から延びる一番の大通りに駆けていった。
今日の公開処刑はこの夏最後の大一番といっていい催し物だった。広場の中央には巨大な木製の人形が屹立している。職人がこの日の為にこしらえたこの人形は堅い木と藁で丹念に組まれておりその胴体には空洞が空き、格子扉がついている。各地から集めた魔女達をあの巨人の腹に閉じ込めて一斉に火に掛けるという触れ込みだった。
そんな活気に満ち犇めく人の波の中で、ただ一人沈鬱な面持ちの男がいた。朱色の外套に身を覆ったその男は、何かを探すように、その足と視線を移ろわせている。
カグラギだった。衆目を集める黄鉄笠は今は外套の下に仕舞い込んでいる。
ここに来た目的は他でもない。探し人であるアガタの捜索であった。
三日前にこの首都に辿り着き、朝から晩まで街を練り歩いて情報を集めたものの、未だ手掛かりは何も見つかっていない。
(……残る、手掛かりは)
今日の公開処刑の為に集められた罪人の中に、彼女が居るかどうか。
最大の可能性にして、最悪の状況。願わくば、全てが杞憂であってほしい。
(……それにしても)
グエン。あの喧しいカラスは一体どこへ行ってしまったのか。これまでも気まぐれに姿を消すことはあったが、もう半月の間その姿を見かけていない。小屋で目覚めた後の、前後の記憶がない不可解な状況の説明について尋ねたかったのだが、居て欲しい時に居ないあたりあの鴉らしい。
それとも、何かまた企んでいるのか。何気なく、彼が青天を仰いだその時。
(……?)
不意に軽い吐き気と、立ち眩みを催す。熱狂する群衆の汗と体臭によるものか。否。不快感の正体はそれだけではない。この、妙な胸騒ぎには覚えがある。辺りを見回す。違う。そこではない。ならば何処だ。この首筋を伝う冷たい汗の正体は。
感覚を研ぎ澄ませる。違和感の正体は、背後。そして上だ。
眼に入ったのは天高く屹立する時計塔。
その屋根の上、群衆を不遜に見下ろす――黒騎士の姿。
(なん、だ?)
ぞくり、と全身に鳥肌が立つのを感じた。迷宮での生活で身についたその感覚はまさに「死の予兆」を示すものだ。挑めば死ぬ、決して正面から相手取ってはならない。そんな強敵と相対した時に全身を駆け巡る、凍るような怖気。
なんだ、あの化け物は。あれが《魔女宗》の手先なのだとしたら――不味い。今ここで騒ぎを起こせば間違いなくあれはこの場に降りて来る。そうなれば最後、誰の手にも負えるものではない。
「オオオオオ!」
群衆から歓声が沸き上がる。大通りに視線を移すと十字架を掲げた司祭と聖堂騎士の隊列が見えた。ゆうに五十を超える数の騎士達が厳重に罪人を取り囲んでいる。隊列が広場の入口付近に迫ると、民衆は罵声と共に各々が持参した物を放り投げていく。石ころ、腐った果物、馬の糞。騎士達は十字紋の盾を構えて自分の身を守った。
一団が広場の中に入った所で、ようやくカグラギは捕らえられた罪人たちの姿を見ることができた。その数は男女合わせて十四人。意外と呼べる程に少ない人数。
しかし、眼を見張った。ぼろ布を着た罪人達。――その中に。見知った顔がある。
「……アガタ?」
それは、彼が探し続けていた人物そのものだった。
眼を疑った。その姿が、あまりに変わり果てていたから。艶の無い漆黒の髪。褐色の瞳。そこまでは記憶と一致する。だが、ただでさえ痩せていたその身はもはや骨のように痩せ細り、ずっと伸ばしていたはずの長髪が無惨に刈り取られていた。
(……くそ!)
罪人の列を追いながらカグラギは人混みを掻き分けてゆく。そして列が広場の時計塔の前を横切ろうとした時。――異変が始まった。
「な、なんだ! あれは!」
群衆がどよめく。どこからともなく飛来した火の矢によって、広場の中央にある木製の巨人が猛烈な勢いで燃え上がったからだ。異変は続けざまに、罪人を護衛する騎士達の半数が突如として抜刀し仲間を襲い始める。女たちの甲高い悲鳴が上がり、広場は大混迷に陥った。
人の波に押されながらカグラギは混乱の中心に向かった。その刹那、死神が笑うような恐るべき心象が脳裏を過ぎる。見上げた時にはもう、遅かった。
「え? ……」
人々はみな一様にそれを見上げていた。
太陽を背にして飛翔する黒騎士の姿。
そして――半ばから崩れ落ちる巨大な時計塔の姿を。
轟音が響く。塔が地面に倒れたその瞬間、世界は凍りついたかのようだった。人々は夢でも見ているかのような表情で呆然と眼を剥く。だがやがて、塔の瓦礫の下敷きになって動かなくなった人々の姿が目に入ると、彼らはその光景が現実であると認め、正気を取り戻した。
――もっとも。
「うわああああああああああああああああ!!」
次の瞬間にはまた正気を失うことになった。我先にと、蜘蛛の子を散らすように群衆は逃げ惑う。老人を押しのけ、転んだ子供を踏みつけ、服を引っ張りあいながら路地の方を目指してゆく。だがその流れは鈍重に滞っていた。さながら小さい巣穴に逃げ込む鼠の群れのように。
「おう。さっさと逃げろよ雑魚ども。仕事の邪魔だからな」
折れた時計塔の瓦礫の上に軽々と着地しながらキーラはそう言い放った。その横には紫紺に煌めく光の剣が二本、浮かびながら追従している。破壊の魔力を圧縮して剣の形を取ったそれこそが、あの塔を寸断せしめたもの。
かつて《闇の覇王》と呼ばれたエルフの王の《魔剣》そのものだった。
「さてどうする、か」
覆面兜の顎に手を添えながらキーラは悠然と思案する。塔を倒したのは特に何か意図があったわけでもなく、単なる思いつきだった。地上の様子がおかしいと見て、そろそろ出番かと思っただけの事。任務は妖刀使いと異端の魔女の捕獲あるいは討伐とのことだが、それがどういった姿なのかはまったく聞き及んでいない。というか、忘れた。さて、どうしたらいいのやら。
何ゆえか動かない黒騎士の姿を視界に置きながら、カグラギは騎士達が争う混乱の中に踏み入り、膝をついて震える罪人達の元に駆け寄っていく。
「アガタ!」
カグラギが探し人の名を叫ぶ。しかしそれは騒ぎに掻き消されて届かなかった。
「あー、まあ、いいや。とりあえず――邪魔なの全員ぶっ殺すか」
キーラは思考を止めると、揉み合っている騎士の群れに視線を移し右手を翳した。刹那、傍らに浮かんでいた二対の魔剣が中空を駆け、着弾地点で激しい閃光を伴いながら炸裂する。さながら榴弾が放たれたかの如く、一瞬で十人もの騎士が半身を失い無惨な肉塊へと変じた。
「ひっ……ひい!! な、なんだ!?」
「あ、あれだ、あいつだ! 空から降ってきた――魔女だ……魔女だ!」
騎士達の半数――暴れ出した仲間の鎮圧に当たっていた彼らは慌てふためき、みな武器を放り出して逃げ出していく。
「……、そういや」
相棒の言葉をキーラは思い出す。
妖刀使いと異端の魔女の目的、それは確か罪人の救助だったはずだ。であるならば、相棒と同じことをすれば奴らは姿を現わすのではないか?
大きく跳躍するとキーラは一か所に固まる罪人たちの目の前へと着地した。
若い女が五人、老いた女が三人、男が二人。残りは亜人種。
全員ボロ布を着て手枷を嵌められている。
「ふうん。じゃあまあ、とりあえずお前でいいや」
「ひ、ひい――!?」
キーラは罪人を一瞥するとその中の一人、左端に居る恰幅のいい中年の男を指差した。次の瞬間、男の上半身は跡形もなく吹き飛び、大量の血液を傍に居る罪人たちに撒き散らした。
「きゃああああああああああああ!!!」
すぐ横に居た若い女が叫び声を上げる。
「うるせえ」
キーラがそう言うと同時に、若い女の頭の上半分が飛び散った。それを見た罪人達は叫ぶのを止めて震えあがり、身を寄せ合う。とうに死は覚悟していたはずだった。しかしそれよりも今眼の前にいるモノが恐ろしくてたまらなかった。
「さて。……おォい! 見てんだろ! 妖刀使い! さっさと出て来い! じゃねえとこいつら全員喰っちまうぞォ!」
強圧的な声でキーラは高々にそう叫ぶ。この騒ぎの中にあってもその声は実によく通った。しかし、誰も一向に現れる気配はない。群衆は広場の中心から遠ざかるばかりである。
「ち。腰抜けが。なら、こいつら一人ずつぶっ殺して――」
罪人達にキーラが片手を挙げたその瞬間、後方から一本の短矢が飛来した。
「……あ?」
だがそれは届かなかった。風を切る速さで放たれた死角からの一撃を、キーラは振り向きもせずに無効化した。その矢を切り払ったのは無論、彼女の魔剣。それは使い手の意志に依らず、近寄るものを察知して自動的に防御を行う。
罪人達が怯えて眼を閉じる中、眼を開けていたアガタだけがその姿を見る。
「……クロ、ト?」
まるで遠い日の幻を見るかのように、その瞳は微睡んでいた。キーラが背後を振り返るとそこには、十字弩を放り捨て、カタナを抜き放つ一人の男の姿がある。
「――何だ、テメェは」
「――妖刀使い」
「――へえ。お前が。それにしちゃ、つまらねえ手を使うんだな」
キーラが叩き斬った短矢の残骸を踏みつける。
「ま、何でもいいや」
ごきり、とキーラは首を鳴らすとカグラギの方へと一歩進み出る。
「これだけ勿体つけさせたんだ。……ちったあ楽しませてくれよ、なァ!」
その台詞が、開戦の合図だった。
キーラが右手を翳すのと、カグラギが身を屈めて黄鉄笠を構えるのはほぼ同時。飛来した魔剣が激突の直前で爆風を伴って炸裂する。盾にした黄鉄笠は飛び散る刃の破片を防いだが、衝撃までは殺せない。まるで巨人に殴られたかのようにカグラギの細い身体は弾け飛ぶ。
「そら、どうした!」
瞬時に、もう一本の魔剣が追撃として放たれた。辛うじてカグラギはそれを鉄笠で防ぎ、弾き飛ばされて地面を転げ回る。血飛沫が舞い、石畳を赤く染め上げた。
「――く、か」
そして、それきり。カグラギは立ち上がれなかった。
二撃。たったの二撃である。しかしその身体には死に瀕する程の重傷が刻まれた。防御が適ったのは頭と胸だけ。手も足も破片の及ぼした裂傷によってズタズタに斬り裂かれていた。
ゆえに勝負は既に決している。――《妖刀使い》の敗北として。
当然の帰結だった。正真正銘の《魔剣》を持つこの怪物と相対した時点で、彼には一糸一毫たりとも勝機はなかったのだから。
「おい、おい。ウソだろ?」
キーラが呆れたように肩をすくめる。
「今のはほんの挨拶代わりのつもりだったんだが。……何だよ。そのザマは」
彼女がこれまで相対し、一撃で葬ってきた敵達に比べれば、生き残っただけでも褒めるべきところなのだろう。しかし戦いにすらなっていない。これでは期待外れもいいところだった。
「立てよ。まさか、これで終わりじゃねえだろ?」
指をくい、と立ててキーラは挑発する。地面に這いつくばりながら、カグラギは何とか上体を起こす。しかし、それだけだ。足が痙攣し、彼は再び地面に倒れ伏す。
「……ふざけてんのか? お前。……なあ」
カグラギは答えない。もう身体がいう事をきかなかった。
ぷつり、と。張り詰めた糸が切れるような感覚がキーラの脳裏をよぎる。
「てんで話にならねえ。イラつくんだよお前。……もう、消えちまえ」
重々しくそう言い放つと、キーラは右手を翳す。
「待て、キーラ」
しかし、聞き覚えのある声に動きを止めた。
振り返るとそこには、手下を引き連れた相棒の姿があった。
「は。おいおい。表に出てきていいのかよ異端審問官。今のオレは魔女って扱いなんだろ? 一緒に居るところ見られたら不味いんじゃなかったのか」
「緊急事態だからな。貴様一体どういうつもりだ? 塔を倒すなど一体何を――」
「ああ? んなこたどうでもいいだろ焚き火野郎。元はと言えば手前が――」
両者が口論を交わしているその隙に、仮面の男が引き連れてきた黒頭巾の部下達の内の一人がカグラギの元へと駆け寄ってゆく。そして、そっと右手を翳した。
「……?」
霞む視界の隅に暖かな呪文光が灯る。治癒の呪文だった。仮面の男達から見えないように、黒頭巾の女は傷ついた男を癒す。
「しっ」
カグラギが顔を挙げると黒頭巾の女は口元で人差し指を立てて沈黙を促す。
そして仮面をつけた顔を近づけると、彼の耳にひっそりと囁いた。
「あたしが時間を稼ぐ。その隙に、逃げて」
――直後。
「おい、そこ……勝手に何してやがる!」
異変に気づいたキーラが右手を翳す。
「あ、……」
飛来した魔剣が、カグラギの傍に膝をつく黒頭巾の女の胴体を深々と刺し貫く。
「――、」
ぐしゃり、と。黒頭巾の女は血だまりの中に倒れ伏した。落下の衝撃で仮面が外れ、隠されていた相貌が露わになる。横たわるその少女の顔を、カグラギは見た。
(――、ああ)
黒髪の、整った顔立ちの女だった。知っている顔ではない。
だけど、見覚えがあった。
勝気そうに微笑えむ口元に、険く歪めたその目つきに。
そう。そんな風に、笑うのだ。彼女は。
今もそう。口と胸から大量の血を零しながら、彼女は微笑んでいる。
からかうように。あざけるように。何か、大切なものを見るように。
「リーゼ、ロッテ……!」
血反吐を零しながら、カグラギは彼女のもとに這い寄り、力いっぱい抱き起こす。
「……ごめん。術式、保てなくて。……思い出させちゃった、ね」
「喋るな! 傷が、――」
言葉が出なかった。
腹に空いた大穴は、今こうして生きているのが不思議な程だった。
「……何故、俺を庇った」
「……あはは。何か、身体が勝手に動いちゃってさ」
「……何故、あの時、」
「……それは騙されるアンタが悪い。でしょ?」
軽口を叩く一方で、目の焦点はもう合っていなかった。
苦渋に満ちた男の顔から、ぽつりと一筋の涙が零れ落ちる。
「……ふふ。ちゃんと泣けるんだ、カグラギって」
「……黙れ」
「……やだ」
そっと、少女は彼の涙を指で拭う。
「……ねえ、カグラギ。……もっかい、あたま、撫でてくれる?」
「……」
言われるがまま、彼は少女の頭を優しく撫でた。
少女は赤ん坊のように微笑むと、弱弱しい声で言う。
「あたしね、幸せだったよ。……だから、カグラギも、」
――いつかちゃんと、幸せになってね。
「……リーゼロッテ?」
少女はもう眼を閉じていた。眠るように、安らかに。
刹那、放たれたもう一本の魔剣が、少女を抱き抱える男の背中を刺し貫く。
そして男は、力なく。少女の流す血の海に沈んだ。
「……終わりか。呆気のない幕切れだ」
仮面の男が呟く。低い声色に、俄かな憐憫を帯びさせながら。
「は。クソつまんねえ任務だった。おいピエール。もう帰っていいか?」
「黙れ。任務はまだ終わっていない。とにかくお前は今すぐにこの場を離れろ。後で追って連絡する」
「へい、へい」
ひらひらと手を振ると、キーラは天高く跳躍して、一瞬の内に広場を後にする。
その、直後だった。目の前に導火線のついた筒が地面に転がってきたかと思えば、白い煙が猛烈に噴き上がり、広場中を濃密な霧で包む。
「……この煙は、まさか」
咽込みながら、ピエールは銃を構える。間違いなく、あのヴァロワの時に妖刀使いが使っていた爆薬――否、あの時のものよりも遥かに強力だった。強烈な刺激臭が鼻を突き、眼を開けられないばかりか、吐き気を催す。実際、何人かは反吐を散らしてのたうち回っていた。
「……成程」
仮面の下の、口元が綻ぶ。
「相変わらず、しぶといことだ」
煙が晴れる頃には、妖刀使いの姿は掻き消えていた。
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