第十九話「公開処刑」

                 ◇


 ヴァロワ。シャルマーニュの最北領ノルディアの首府である。羊毛産業と生地作りで有名な街として知られるこの街は古い宗教都市としても有名だ。司教区にある大聖堂と英雄広場を見下ろして聳え立つ大鐘楼は街の象徴であり職人の手による緻密な彫刻が施されている。 

 その街の、入り組んだ路地裏の中に。看板の無い店がある。鍵が常に閉まっているその店の扉は決められた時間に決められた回数で叩く事で内側から開かれる。

 首府と呼ばれるほどの大都市には必ずといっていい程に存在するその店は《コルボー商団》を名乗る一団が経営している。

 謎めいたその商団について、知る者はそう多くはない。カグラギが扉を叩いたそこは通常間違っても入りこむ事はできない隠された場所であった。


「――いらっしゃいませ」


 薄暗い店内は埃っぽく、噎せ返るような奇妙な匂いが充満していた。漂う煙は異国の香の類であろうか。棚には得体の知れぬ生物の瓶詰や薬の材料らしきものが並び、壁や天井にはこれでもかという数の武器防具が犇めきあっている。そのどれもが異国から取り寄せた品々でありこの西方ではまずお目にかかれないようなものばかりだ。


「おやおや。誰かと思えば。《妖刀使い》の旦那じゃあないですか。お久しぶりですねえ。いや噂にゃ聞いてたんですがね。本当に生きてらっしゃるとは」


 ぬめるような声で店主は来客を迎え入れた。

 いつ来て見ても面妖な場所だと、カグラギは思う。

 店の主は全身を余す事無く黒装束で覆い隠し、唾広の帽子に鳥の嘴のようなマスクを身に着けている。一昔前の鴉医を彷彿とさせるその恰好は、《コルボー商団》における制服のようなものらしく、どの街に行っても店主の姿は代り映えがしない。マスク越しのくぐもった声や口調、店内のごちゃつき具合にしても限りなく似通っていて、この店の入口は全て同じ場所に通じているのではないか、店主の彼らはひょっとしたら同一人物ではないのかとカグラギは思う事がある。


「今日は何がご入用で?」

「《雷火》を五つ。纏めてくれ」

「へい、纏めでね。お安い御用で」

 

 店主は一度店の奥に去るとやがて導火線のついた筒を五つ運んできた。それは地下墓地であの魔神を打ち砕いたあの爆薬と同じ品である。

 一つでも直撃すれば人体をバラバラに吹き飛ばす程の威力を持つ爆筒を、店主はカグラギに言われた通りに接着して一塊に纏めた。


「それと――《煙》はあるか?」

「《煙》ですか。ありゃ今とんと供給がなくてねえ。ちいとばかり値が張りますよ」

「金ならある」


 言うとカグラギは店主との間にある卓の上に革袋を放った。ずっしりと詰まった中身を見ると店主はひへ、と奇妙に高い声を漏らす。その中には一目では数えきれないほどの銅貨と、金貨が十と数枚、そして一際眩い輝きを放つ銀貨が三枚。

 あの夜、異端の魔女が彼の荷物の中にひっそり残していった金貨袋だった。


「こりゃあ景気の良い事で。ええ。ええ。これなら十分ですとも。それじゃ銀貨三枚で《煙》が三つ、《雷火》は一つにつき金貨三枚でお売りしましょう。どうです?」

「それで構わない。両替も頼めるか」

「はい。では少々お待ちを」


 差し出された革袋を受け取ると店主は店の奥に下がる。手持ち無沙汰になったカグラギは退屈凌ぎに店内の物を見て回ることにした。


 ――棚の上、瓶詰の液体に浮かぶ目玉と眼が合う。相変わらず何に使うのか見当もつかない。錬金術は少し齧っているが奥が深い。

 ――そういえば手持ちの毒が残りが少なかった。しかしわざわざ買うほど必要でもないだろう。その気になれば自分で作れる。

 ――並べられた武器を眺める。目新しい物は無いが、やはり見ていると新しい物を試したくなる。……やめておこう。これ以上増やすわけにはいかない。


「……これは?」


 ふと、無造作に積み上げられた木箱が目に留まる。その一番上は蓋が外されていて中身が見て取れた。一言で言うならそれは、木と鉄で出来た筒だった。全長の七割が木の棒でその先端が鉄の筒。


「ああ、さすが旦那。お目が高い。そいつぁ《火槍》ってんで。東の大国から仕入れた品でしてね。火薬を詰めてその筒から鉛の弾を飛ばすんでさあ」


 店主曰く、一番上の箱のそれは旧式のものであるという。最新式はこれだと言って腰元にぶら下げていたものを卓の上に置いて見せた。持ちやすそうな木製の握りがついたそれは箱の中のものに比べるとだいぶ小さく片手で持てる大きさで、引き金らしきものが加えられている。ドワーフの鍛冶と人間の職人による合作であり、改良を重ねる内にこの形に洗練されたのだという。


「おっと見た目に騙されちゃいけませんぜ旦那。こいつ――《銃》ってあたしらは呼んでるんですがね。威力に関しちゃなかなかのもんですよ。鉄の鎧くらいなら簡単にぶち抜ける。ま、旦那の鉄笠みたいな迷宮由来の金属はちょいと厳しいかもしれませんがね。せっかく仕入れたのはよかったんだが、どいつもこいつも弩の方が使えるってんで全く売れやしねえ。でもついこないだ妙な仮面を着けた貴族風の旦那がいたく気に入ってくれましてね。二、三丁買っていきましたよ。旦那も一丁いかがです?」


 カグラギは手に取って銃をじっくりと眺めてみる。筒の中に火薬と弾丸を詰めた後、引き金を引くことで火縄と呼ばれる点火装置が働き、筒の中で爆発を引き起こす。その威力を利用して弾を飛ばす仕組みだと店主は説明した。

 火種を確保し続ける必要があるのは確かに難点だが、自分に限っては火蜥蜴の助けがある。携帯性と連射性を鑑みれば、今使っている十字弩に比べ、確かに使い勝手は良さそうに思えた。……だが。


「高いんだろう」

「ええ、まあ。《煙》は買えなくなっちまいやすねえ」

「なら、要らん」

「さいで。……それじゃ《雷火》五つに《煙》三つ。確かに」


 すっかり軽くなった財布と爆筒をカグラギは懐にしまい込む。――予想していたとはいえ高い買い物になった。毎度の事ながら足元を見られているような気もする。本来なら値切るか文句の一つでもつけるべきなのだろうが面倒な取引相手と見れば二度とこの店には入れなくなるだろう。如何わしい商団だが自分にとっては数少ない頼れる伝手だ。金に糸目をつけてこの関係を不意にしたくはない。そんな客側の心情を見抜いたのか、店主は黙って去ろうとするカグラギを引き止める。


「おっといけねえ。忘れる所だった。これをどうぞ。旦那との再会と日ごろの我が商団に対するご愛顧に感謝を込めて、心ばかりの贈り物です」


 店主に強引に押し付けられたのは購入した爆薬と同じ形状をした筒だった。曰く《煙》と同じ製作者による新作で、より強力な効果を持つらしい。


「それでは今後もご贔屓に。――妖刀使いの旦那」


 片手を軽く挙げて返事を返すと、カグラギは足早に店を出た。

 曇天を見上げる。見た目には今にも何かが降り出しそうな雲だが、不思議と雨の気配はない。――そういえばあのお喋りな鴉は、何処へ行ってしまったのだろうか。           

                 ◇


「ふむ。……壮観だな」


 やはり高い場所はいい。大鐘楼に昇りつめたピエールは仮面の下で眼を細めた。眼下にある広場はもはや地面が見えぬほどに人で埋め尽くされている。自らの場所を求め寄せては返す人の波、ともすれば地獄とはああいった場所の事を差すのではないだろうか――そんな事を男は思う。彼らは自分たちが見下ろされている事など彼らは知りもしないのだろう。そしてこれから行われる事の意味を彼らは何一つ理解しないのだ。その何と度し難く、哀れなことか。


「審問官殿」


 鐘楼を駆け足で昇ってきた聖堂騎士がピエールに呼びかける。


「首尾は?」

「都市魔術師の結界は問題なく起動しました。街の門は閉鎖中、主要な街道に衛兵を配置、探索者達には路地裏を見張らせ、《使途》達も群衆に紛れさせております」


 ピエールは頷く。これで処刑が終わるまで誰も街から出られないだろう。これこそ大司教の口添えがあってこそ可能となる大掛かりな作戦だった。


「よろしい。……ところで。あの女は見つかったか?」

「は――キーラ殿ですか。それが未だに行方が知れず」


 昨晩、少し出掛けて来ると言ったきりキーラは戻ってこなかった。大方どこぞの娼館で遊び呆けた挙句に大酒を喰らって眠りこけているのだろう。時折あれは自分の神経を逆撫でする為に生まれてきたのではないかと、ピエールは思う。

 だが好都合でもあった。キーラは強大な戦力には違いないがしかし扱いきれるものではなく不確定要素が多すぎる。何せあの女なら気分一つであの広場を火の海にしかねないのだ。もし、そうなったらおしまいだ。相棒を御しきれず街を火の海にして自分も火に掛けられる《焚刑》のピエール――笑い話もいいところだろう。


「もし見つけたらその場に待機だと伝えろ。何としてでもその場から動かすな」

「……はっ、しかし――」


 審問官は言い淀む。無理もなかった。何故ならば無理な話だからだ。


「もし仮に、あの女がここに現れた場合。君の家族の首も飛ぶと思え。以上だ」


 そう焚きつけると、聖堂騎士は顔を青ざめさせて、火がついたように飛んで行く。


「……さて、そろそろ主役のご登場か」


 広場の人波がうねりをあげる。古い聖書の逸話の如くに海が割れ、そこに道ができてゆく。進むのは槍を掲げた聖堂騎士と、鎖に繋がれた《魔女》達。人々にとっては彼らこそが待ち焦がれていた主役。だが仮面の男にとっては違う。


「さあ来るがいい。――異端の魔女よ」


 お前が正義を掲げるならば、今日がお前の最期の日となるだろう。


               ◇  

          

「嘘、でしょ……?」


 広場に現れた罪人――魔女の数はたった二人だった。揃いの黒髪は母娘、であろうか。着せられたぼろ布の破れた箇所から覗く肌は土気色であり、生々しい拷問の傷の跡が見て取れた。両者共に、もはやその表情に生気は失われている。

 だがそれでもリーゼロッテには解った。その人の顔が、髪の色が。

 忘れようもない鮮烈な記憶として刻まれていたから。


(ふざけ、やがって……!)


 見間違えるはずもない。あれは――確かに八年前、自分が指輪を渡したあの母親だ。ならばあの娘はあの時の赤ん坊なのか。でも何故、あの母娘が? まさか自分の素性が敵に見抜かれたのか? まさか、そんなはずはない。

 単なる偶然。なればこそ、運命的な再会に思えた。これはかつての自分の行いが無駄ではないと証明する為の機会だ。己の全てを懸けてでも、あの母娘を救わねばならない。リーゼロッテは意を決すると姿を薄め、人混みの中に潜り込んでいった。


「…………」


 カグラギは人混みを掻き分けながら広場の中心にある焚刑台に近づこうとしていた。一通り辺りを見て回ったものの、異端の魔女らしき人物は見つからない。姿を変え、透明になれる魔女を見つけられる道理もなかったが――罪人を救おうとするならばその近くに行くはず。安直な発想だが今すべき事はこれしか思い浮かばなかった。

 カグラギが広場の中心近くまで辿り着く頃には、二人の罪人は既に焚刑台に縛りつけられていた。こうなればもう、いつ火に掛けられてもおかしくはない。


「失礼――」


 カグラギは最前列に陣取っている大工風の大男に声を掛けた。しかし反応がない。……聞こえなかったのだろうか? カグラギは男の肩に手を掛ける。


「すまない。横を開けて――」

「あ、う? ご」

 

 振り向いた大男は白目を剥きながらそう答えた。呂律の回らない口元からは涎が落ちている。酒に酔っている様子でもない。……どう見ても異常だった。

 まさか。思った瞬間、人の海がどよめき、あちこちで女の悲鳴があがる。


「う、ア。ああああアアあああああアア!!!」

 

 大男は狂ったような叫び声を挙げると隣に居た職人仲間らしき男を担ぎあげ、火刑台を取り巻く聖堂騎士の一団を目がけて投げ飛ばした。そしてそのまま火刑台に向かって突っ込むと、同じように体格のいい者達が次々と群衆の中から飛び出して広場の中心に殺到する。


「な、なんだ貴様らは!」

「早く取り押さえろ! 魔女の仲間だ!」


 あっと言う間に広場は大混乱に陥った。火刑台の周囲などはもはや乱闘もいいところだ。聖堂騎士達は武器を抜き放ったはいいが暴徒と化した民衆にそれを振るって良いかも分からず盾を構えて壁を作り、押し合っている。

 疑いようもなく、異端の魔女の仕業に違いなかった。この騒ぎに乗じて罪人を逃がそうとする腹積もりだったのだろう。――だが、失敗だ。事は明らかに上手く運んではいない。恐らくは操っている人数が圧倒的に足りていないのだ。聖堂騎士達だけを相手取るならそれで足りていたかもしれないが、暴徒の何人かは民衆の男達に取り押さえられている。勢いよく飛び出していった大男達も、聖堂騎士の盾の壁と民衆の加勢に阻まれ火刑台までは辿り着けていない。

 騒ぎが収まるのは、もはや時間の問題だった。


(……終わりだ)


 こうなればもう。どうする事もできない。かつての自分がそうだったように。

 三年前、同じような事を何度もした。だがついに一度も、カグラギはあの火刑台に繋がれた人々を助ける事はできなかった。あの魔女の能力は確かに驚異的だ。故に、もしやとも思った。だが結局は届かない。

 そう。きっと。――届かないようにできているのだ。


「……、」


 カグラギは拳を握りしめたまま立ち尽くす。

 無駄だ。無意味だ。早くこの場を去れ。去ってしまえ。口から零れそうになる呟きは、少女への、かつての己への警告か。あるいは、未だ燻る思いへの。


「…………、」


 ふと、火刑台の罪人と眼が合った。

 光を失くしたその瞳の奥に、

 ――生きたいと。――死にたくないと。

 微かな希望を、彼は幻視する。


(……馬鹿な)


 カグラギは吐き捨てる。

 それは。そんなものは。――手前勝手の妄想に過ぎない。

 しかし、眼の前に広がる現実を受け入れられない自分が居るのもまた事実だった。

 憎い。ただ憎いと、そう思う。何も知らない民衆が、裏で糸引く魔女共が、因果の釣り合わぬこの世の理が。……彼が、彼女達が、一体何をした? 何をしたというのだ。誰に傷つける権利がある。誰に奪う権利がある。こんな世界が、正しいのか。

 憎悪、怒り。止めどなく湧き上がる衝動。

 身を焦がさんとするその熱を、カグラギは歯を食いしばり、辛うじて抑え込む。

 妖刀使い。この身はただ悪を喰らって生きる悪。誰かを救うなど烏滸がましい。人殺しにできるのは所詮、殺す事だけなのだと何故分からない。無駄だ。無意味だ。諦めろ。何もするな。何もするな――呪いのようにその言葉を頭の中で繰り返す。


「……?」


 ふと。立ち尽くす男を背後から押しのけるものがあった。広場の中心に躍り出たその姿はあまりにも小さく、霧のように微かで、まるでそこに居るのに居ないかのようだ。実際、他の人々はその存在にまるで気が付いていない。


(……ああ)


 考えてみれば当たり前の事。あれがこの場を去るわけがなかった。

 かつての少年が、そうだったように。


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