第二話「首吊りの木の下で」
◇
麦畑に囲まれた農道に、荒涼とした風が吹く。
寂れた寒村の大木には痩せた村人達の亡骸が吊るされ、濃密な霧が漂っていた。
本来ならば鮮やかな新緑に彩られる晩夏の季節。しかし草木も花もみな薄く色褪せている。それは曇天の視界に因るものではなく、実際に色が無い。
「――」
そこに、音もなく一人の魔女が姿を現した。胸に若草色の
首吊りの木の前に立った魔女は切れ長の目を半眼に閉じながら村人達を見上げる。
絶望の末に自ら死を選んだのか、何者かに強要されたのか。
もはや何も語る術を持たない彼らを憂うでもなく、憐れむでもなく。
ただ、本当に。つまらなそうに見上げていた。
やがて、赤毛の魔女は懐から黒い水晶を取り出すと、それを握ったまま口元で両手を合わせる。魔女の風貌には似つかわしくもない、祈りを捧げる乙女のような美しい所作。強く瞼を閉じ、念じるように言の葉を紡ぎだす。
――彷徨える魂よ。我がもとに誘わん。
瞬間、淀んだ空気に変化が生じた。首吊りの木の周囲に幽かな青い光が灯ったかと思えば、それらは火の玉のような形を成し、魔女の持つ水晶に吸い寄せられていく。
僅かに残っていた村人たちの生命の輝き――
少女が手にしているものは
しかし、少女の手にする魂晶は光を吞むような黒色。通常の魂晶では封じ切れない人の魂を封じる為に創られた禁忌の触媒――
手にした結晶が漂う燐光を吞み尽くすと、少女はにわかに眉を顰めた。
「……これだけか」
その声に落胆の色はない。元から期待していないような口振りだった。肉体を離れた魂は通常、一日も待たず霧散して大地に還ってゆくものだ。死体の状態は、見るに死後一週間ほど。むしろよく残っていたものだ、と少女は感心する。
「まあ、とりあえずこれで十分――」
ため息交じりにそう呟く少女の視界に、独り漂う魂魄が映る。それは黒い石に導かれるのを拒むかのように揺れ動くと、やがて吊るされた亡骸の一つに纏わりついた。
――それは恐らく花嫁だったのだろう。
背格好や服装からして、十の中頃ほどの娘に見える。吊るされたその顔はもはや見るに堪えないものになり果てていたが、それでも三つ編みに束ねた金色の髪は、まだ、美しかった。
人形のように冷めていた魔女の美貌に、微かな憂いが浮かぶ。
「……おいで」
優しい声でそう呼ぶと、漂う魂魄は少女の元へ吸い寄せられてゆく。黒魂晶が燐光を呑み込むのを見届けると魔女はそっとそれを握りしめた。
「大丈夫。――無駄にはしないから」
そして静かにそう囁くと、首吊りの木に背を向けて歩き出す。
「行こ、アイラ」
少女がそう呟くと、何処からともなく長毛の白猫が現れた。
「成果はあった? リズ」
鈴を鳴らすような透き通った高い声。それは確かに白猫の口から発せられていた。
「あー、まあまあ?」
「ふうん。なら早く行きましょう。私、綺麗なお水が飲みたいわ」
「うん。あたしもお腹減ったわ」
友人のように他愛のない言葉を交わしながら、少女と白猫は並んで歩く。するとその姿が不思議と風景に溶けて薄れ、やがて両者は完全に透明になり見えなくなってしまった。
「……ふうん。次はそういう感じにするの」
「うん。どう?」
「いいんじゃない? けど」
「けど、何よ」
「あなた目つきがすぐ悪くなるから、気を付けなさいね」
靄がかった曇天の下。退屈を紛らわす会話だけが、不気味に響いていた。
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