第五話「邂逅」

                ◇


 塵喰ごみくいスライムを連れた都市魔術師達が、箒やブラシで道を掃除しているのが目に映る。どこからか湧いてくる水と泡は、彼らの魔術によるものだろう。

 カグラギは当てもなく歩いた末に、いつの間にか住宅地に辿り着いていた。そこには何やら駆けまわっている子供たちの姿だけがあるだけだ。道を間違えたな、そう思い踵を返したその時――幼い女の子の甲高い悲鳴が耳を突いた。


「まてー! まじょめ!」「かみのさばきをうけよー!」


 走り回る子供たちの姿は一見微笑ましいように見えた。しかし男の子たちが口にしている言葉は些か物騒で、追われる女の子は本気で嫌がっているようだった。


「やめて! やめてよ! ……あっ」


 やがて、女の子は追い立てる男の子の勢いに怯んで派手に転んでしまう。堅い石畳が容赦なくその肌を擦り剥かせ、うずくまる女の子の元に男の子二人が駆け寄ったかと思えば、そこに更なる追い討ちをかけ始めた。


「つかまえたぞ! このまじょめ!」

「いたい! はなして!」

「おまえのかあちゃん、まじょだったもんな! おまえもまじょなんだろ!」

「ちがう! おかあさんはまじょなんかじゃない!」


 男の子の一人が女の子の髪を引っ張り、もう一人が手にした玩具の剣で足を叩く。


「おい、カグラギ。あの子魔女だってよ。一応視とくか? もしかしてもしかしたら本物かもよ?」

「黙れ。……止めにいくぞ」


 しかし、カグラギが近づくより先に、子供たちの間に割って入った姿があった。


「くぉォォォらァァァ! そこのガキ共ぉ! 何やってやがんだーッ!」


 白い帽子に白い外套。――都市魔術師の制服に身を包んだ年若い女だった。

 子供たちの異変を目にすると、手にしていたブラシを放り投げ、金色の三つ編みを派手に揺らしながら猪のように駆け寄ってくる。


「う、うわ! なんかきた!」

「まじょだ! まじょがなかまをよんだんだ!」


 喚き立てる男の子二人の頭を、魔術師の女は奪い取った玩具の剣で順番に叩く。


「いで!」「ひぎ!」

「誰が魔女だ誰が。ほら、この子に謝んなさい。さもないと、もっかい叩くわよ」

「だ、だれがあやまるかブス!」「くそばばあ!」

「…………」


 都市魔術師はこめかみに青筋を立てると、無言でもう一度順番に男の子達の頭をブッ叩いた。


「ぎゃあ!」「きー!」

「ほら。この子にごめんなさいは?」

「おかあさあああああん」「ぴぎいいいいいい」

 

 余程痛かったのだろう。男の子達は泣きじゃくりながら一目散に逃げてしまう。


「あっ! こら! 謝れっての! ……クソ。最近のガキはもー……」

「ひっく……ひっく」

「……大丈夫? じっとしてて」


 都市魔術師は女の子の前で屈むと懐から黒い水晶を取り出した。それを左手に持ちながら、右手で女の子の擦り傷に手を翳す。すると暖かな光が灯り、みるみる内にその傷が塞がっていった。


「まだどこか痛む?」

「ひっく……ううん。だいじょうぶ」

「そ。よかった」


 魔術師はそう微笑むと勢いよく立ち上がり、放り投げたブラシを念動の魔術で引き寄せて掴むと足早に立ち去っていく。


「あ、まっておねえちゃん! どうもありがとう!」

「……ん! 負けちゃダメだよ!」


 魔術師の女は親指を立てて女の子に応えると金色の三つ編みを凛と揺らしながらあっという間に路地の向こうへと消えていく。

 その一部始終を、カグラギとグエンは建物の陰から見守っていた。


「いやあ。親切な姉ちゃんも居たもんだ。……それに比べてお前ときたら」


 子供たちを止めようと駆け寄りかけたカグラギだったが、都市魔術師の女に先を越されてしまい、居たたまれずここに隠れた次第であった。


「……ところで、気づいたかよ? カグラギ」


 グエンが、意味ありげにそんな事を言う。いつもの冗談めかした口調ではない。先ほど目にしたあのやり取りの中に何か見過ごせないモノを視たらしい。


「……ああ。あの女、」


 鋭い声でカグラギが答える。ほう、とグエンは感嘆した。

 この昼行燈も、たまには見るべき所を見ているらしい。

 そう。一瞬ではあるがそれは決定的な証拠だった。それは、


「何か落としていったな。……小銭か?」

「………………いや」


 違う。そこじゃない。と言いかけて、グエンはあえてそれ以上口にはしなかった。

 女の子が去るのを見届けた後、カグラギは都市魔術師が落としていったものを拾い上げた。それはカグラギの見立て通り、硬貨だった。しかし小銭ではない。


「おお。銀貨じゃねえか。やったな、おい。これでしばらく食いっぱぐれないぞ」


 銀貨。それはこの時世においてもっとも価値のある通貨だ。大昔には金貨にその地位を譲っていたものの、銀に悪魔や吸血鬼や魔女といった不浄の存在に対するある種の毒性が宿っている事がわかると銀は神聖視され、教会によって厳しく管理された。    その後、聖堂騎士団の武具をはじめとして銀は様々な分野で用いられ、現在は希少になっている。迷宮由来の金属〈魔鉱〉を除けば、名実共にこの西方の地において最も価値がある金属といえよう。

 貧しい旅人にとってこの銀貨一枚はまさしく大金に等しい。半月、いや上手く使えば一月は容易に食い繋げるだろう。カグラギは手にした銀貨を親指で中空に弾き上げた。日の光を反射しながら回るそれを掴むと、今日一番でかい腹の音が鳴る。


「…………持ち主に届けよう」

「…………お前、一瞬迷わなかったか?」


 声が若干震えていた。善人には善人を気取るのがこの男の在り方とはいえ、流石にそろそろ腹の限界が近いらしい。しかし相棒のこういった滑稽な所が、鴉は割と気に入っていた。


「グエン」

「へいへい。まったくしょうがねえ奴だな。ちゃんと分け前はもらっとけよ」


 溜息がちにそう言うとグエンは遠見で先ほどの都市魔術師の女の姿を追う。


「あー、いたいた。……ん?」

「なんだ?」

「さっきの女、……何か妙な奴らに尾けられてる」


                 ◇


 入り組んだ袋小路に、日の光は届いていなかった。革の鎧を着込み、剣を手にした三人の男たちが、一人の女を壁に追い込むように、じりじり距離を詰めていく。


「ようやく見つけたぜ、このクソ女!」


 腕と顔に包帯を巻いた男の台詞に、都市魔術師の女は悠然と振り返る。


「え、ええと。ごめんなさい。どなた様でしょうか……?」

「ふ、……ッざけんじゃねえ! てめえ、てめえのせいであいつはッ……!!」


 とぼけたような女の物言いに、包帯の男は手に持つ剣をぷるぷると震わせる。


「ブノワ、あんま無理すんな」「ここは俺らに任せて、入口見張っとけ」

「……。ああ、分かっ――」


 踵を返したその瞬間、包帯の男は唐突に鼻血を吹いて地面に倒れた。その顔面を打ちのめした物が重い音を立て地面に落ちる。――鎖に繋がれた鉄の塊。引き戻っていく鎖が、袋小路の入口の横に潜む何者かの存在を示していた。


「な……だ、誰だ!」

「人を呼ばれたらまずい! 追いかけるぞ!」


 男二人が鎖の先を追っていく。それから間もなく、鈍い音と悲痛な叫び声が二つずつ響き、袋小路は深い静寂に包まれた。


「ハァ……糞ッ……殺す……殺してやるッ……」


 そんな状況にありながら、包帯の男はあくまで都市魔術師の女へと殺意を向けていた。腰から引き抜いた短剣を口に咥え、女の方へと這いずっていく。

 女は、動かない。ただ呆けたように目を見開いていた。目の前を這いずる男は眼中になく、その後方――血に濡れた鎖を引きずる異装の男の姿に釘付けになっていた。


「うぐッ――!?」


 這いずる包帯の男の背中に二度目の鉄塊が叩きこまれる。今度こそ、彼は起き上がれなかった。役目を終えた鎖分銅を手繰る異装の男の肩に、一匹の鴉が止まる。


「……思うんだけどよ。前にもこんなこと無かったっけ?」

「……」


 心当たりが、なくもない。更に言うならば、彼は幾度となくこういった状況に出くわしている。ある種、宿命じみた物を感じる程に。


「……怪我はないか?」


 鎖を巻き取り終えたカグラギは、壁を背にへたりこむ女に手を差し伸べる。

 女は暫くの間、呆けた様子で眼の前の人物を見つめていた。ぱちぱちと瞬きを繰り返す内、頬が徐々に赤くなっていき、はっと我に返ると、首をぶんぶん横に振る。


「……あ、はい。大丈夫……大丈夫です! ああ、あの、ありがとうございま、って、え?」


 男は引き起こしてくれるのかと思いきや、女の手に一枚の銀貨を握らせた。


「あんたのだろう」

「はい?」

「礼はいい」


 それだけ言って立ち去っていく相棒の姿に、グエンが一際どでかい溜息を吐く。


「姉ちゃん、アイツの事追いかけてやってくれ……どうしようもないアホなんだ」 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る