第十八話「選択の朝」

                ◇


 異端の魔女が去った翌日。夜明けと共にカグラギは目覚めた。

 傍らにはグエンが地面に転がって眠りこけている。相変わらずの酷い寝相だった。まるで野生を感じさせぬ――というよりむしろ地に落ちた鴉の死体そのものである。

 シオンの姿は見当たらない。一足先に、発ったらしい。


「起きろグエン。出発するぞ」

「んあ? ……あー。ところでよ、結局どうすんだ? カグラギ」

「何がだ」

「昨日あの猫が言ってた話だよ。ヴァロワとかいう街に行くとか言ってただろ」


 一瞬、カグラギは外套に武器を仕込む手の運びを止めた。


「そこには行かん」

「はあん。じゃあ何処に行くってのよ」

「パルティアに向かう」


 大都市パルティア。そこはシャルマーニュの首都であると同時に、《魔女宗》にとっての本拠地でもある。探し人が攫われた地点からは遠く離れている事もあり、訪れるのは後回しにしきたが、《異端の魔女》にこれ以上聖職者殺しの話を大きくされてはますます立ち寄れなくなってしまいかねない。あの女が別の街に行くというなら、この隙に向かうべきだとカグラギは判断したのだった。


「パルティア、って。おいおい、そりゃ此処からじゃ確か山の一つや二つ超えなきゃなんねえ距離だぜ。準備もしねえでちゃんと辿り着けんのかよ」

「なんとかなる」

「なんとかなる、ねえ。……おい、待てってカグラギ。俺様の話を聞け」


 支度を終えて立ち上がる相棒の肩にグエンは飛び乗る。

 いつになく、真剣な様子だった。


「何だ」

「あの魔女の嬢ちゃんを追え。追うべきだ。何故かって? お前は行かないと後悔することになる。後々必ずな」

「どういうことだ」

「あの嬢ちゃんな、本人のおつむはともかく、持ってる魔眼はちょっとしたもんだ。何せ《支配》の呪文ってのはもうこの世じゃお目にかかれない神代の魔法だぜ。お前も体験したんだからわかんだろ? ありゃあ使いようによっちゃその名の通りに――だ」

「……。それが俺に何の関係がある」


 今のカグラギの目的は探し人を見つけ出して保護する事にある。構う暇はない。


「関係あるかって? ありも大ありさ。魔女共が何百年も裏でこそこそと面倒な策を巡らせて、ちまちまと人間どもの魂を集めてきた理由がわかるか? 奴ら程度の魔術じゃ、あのエルフの爺婆共を出し抜けないからさ。ロイエス教が西方を制覇した今でさえ、民草を操れるようにはなっても、国を操れるまでの力は持てていない」


 今から何百年も遡るエルフの時代。隷属と支配を目指した《闇の覇王》と共存と平和を目指した《光の女王》と人間たちの、長きに渡る戦乱の歴史――。ただグエンの言う『エルフの爺婆』については僅かばかり心当たりがあった。

 《七賢者》。彼らはこの西方の平和と均衡を保つ為の『監視者』なのだという。

 かつてヴァン・ディ・エールの街に居た折、そのうちの一人にカグラギは会った事がある。不死王の傍らに侍る耳長の美老人は、この世のものとは思えぬほどの圧倒的な武勇を誇り、神のような視点を持ち合わせていた。つまり彼らは《魔女宗》といえど迂闊には手を出せない強大な存在ということなのだろう。


「ところがどうだ。支配の魔眼――あの嬢ちゃんはてんで使いこなせちゃいねえが、持つべき者が持てばエルフだろうがドラゴンだろうが思いのままにできる。あの七賢者だろうが、な。だから魔女共にとっちゃ喉から手が出ても欲しい能力ってワケ」


 カグラギは朧げな記憶の中で、異端の魔女が魔神は操れないと言っていた事を思い出していた。それは単に、使い手の力量不足によるものだったのか。てっきりその程度の能力なのだとばかり侮っていた。あの魔眼がエルフの大賢人すら操れるというのなら――成程。だんだんと話が見えてきた。


「魔女共があの嬢ちゃんの能力を知ったら連中は必ずあの眼を手に入れようとするだろうな。あの能力が魔女共の手に渡ったらどうなると思う? あいつらの目的を知ってるだろ? 何をするかは明白だ。」


 グエンが言わんとしている事をカグラギはようやく理解した。

 最初からこの鴉はその可能性について話していたのだ。


「……戦争か」

「そ。あの眼を使って、七賢者共を始末しちまえば、あとはやりたい放題。何百年も禁じられていた戦争で人が沢山死ぬ。そうなりゃ連中は魂は奪い放題、奪いきれない分もじゃんじゃん大地に還って地上の《太源》も潤っていくって寸法よ。あいつらの計画通り《邪神》とかいうのが復活したらそりゃーもうこの世の終わりってやつ?」


 国と国の争いになるのならまだ良いかもしれない。だが間違いなく魔女達は諸侯同士を争わせて国を分裂させる。そして小さな村々の一遍まで焼き尽くすだろう。探し人が争いに巻き込まれて、手遅れになる可能性もある。

 何故、この鴉はそんな重要な事を昨晩話さなかったのか。またぞろ選択を突きつけて自分の反応を愉しむ為か。それともまた適当な嘘をついているのだろうか。真偽は分からない。ただカグラギには確信できる事が一つだけあった。

 異端の魔女はいつか必ず失敗する。――かつて自分がそうであったように。

 それがいつかは分からない。しかしトロアンでの一件以来、あの魔女は少々派手に動き過ぎている。既にその足取りが《魔女宗》に掴まれている事は想像に難くない。

 それに――ヴァロワの街。あの猫はそこで公開処刑が行われると言っていた。カグラギ自身もその布告が立ち寄った都市や村々の掲示板に貼られているのを見た。公開処刑は確かに民草の娯楽ではあるが都市の外にまで宣伝するなどは通常あり得ない事だ。その不自然さがカグラギに否応なしに三年前の事を思い出させる。

 

 否。本当は気づいていた。

 あれは罠だ。のぼせ上った愚か者を誘い出す為の。


「――異端の魔女を追う。急ぐぞ」

「はっは。そう言ってくれると思ったぜ、相棒」


 グエンが空高く飛び立つと、カグラギは早足で歩きだした。

 もう一つの答えは、決まらないまま。

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