第七話「迷宮の闇」

                  ◇


 外は既に日が傾いていた。あと数刻もしないうちに夕闇が空を覆うだろう。道行く人々の喧騒もどこか衰え、露店を畳む商人の姿もちらほら見られる。

 その、地下深く。石造りの長い迷路の中に二人の姿はあった。


「う、うう。何度来てもすごい匂い……」


 鼻をつまみながら、ロッテは心底嫌そうに顔を顰める。

 迷宮は都市の真下に存在し、広さもそれに準じる。内部に流れる水路は都市部の生活排水であり、そこから鼻の曲がりそうな臭気が発せられていた。

 湿った空気を吸い込むと、カグラギは感慨深い気持ちになった。かつては幾度となくこんな地下の道を行き来したのだ。場所こそ違うにせよ、その景観には懐かしさを覚える。一方で相棒の鴉といえば、あんな窮屈な所は飽き飽きだと言い残し、どこかへ飛んで行ってしまったのだが。


「……あの、本当にいいんですか? こんな、不躾なお願いを」


 ふよふよと漂う白い光球に触れながらロッテが言う。

 魔術の中でも最も基本とされる《照光》の呪文。松明などと違って、手を塞がず、引火性のガスにも反応しないため、迷宮探索において重宝される光源だ。


「構わない。怪物退治は何度も請け負ったことがある」


 言いながら、カグラギはおもむろに外套の下から手提げ灯カンテラを取り出した。その中には蝋燭も何も入っておらず、一見して空っぽに見えた。だがそこに獣脂の欠片を放りこむと、みるみる内に眩い炎が灯る。ロッテが不思議に思いその中を覗き込むと、そこには小さな赤い蜥蜴の姿があった。獣脂をチロチロと舌で舐めながら全身を発光させている。


「……これって、まさか。火蜥蜴サラマンドラ?」


 カグラギは頷く。サラマンドラとは火の精霊の一種である。油や木端などを好み、それらを与える事で飼いならす事ができるというが、他の精霊の例に漏れず地上から姿を消して久しい。もはや伝説上の存在といえる生き物だった。


「イグニだ」

「え? ……ああ。名前あるんですね。初めて見たけど、けっこう可愛い……」


 火蜥蜴は手のひらに乗る程の大きさで、確かに一見は可愛らしい。そっとロッテは指を近づけてみた。それに気づくと火蜥蜴はロッテに向けてぼうっと火を吹き出す。


「ぎゃー!?」

「熱いから触るなと警告してる。危害を加える気じゃない」

「へ、へえ。賢いんですね」

「それから女が嫌いなのか、女によく火を吹く」

「……。やっぱ、可愛くない気が……」


 それから二人は迷宮を淡々と進み歩いた。時折姿を見せる魔物は取るに足らないものばかりで、カグラギは手斧で的確に大ネズミの脳幹を穿ち、悪臭を放つスライムを火蜥蜴の炎で焼き払った。戦闘というほどの緊張感もない、ただの掃除。しかしそれも当然の話ではある。この石造りの階層は単なる下水道で、迷宮の玄関口にすぎない。奥に進めばやがて整然とした通路は途切れ、鉱山めいた粗削りな洞窟が姿を現す。そこからが、本当の迷宮だ。迷宮都市の機能の要ともなる〈結界〉を維持する為の魔力洞。生態系の環を作る幾多の魔物と、数多の迷宮資源が眠る巣窟。

 しかしロッテは何もカグラギに宝探しをして欲しいわけではなかった。

 目的は、別にある。


「あ、待ってください。確か、このへんに……」


 カグラギを呼び止めると、ロッテは石壁を探った。そして一つだけ色の違う煉瓦を見つけ、それを押し込む。すると重い音を立てて壁の一部分が動き、通路の入り口が現れた。


「隠し通路――この先はどこに?」

「古い、地下墓所だそうです。つい最近見つかって……」

「あの探索者たちの仲間の半分が、帰らなかったと」

「……はい」


 通常、こういった都市の迷宮で探索者が命を落とすことは稀である。探索者たちは五人ないし六人一組で行動し、出現する魔獣に対して万全の対策を立てているのが常だからだ。人知を超えた魔獣が潜むヴァン・ディ・エールの大迷宮ならばともかく、都市迷宮の探索において、不測の事態というものは殆ど起こりえない。

 何か、異様な怪物が迷宮に潜んでいる――。医療者たるロッテはこれ以上の犠牲者を増やしたくないという名目で、探索者経験のあるカグラギに地下墓所の調査を依頼したのだった。

 

「探索者ギルドは、この事を?」

「はい。既に把握しているとは思いますが……どうも、この先に財宝があるなどという噂を流した者がいるようで」

「……なるほど」


 探索者となる者は傭兵くずれや盗賊くずれ、体力のあり余った無法者である事が多い。危険だとしても、自らの利益、あるいは武勇伝の為に脚を踏み入れる者が現れてもおかしくはない。


「確かに危険だな。――地下墓所なら、生霊レイスか、死霊アンデッドの類か。あるいは突然変異種アンタッチャブルの可能性もある」


 突然変異種アンタッチャブル。迷宮の生態系が崩れるなど何らかの要因よって出現する魔物。探索者達の間で俗に特殊個体とも呼ばれ、厳めしい二つ名をつけられる事も多い。その特徴は様々だが、唯一共通しているのは、原種とは比べにならない危険性――まさに、触れてはいけない凶悪な力を秘めていることだ。


「……すみません。やはりこんな事、旅の方にお願いするべきでは」

「……いや、いい。銀貨の対価としては十二分だ」


 カグラギは手提げ灯を手に取ると、平然と通路の中に足を進める。


「少し様子を見てくる。ここで待っていてくれ」

「……っ、待って!!」


 躊躇なく死地へ踏み込んでいく相手を見て、ロッテが声を荒げる。

 その瞳には、不思議な緑色の光が輝いていた。


「……やっぱり、依頼は取り消しにさせてください」

「……なぜだ?」

「……本当に危険なんですよ、その先にいる魔物は。あなたも命を、失うかもしれない。報酬はそのままお支払いします。だから――、」


 背を向けたまま、カグラギは受け取ったはずの銀貨をロッテに投げ渡す。


「……え?」

「……ならこちらも報酬はいらない」

「……それは、どういう――」


 呆然とするロッテに、カグラギは背を向けたままそれに答える。


「……あなたは、新たな犠牲者を増やしたくないんだろう。その精神は高潔で、尊むべきものだ。俺が命を張るのに、それ以上の理由はいらない」


 ロッテは、男の語る言葉の意味をまるで理解できなかった。今日会ったばかりの相手に、一体この男は何を言っているのか。しかしその口ぶりに伊達や酔狂といった風は微塵もない。あくまでも自然に、本気で。彼はそんな事を口にしているのだ。


「半刻で戻る。戻らなかったら、追う必要はない」

「……っ、駄目! こっちを向いて――」


 隠し通路の壁が、音を立てて閉まる。

 止めようとするロッテに一瞥もくれず、カグラギは階段に足を踏み入れた。

 長い階段を下り終えた先には細い通路。その先にはまた長い昇り階段があった。ロッテの言った通り、昇った先は行き止まりになっている。堅い天井があるだけだ。

 カグラギは言われた通りに石壁を探り、違う色の煉瓦を見つけてそれを押した。すると天井が音を立てて開いていく。しかし現れたのはまたしても石の天井――否、よく見れば開いた僅かな隙間から光が差し込んでいる。カグラギは頭と両手をねじ込み、天井を持ち上げて外側へと落とした。一人の人間が辛うじて通れるだけの隙間、そこから這い出ると、今まで居た場所の正体に気づく。空の石棺だった。どうやらその中に隠し通路があったらしい。


(……さて)


 息を吸い込むと、先程までいた場所とはまた違った空気が鼻を刺す。どこか甘ったるいその匂いは地下墓地の死臭を和らげる香の類であろう。

 辺りを見渡す。通路の壁には等間隔で石棺が安置されている。そのせいで先ほどの迷宮より、通路はいくらか狭く感じた。足元を見るとつい最近踏み荒らされたような後があり、その跡を追っていくと、血痕が点々としていた。進むにつれ徐々にそれは大きくなっていく。

 そして三つ目の通路を曲がった先には、無惨な死体が転がっていた。上半身が丸々食いちぎられたかのように無くなっていて、断面には夥しい数の蛆が沸いている。まだ新しい死体である。ここが地下墓所とはいえ、こんな埋葬は有得ない。見れば死体は武装しておりその傍には鉄の剣が落ちていた。恐らくは探索者であろう。カグラギはカンテラを腰に括りつけて両手を自由にすると警戒を強めながら歩を進めた。

 地下墓所は不気味な程に静かだった。一向に生物の気配はない。ただ歩く程に死臭が強まっていく。もはや、香では隠しきれないほどに。

 辿り着いたのは袋小路だった。ここまで一本道であったのに関わらず道はそこで途切れている。床にはどす黒い血と肉片と骨がいくつも散乱しており、最奥の壁の前には文字通りの屍の山が築き上げられていた。

 屍を踏み越えて、カグラギは周囲を調べる。上に重なっている死体ほど新しいが、どれも原型を留めていない。まるで食い散らかされたようだった。

 真上の天井を見上げると四角い穴が開いているのが見えた。死体はこの穴から落ちてきたようだ。カンテラで照らして覗き見てもその先は見えない。ここが出口というわけではないらしい。

 最後に、最奥の壁を探る。

 また色の違う煉瓦を見つけ、それに触れようとした、その時。


「……!?」


 腰に掛けたカンテラが突如として激しい熱光を放つ。中に居る火蜥蜴が危機を察知して主に知らせたのだ。即座に振り向くが、遅い。そこに爆炎の波が迫っていた。

 視界が紅蓮に染まる。破壊の烈風が屍の山を吹き飛ばし、カグラギを呑み込んだ。血肉が焼け焦げる臭気が立ち昇り、あたり一面は火の海となる。

 屍の山が障壁となり、耐火の付呪が掛けられた外套での防御が間に合ったおかげでカグラギは何とか致命傷を免れていた。しかし閉所での爆炎が酸素を急激に減らし、猛烈な眩暈が襲ってくる。霞む視界に眼を凝らすと、そこに、燃え上がる死骸を踏みつけて立つ、異形の姿が映った。


 レッサー・デーモン。


 牛蹄馬尾に山羊頭、漆黒の羽翼を持つ深紅の魔人。赤色の巨腕は筋骨隆々としており、その体躯はカグラギの二倍程もある。下級の名を冠してはいるものの、並の探索者などは束になっても太刀打ちできない、恐るべき強さを持つ怪物だった。


「――、」


 焼けた肺に空気を入れる。戦い方は、心得ている。

 その勝機は、一瞬。逃せば死。退路はない。あの異形を相手取った時点で、元よりそんなものは存在し得ない。故に前へ。死中の活路を切り開くのみ。

 山羊頭が詠唱し、再び大炎が放たれる。狭い通路の中、逃れ得ようもない灼熱の奔流が殺到する。カグラギは地を這うように姿勢を落とし鉄笠と外套で身を守る。延焼は防げてもその熱は防げない。皮膚が泡立つような激痛を堪えながら、なお疾走はしる。捨て身で炎の波を抜けた先には、無防備になった魔神の姿があった。

 だがまだ、勝機には足りていない。ここで愚直に踏み込めば呆気の無い死だけが待つだけ。故にカグラギは奇手を打った。赤熱する黄鉄笠を脱ぎ、山羊頭めがけて放り投げる。魔神は片手で難なく払い落とす。何の損傷ダメージも与えていない。しかしその間に、魔神の視界からカグラギの姿が掻き消えている。


「――■■■■!?」


 気づいた時には、もう遅い。魔神の背後に回ったカグラギは山羊頭の首に組み付いていた。口に咥えた大鉈を、死に物狂いの形相で、魔神の後首に食い込ませる。憤慨した魔神は背中を壁に打ち付けるべく地面を蹴る。だがそれを待ち構えていたように、カグラギは両手で鉈を掴んだ。刃を支点にして下半身を逆立ちの要領で跳ね上げる。そして激突の寸前、壁を蹴り全体重をかけて刃を押し出した。


 ゴトリ、と山羊の頭が地面に転がり落ち。

 一瞬遅れて、夥しいまでの血液が噴き上がった。

 残された巨体も、力なく血だまりの中に崩れ落ちる。


「……、」


 しかし勝者であるカグラギもまた、石床に倒れ伏していた。相手の膂力、激突の衝撃を利用した捨て身の首狩り。その代償として左腕とあばらの何本かが折れ砕けていた。全身の火傷を含めれば、瀕死といってもいい重症である。

 息を整えて立ち上がる。目的は、達した。あとは元の道を戻るだけ。落ちた武器と鉄笠を拾い、カグラギは血を流しながらよろよろと石棺を目指して歩き出す。


 だが、彼がそこに辿り着く事はなかった。


「……!?」

 

 手にしたランタンが再び、狂ったように輝きを放つ。

 振り返る間もなく、カグラギは恐るべき力に晒され、壁に激しく打ちつけられた。


「……ぐ、…………かッ……」


 一切の身動きも適わない。

 カグラギはまだ辛うじて動く眼球で、信じがたい光景を見た。

 

 ――首の無い、魔神の死体が動いている。

 

 二本の長腕がカグラギを壁へと押し付け、掴んだ肉を潰し、骨を粉々にした。内臓が破れ、口から大量の血が零れ出る。


(……?)


 薄れていく視界の中、死にゆく男はそれを見た。

 酷く、見覚えのある翠色の光。

 ああ。こんなこともあるのだな、と。呑気にそんなことを想う。

 そして残る力のすべてを振り絞り、彼は懐から筒状の物体を取り出した。それは《雷火》と呼ばれる、一種の爆薬である。


「イグ、ニ」


 掠れた声を聞き、カンテラの中から火蜥蜴が這い出て落ちる。

 主人の意を汲んだ火蜥蜴は、俄かに躊躇いながらも、その導火線に火を点けた。

 爆風が巻き起こり、けたたましい轟音が響き渡る。

 そうして地下には、幾百の屍と、燃え燻ぶった臭いだけが残った。

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