第六話「橄欖の瞳」

                  ◇


 その酒場は入り組んだ路地の地下にあった。都市魔術師達が利用する特別な休息場で、閉塞的な空間ではあるが、息苦しいものではない。照光の呪文が封じられた魂晶が店内を明るく照らし、窓も無いのに何処からかひんやりとした風がそそいでくる。

 店内にある姿は四つ。カグラギ、グエン、そして都市魔術師の女と酒場の主人である壮年の男。店は本来、準備中の時間であるらしく、店内は貸し切りになっていた。


「ふふ。よっぽどお腹空いてたんですね」


 都市魔術師の女がにこやかに微笑む。円形上のテーブルの上、山のように盛りつけられた料理の数々を、カグラギはほんの僅かな間に、ぺろりと平らげてしまった。


「……お陰で助かった。感謝する」


 言った直後に、ぐう、と。カグラギの腹の音が鳴り響く。


「……。えっと、もっと食べませんか? 私も見てたら何だかお腹が空きましたし。気兼ねしないでください」

「……いや、」

「おじさんに何か出せる料理が無いか聞いてきます」

「姉ちゃん、俺様にも生肉くれ。できれば鶏肉」

「あ、はい。ではそれも」

 

 都市魔術師の女が席を立ち、厨房に引っ込んだ酒場の主人の元へ行く。


「カグラギぃ。痩せ我慢してんじゃねえよ。かえって失礼だろうが。大体お前、お人好しにも程があんだろ。頭狂ったのかと思ったわ流石に」

「…………」


 白々しいカラスの台詞に、カグラギは憮然と沈黙を返す。


「お待たせしました」 


 都市魔術師の女が、この都市の夏の名物である葡萄酒の氷割りと、細かく切った鶏肉の欠片が乗った皿を盆に乗せて戻ってくる。それぞれをカグラギとグエンに差し出すと自分もすとんと席に着いた。


「ええと、改めて自己紹介を。私はロッテ。見ての通り、この街で都市魔術師をしています」


 それに倣うように、一人と一匹も自己紹介をする。


「カグラギ。ただの旅人だ」

「俺様はグエン。ただのカラスだ」

「えっと、グウェン、に、カグ、カグーラ、ギ?」


 言い辛そうに、ロッテは口を尖らせる。双方ともまるで馴染みのない発音だった。


「お二人とも、危ない所を助けてくださって本当にありがとうございました」

「いやいや。いいってことよ」


 鶏肉を突きながら得意げに喋るカラスの姿に、ロッテは苦笑いを返す。眼の前に居る男も異様な風体であるがそれ以上に奇怪なのはこのカラスだ。言葉を喋る獣など、魔術師の間でさえ古いお伽噺に登場する架空の存在としか捉えられていない。

 続けて、ロッテは木製の杯を無言で傾ける目の前の男をまじまじと観る。

 あの妙な笠を被っていた時はただただ厳めしく無骨な気配を放っていた男だが、その下に隠されていた顔は驚くほど若く繊細な顔つきだった。年の頃は十の半ば程かと思わせる程で顎と口元には髭の痕跡すらない。黒みがかった赤銅色の長髪を後ろで縛っているせいもあって、一見すれば女性的な印象さえある。

 だが前髪の隙間から覗く切れ長の眼光は鋭く、毅然とした態度と真っ直ぐに伸びた背筋は堂々たる雄の風格そのものであり、常に一文字に結ばれた口元がその印象をより強めている。少年の顔を持ちながら老成した威容を備える、不思議な人物だった。


「お二人は異国の方、ですよね。どちらから?」


 カグラギの彫りの浅い顔つきや、奇妙な名前にしてもそうだったが、身に着けた武具はこの辺りでは見た事のない造形だ。鉄板を紐で連ねた腰鎧と、あの珍奇な鉄編み笠などは特に。


「……、」


 どう答えるべきか。カグラギが結論を出す間もなく、グエンが勝手に口を開く。


「あー、三年前まではヴァン・ディ・エールに居たんだけどな。それからはまあ、色々あって? 最近はずっと根無し草って感じだよな、カグラギ」

「ヴァン・ディ・エール? 三年前……って、もしかしてあの《大崩壊》の時も?」

「ああ。そこに居たぜ。あの街が燃えながら海に沈んでく様を、この目で見てた」

「……それは。大変でしたね」


 ヴァン・ディ・エール。海に浮かぶ城塞都市。地下に〈最も深き迷宮〉を擁するその場所は、名声と栄誉、あるいは失脚と死に満ちた〈魔の島〉とも呼ばれていた。『ヴァン・ディ・エールの探索者達』――その冒険譚は血沸き肉躍る物語として語り草である。迷宮に潜む膨大な資源を巡る、探索者たちの栄光と絶望の日々は実に二百年もの間続いたが、年を経るごとに衰退し、三年前の《大崩壊》を切っ掛けに、長い歴史の幕を閉じることとなったのだった。


「こいつも今じゃこんなだがよ、結構名の知れた探索者だっうおほえむごごご」


 不意にグエンがとんでもない事を口にして、カグラギがその首を瞬時に掴まえる。


「え? ……それ、って。冗談ですよね」


 ロッテは困惑した様子で顔を顰めた。無理もないことだった。迷宮を管理する立場にあったヴァン・ディ・エールの探索者達は、〈大崩壊〉という未曽有の災害の責任を問われ、大罪人として賞金首になっているからだ。


「冗談だ。気にしないでくれ」


 言いながらカグラギは横目でグエンを睨みつける。

 しかしそれはこのカラスのひねくれた気性を煽るだけで、逆効果だった。


「いや。本当、本当。もうバリバリ毎日迷宮に潜ってたし。なぁ、カグラギ!」


 カグラギは静かに溜息をつくと、騒がれる前に逃げるべきかと算段を立てる。

 しかし返ってきた相手の反応は、彼の予想に反したものだった。


「――なるほど。だからあんなに強かったんですね!」


 少女のように目を輝かせながら、ロッテは両の手を合わせる。


「私、昔からヴァン・ディ・エールの探索記が大好きで! それはもう何度も何度もを読み返しました! あの伝説の舞台に立った、本物の探索者さんに出会えるなんて! 光栄です!」


 妙だ、とカグラギは思った。賞金首に対する態度ではない。相手は教会の権力下にある都市魔術師。何か仕掛けて来る気ではないかと警戒する。


「へえ。姉ちゃん面白いな。こいつ迷宮潰しの大罪人だぜ? 普通は怖がるとか、狼狽えるところだろ」


 グエンがもっともな事を口にするとロッテは一瞬びくりと肩を震わせた。 


「あっ……。ええ。そう、ですね。普通はそうなのかもしれません。だけど、その。私の眼には貴方は悪い人には……見えなくて」


 それきり、おずおずと黙り込む。――そんな様子から敵意らしきものは見て取れない。カグラギはしばし思案した後、警戒を解き、ぼそりと口を開いた。


「……確かに迷宮には潜っていた。だけど大した事じゃない。俺はただの、荷物持ちだった」

「え? あ。そ、そうなんですね。そういえば本で読んだことがあります。探索者たちが戦いに集中する為に、荷物持ちの方々が同伴すると。袋背負い、でしたっけ」

「ああ」

「そ、それでも十分凄いですよ! さっきなんて、一度に三人も――」

「あ、そういや姉ちゃん。ひとつ気になることがあるんだが」

「? はい」

「さっきのあの連中は何だったんだ? 随分恨まれてたみたいだけど」


 グエンの問いに、ロッテは言葉を詰まらせる。


「……それ、は」

「グエン」


 それは無神経な問いだ、とカグラギが咎める。どんな原因があったにせよ、生々しい恐怖に晒されたばかりの当事者に、部外者があえて問うべき言葉ではない。


「……いえ、大丈夫です」


 だがロッテはそう言うと、拳にぐっと力を込めて話し始めた。


「……彼らは、私が治療を担当した探索者でした。数日前、酷い傷を負いながら医療院に駆け込んできたんです。彼らの仲間のうち一人は命に関わる重傷を負っていました。……しかし、医療院も慈善事業ではありません。規定通りに、私は彼らが払う金額に見合うだけの治療を施しました。重傷を負った彼は……出来る限りの処置を施したものの命を落としてしまいました。希少な霊薬を用いればあるいは助かったのかもしれませんが……私にはあれ以上どうすることもできませんでした」

「はあん。それで逆恨みってわけか。なーるほどねぇ。そんなクソ野郎どもなら、やっぱあんな情けかけるべきじゃなかったんじゃねえの」


 カグラギは三人を衛兵に突き出すことを勧めたが、ロッテはそれを拒んでいた。


「いえ。あれで彼らも身に沁みたでしょう。きっと心を入れ替えてくれるはずです」

「ひゅう。おやさしい。まるで聖母様だな。だがよお、実際ああいう連中は同じ事繰り返すだけだぜ。もう少し痛い目を見させねえと。探索者ってんなら、どうせとっ捕まったところで別に大した罰も受けねえんだろ。なんせ――《魔女》なんてのよりはだいぶだいぶ軽い罪状だもんなァ」


 グエンが皮肉を言うとロッテは表情を堅く強張らせた。人目を警戒するかのように厨房と入口の方へと視線を投げた後、安堵したように息を吐く。


「……お二人は、《魔女》と呼ばれる人々がどんな存在か知っていますか?」

 

 それは奇妙な問いかけだった。この時世に魔女について知らぬ者などはいない。その言葉には、別の意味が込められている。


「この世ありとあらゆる不幸の源。災厄を振り撒く狂気の支配者。しかしてその実態は――! 何の関係も無い一般人。とか。大体そんな感じだろ」


 グエンの言葉を聞くとロッテは目を見開いた。

 そして視線を落とすと、苦々しげに口を開く。


「……なるほど。では、ご存じなんですね。ロイエス教会の腐敗を」

「あー。そらもう。よーくご存じよ。なあカグラギ?」


 カグラギは堅く口を閉ざしたまま、グエンを横目で睨みつける。


「……悪いが、その話題はここまでにしてほしい。生憎、魔女については、いい思い出がないんだ」


 すまない、とそう最後に付け足したものの、それまで穏やかに言葉を紡いでいた男にしては苛烈な物言いだった。

 ロッテは少し怯んで、視線を落とす。


「き、気分を害されたのなら、ごめんなさい。……ただ、私にとってお二人は恩人です。旅の身を案じて、知っておいて欲しい事があるんです」

「……それは?」


 眉を顰めながら、カグラギは問う。


「――《魔女》は実在するということ」


 冷えた空気が、凍り付くような声。

 それは確かに、ロッテの喉から発せられたものだった。

 見た目には何の変化もない。しかし何かが、違う。異質だった。前触れもなく、彼女の何かが狂ってしまったかのように思えた。鮮やかな橄欖かんらん色の瞳が妖しく輝く。不思議と、そこから目が離せない。金縛りにあったようにカグラギはその眼に釘付けになっていた。


「魔女の鎚――あの本に書かれてる事は、すべてが嘘というわけではありません。悪魔と契約を交わし、古き神を崇める邪教徒達。彼らは《魔女宗ウィッカ》という名前で、今も確かに存在しています」


 別人のように表情を歪め、ロッテは淡々と喋り続ける。

 半眼に閉じた橄欖色の瞳の色は昏く、底の見えない嫌悪に満ちていた。


「そして、――ここからが度し難い話。この西方全土を支配してるロイエス教会は、いつ頃からかその《魔女宗》に乗っ取られている。彼らは何百年という月日を掛けて暗躍して、何も知らない聖職者や民衆を操っている」


 紡がれた言葉は突拍子もない。民衆が聞けば妄想や戯言と一蹴されて然るべきものだ。しかし。違う。カグラギとグエンは知っている。それは真実であると。


「そう。《魔女狩り》も、《魔女宗》が仕組んだこと。彼らは魔女狩りを利用して人間の魂を集めている。失われた《太源マナ》を復活させて、魔術師以外の人間を淘汰するという、おぞましい目的の為に。――それだけなら、まだしも」


 ロッテは目元を歪め、より一層の憎悪を口調に滲ませる。


「……あいつらは。この世の中の惨状を楽しんでる。神父や貴族が肥え太る一方で、飢えた子供や、何の罪もない人達が石を投げられて焼き殺される。そんな狂った世の中を――見世物みたいにして笑ってる」


 吐き捨てるようにロッテがそう言い終えると、地下の酒場は深い静寂に包まれた。


「……すみません。このような馬鹿げた話を。どうか忘れてください」

「……いや。構わない。それにそちらこそ。そんな話をするのは辛かっただろう」

「……え?」

「……その、《魔女宗》の一員なのだろう、貴方は」


 思わぬ言葉に、ロッテは目を丸くした。


「カカカ。ま、都市魔術師ってのは教会の運営する《学院》――つまり《魔女宗》直属の組織だ。魔法使えるガキどもを修道院に集めて、目ぼしい奴には徹底した洗脳教育を施す。そいつらしか持てない黒魂晶なんざ持ってる時点で、自分も《魔女宗》だって自白してるようなもんだよなァ」

「グエン。少し黙れ」

「へいへい」

「……《魔女宗》に所属しながら《魔女宗》に反感を抱いている。そういう人間に会うのは初めてじゃない。俺が探しているアガタという女性も、そういう人間だった。自分自身の生まれと《魔女宗》の存在を呪い、苦しんでいた。――恐らくあなたも、そうなのだろう」


 ロッテは唖然とした様子で言葉を飲み込むと、息を震わせながら視線を落とした。


「……私以外にも、そんな、人が」


 それからはたと気づくように、顔を上げる。


「アガタさんといいましたよね。その方は、今何を――」

「……恐らく《魔女宗》に《魔女》として捕らえられた。二月前ほどの話だが」

「……! っ、そ、そんな」

「……だから俺は今、彼女を探している。俺と同じくらいの歳と背丈で、長い黒髪をした女性だ。この街で見かけてはいないか」

「……いえ。心苦しいですが、私の知る限りでは……」

「……そうか」


 カグラギは視線を落とすと、氷割りの葡萄酒の残りを飲み干して立ち上がる。


「……言った通り、急ぐ旅だ。そろそろ行こうと思う。食事をありがとう」

「……あ、ま、待って! 待ってください! ……その前に、これを!」


 立ち去ろうとするカグラギに、ロッテは先程彼が拾った銀貨を手渡そうとする。

 

「これはあなたのものだろう。俺は受け取れない」

「いえ、いいんです。ぜひ路銀の足しにしてください。アガタさんを探す助けに」

「気持ちはありがたいが、あの程度の礼にしては多すぎる」

「え? そ、そう言わずに。どうか」

「おいおいまーた凝りもせず痩せ我慢かよカグラギぃ。俺様の飯代もかかってんだぞ? ありがたく受け取っちまえって」

「か、カラスさんもそう言ってますし! どうぞどうぞ!」

「いや、そういうわけには――」


 しばし同じ問答を繰り返すと、やがてカグラギは腕を組んで頭を垂れる。


「では何か……困りごとはないか?」

「え?」

「……腕と体力には多少覚えがある。荒事や力仕事なら、何か力になれるかもしれない。その報酬としてなら、受け取れる」


 あまりにも真摯な男の物言いに、ロッテは思わず呆気に取られてしまう。まっすぐすぎるその視線に俄かに顔を赤らめると、やがて躊躇いがちに、ロッテは口を開く。

 

「……じゃ、じゃあ――」

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